Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
ぴあ 総合TOP > 野村万作一門による“運動会”「狂言ざゞん座」20年目の開催、万作は珍しい「雛売」を舞う

野村万作一門による“運動会”「狂言ざゞん座」20年目の開催、万作は珍しい「雛売」を舞う

ステージ

ニュース

ナタリー

万作の会「第二十回 狂言ざゞん座」記者懇談会より。左から深田博治、高野和憲、月崎晴夫。

万作の会「第二十回 狂言ざゞん座―感謝をこめて―」が、6月1日に東京・宝生能楽堂で開催される。これに向けた記者懇談会が、本日4月21日に東京・野村よいや舞台で実施された。

2006年に第一回が行われた「狂言ざゞん座」は、野村万作に師事する中堅狂言師4名、深田博治、高野和憲、月崎晴夫、破石晋照による研鑽のための狂言会。記者懇談会には深田、高野、月崎、そして万作が出席した。

2023年、狂言修業における“修士論文”とも呼ばれる「花子」に挑んだ深田は、今回「清水座頭」で念願の座頭役に初挑戦する。「清水座頭」について万作は「『川上』『月見座頭』に並ぶ、和泉流独自の座頭物です。若者が盲目の僧を転がしてなじるという『月見座頭』、“別れなければ目がつぶれるぞ”という仏様のお告げに夫婦が背く『川上』に比べて、『清水座頭』は目の見えない者同士が観世音でめでたく結ばれるという誠に穏やかな作品で、特殊だと思っております」と述べる。

深田は「『花子』までは基本的なことを経験させていただいたので、これからはお客さんが楽しめるような曲にチャレンジしていきたい。杖1本でいろいろなことを表現する万作先生の姿を観て、たびたび『座頭物をやりたい』とお願いしてきましたが『まだ早い』と言われていた(笑)。『川上』が大好きなのでいつかやれるように、今回は前哨戦だと思ってがんばりたい」と意気込んだ。万作は、深田に「清水座頭」を許可した理由を記者から問われ「伝統芸能にはある年齢でやっとかないといけないものがあります。あと、大分出身の深田の発声は“男子”という感じで、柔らかい言葉の会話にあまり向かないので、今回は目の見えない役でしっとりした発声を獲得してもらいたい」と深田への希望を語った。

また昨年「花子」に挑戦した高野、そして月崎はこのたび、1時間近くを要する大曲「武悪」を、兄弟子にあたる野村萬斎を相手に勤める。「武悪」は武悪、太郎冠者、主人という3人が拮抗する物語。シテを勤める高野は「どの家も大切にしている曲であり、名人上手のたくさんの伝説が残るこの大曲をやらせていただけることがありがたい。友情話でありますが、どこかに狂言らしい強かさを出せればと思っております。中年になった私の体力が持つやら、知能が持つやらわかりませんけれども(笑)」と冗談を交えて述べ、「『ざゞん座』は年にいっぺんの会で、僕たちにとっては運動会(笑)。皆さんも先生もハラハラすることがあるかもしれませんが、20年も続いてきたことがすごいなと思います」と笑顔を見せた。

「武悪」で太郎冠者を勤める月崎は「取次役の太郎冠者はこれまで随分やらせていただきましたが、『武悪』の太郎冠者はまた違う気合いの入ったもの。緊張感のあるやり取りが続くので、自分にとって挑戦になると思います」と語り、「やってみたい役がいっぱいありますので、まだまだ『狂言ざゞん座』を続けていけたらいいなと思っております」と言葉に力を込めた。

万作は、父・六世野村万蔵と高浜虚子が手がけた小舞「雛売」で、弟子たちの晴れ舞台に花を添える。「『雛売』を知っているやつなんて誰もいないですよ」と万作は笑いつつ、自身の幼少期、NHKのラジオで間狂言を任せられていた父が旅行とラジオをダブルブッキングさせてしまい、急遽父に代わって「雛売」を勤めたというエピソードを明かす。万作は「虚子さんのお嬢さん・星野立子さんからご褒美として子供にとっては桁違いな大金をいただいた覚えがあります(笑)」と思い出を振り返った。そんな珍しい小舞をこのたび万作にリクエストした高野は、その意図を「公演の目玉になればという思いと、私自身教えていただきたいという目論見もありました(笑)。うちの若い子も曲自体を知らないと思うので、知ってもらう機会になれば」と語った。

晋照がシテを勤める「柑子」は、ミカンを食べる写実的な表現や、「平家物語」を引用した語り・謡など見どころの多い作品。都合により欠席した破石はテキストメッセージを寄せ、「非常に簡潔な演目でありながら、狂言ならではの面白味が濃縮された演目で、いわゆる私の『お気に入りの演目』の一つです」「かつて初めて『柑子』を見た時に、私自身が感じたような狂言のワクワクするような世界観をみなさまにも感じていただければと存じ上げます」とつづった。

万作は、万作一門の発展について「私のお弟子で一番古いのは石田幸雄ですが、その次にがんばってくれているのが今日のメンバーたち。これに続く若手も4・5人おります。私の父や、私が育ってきた野村という家において、こんなにもお弟子さんがいる時代は過去にございませんでした。そういう意味では、隆盛と言えるかもしれません」と語る。さらに万作は「以前は、10人以上が出るような曲は、別の家の人が参加して初めて成り立った。三宅藤九郎は稀曲を随分やってきましたけれども、私が20歳くらいの頃ですと、あちらの家に身体のきく者がいないものですから、側転をやらされるなどしました。ですが今は、一門だけでそれだけのものが出せる。とても幸せなこと」と喜びを噛みしめた。

%play_3697_v1%