辻村深月の愛が溢れた意欲作に 『映画ドラえもん のび太の月面探査記』に見る作家性
映画
ニュース
春の子ども向けアニメ映画興行はドラえもんで幕を上げる。
参考:『映画ドラえもん』シリーズは大人も魅了し続けるーー新作に受け継がれた藤子・F・不二雄の魂
ドラえもんシリーズ39作目の『映画ドラえもん のび太の月面探査記』が3月1日に公開された。アカデミー作品賞などを受賞し盛り上がる『グリーンブック』などの強力なライバルをかわし、公開初週の興行成績1位を獲得、親子連れのファミリー層を中心にシリーズに対する高い評価と根強い人気を証明した。
今作では水田わさびをはじめとしたおなじみのキャストが並ぶ他、広瀬アリスなどの芸能人が声優を担当している。ゲストキャラクターを担当する芸能人声優が注目を集めるのはよくあることだが、スタッフ面でも脚本を務める人気小説家、辻村深月の存在が話題を呼んでいる。この記事では辻村深月とドラえもんの関係性から、本作のアプローチについて考えていきたい。
辻村深月は2004年に『冷たい校舎の時は止まる』でデビューを果たし、2012年に『鍵のない夢を見る』で第147回直木三十五賞を受賞。2018年には『かがみの孤城』にて第15回本屋大賞を受賞するなど、人気エンタメ作家として第一線で活躍している。
大のドラえもん好きとしても知られており、長編3作目にあたる『凍りのくじら』では、各章にひみつ道具の名前を付けるなどの愛を見せている。また2009年に発売された総合文芸誌『ダ・ヴィンチ』の藤子不二雄特集でもドラえもんに対する熱い思いを語っており、長年にわたるドラえもんへの愛は辻村ファンの間ではよく知られていた。6年前にも脚本執筆の打診が来た際に1度断っているものの「ドラえもんがつないできたバトンを次世代につなぎたい」という思いから、今作の脚本を引き受けている。
では、その辻村のドラえもん愛は作中でどのように発揮されているのだろうか?
今作では物語の鍵を握るひみつ道具として”異説クラブメンバーズバッジ”が使用されている。スタンド式のマイクに異説(例えば太陽は地球の周りを回っている=天動説)が正しいと吹き込むと、そのバッジをつけている人には本当にそのような世界になるというものだ。有名な”もしもボックス”に近いが、バッジは世界に直接影響を与えるのではなく、バッジをつけている人だけが異説の世界を目にすることができるという特徴がある。
このひみつ道具はあまり聞き馴染みがないかもしれないが、ドラえもんのコミック本編でも登場している。ここでドラえもんの23巻に収録されている『異説クラブメンバーズバッジ』の回を少しだけ紹介しよう。
近所で深い穴を見つけたのび太は「地底人がほった穴だ」と主張するが、スネ夫にバカにされてしまう。いつものようにドラえもんに泣きついたところ“異説クラブメンバーズバッジ”を出してもらい、その穴の下で地底帝国を作り始める。水や光をひみつ道具で作りだし、植物を生やす他にも”動物粘土”で造形した地底世界のアダムとイブを生み出す。やがてその地底帝国は大きな発展を遂げていき、のび太はスネ夫やジャイアンに自慢するのだがーー。
今作のドラえもんの序盤はこのお話の舞台を地底から月の裏側に変えるだけのものとなっている。原作ではバッジの説明のために月の裏側に行く場面もあり、本作が月面世界を舞台とした物語となるアイデアの元となったことがうかがえる。今作ではバッジをつけている人にだけ見えるという設定が作劇に効果的に発揮されており、ドラえもんたちのピンチの際に生きる伏線ともなっている。
また、今作に登場するその他のひみつ道具にも注目したい。”どこでもドア””タケコプター”などのドラえもんを代表するひみつ道具の他に”通り抜けフープ””桃太郎印のきびだんご””空気砲””スーパー手袋”などの有名なひみつ道具が登場する。これらはアクション描写、とりわけ戦闘シーンで扱われやすい道具ではあるが、今作の監督を務めた八鍬新之介監督の映画ドラえもんデビュー作である『ドラえもん 新・のび太の大魔境~ペコと5人の探検隊~』の中でも印象深い活躍をしている。ジャングルを探検する際に危機を救う道具となり、あまりにも便利すぎるために冒険にならないと考えたジャイアンが空き地に置いていき、後々切り札のような使われ方をしているのだが、この秘密道具を選んだことも監督の過去作への敬意を込めているようにも受けとれる。
『ドラえもん』はすでに長編の劇場作品だけでも39作品公開されており、そのファン層は子どもから大人までと幅広い。そのため、『ドラえもん』を代表するひみつ道具の数々を登場させつつ、原作ファンがニヤリとする場面も出すなどの配慮を忘れていないのは、『ドラえもん』を深く愛する辻村深月の脚本ゆえだったのではないだろうか。
その内容でも辻村らしさは発揮されている。今作では”異説”という要素が物語の鍵を握るのだが、『かぐや姫』の童話も下敷きになるなど、想像力を働かせることが大事だと訴えかけてくる。さらに”異説クラブメンバーズバッジ”を単なる道具としてだけではなく、このバッジでなければ成立しない展開を用意し、ミステリー作家らしい伏線と回収もあり感動的な物語に仕上げている。
また、辻村の作品はデビュー作の『冷たい校舎の時は止まる』を始め『オーダーメイド殺人クラブ』など10代の少年少女が主人公となる作品が多いが、それは今作でも同様である。キャラクターの幼さやかわいらしさの他に、友達を思う打算のない純粋な思いが心を打つことだろう。
ドラえもん映画は他の子ども向けアニメ映画と比べても、道徳に配慮されているだけでなく子どもたちへの教育的な一面もあり、老若男女問わず誰もが安心してみることができる作品に仕上がっている。辻村は決してドラえもん映画の持つ魅力を損なうようなことはせずに、ファンと作り手の目線の両方を兼ね備えた高いバランス感覚を発揮した脚本となっている。
最後に作画・演出面について言及していきたい。
2018年に公開された『ドラえもん のび太の宝島』では今井一暁監督が語るようにアニメらしい躍動感のある動きが印象に残る作品だった。一方の今作では、動かないシーンがとても印象に残る作品となっている。
特に今作のゲストキャラクターであるルカと初めて出会うシーンでは、秋の黄色いススキの美しさと紅葉した木や夕日などの赤、暮れ行く空の青の深さのコントラストが1枚の名画のようであり、引き込まれた。
このシーンはゲストキャラクターであるルカをより印象強く観客にアピールする効果もあり、演出としても際立っているものだった。八鍬監督も辻村の書いたシナリオを読んだ時から肝だと考えており、アニメーターの手により印象に残るようにススキの揺れ方の1本1本を手書きで描き、手間のかかった描写となっている。
近年はリメイク作品も多かったドラえもんシリーズだが、今作を含めて3年連続オリジナルストーリーで制作されている。2006年の『のび太の恐竜2006』にてリメイクが始まってからは、オリジナルと作品とリメイク作品はほぼ交互に制作されてきたのだが、このリズムを崩す形となっているのも、挑戦する姿勢として高く評価したい。
(井中カエル)