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【展示レポート】『藤田嗣治 ―7つの情熱』 7つのテーマから藤田芸術を深掘り、日本人作家たちとの絆にも迫る

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20世紀前半にエコール・ド・パリを代表する画家として国際的な評価を得た藤田嗣治(ふじた つぐはる、1886-1968)の展覧会が、東京・新宿のSOMPO美術館で開幕した。画歴を時系列で追う一般的な回顧展とは異なり、7つの視点からその芸術を深掘りするとともに、関わりの深かった日本人作家も紹介することで、藤田の日本画壇への影響にも目配りした展覧会だ。

《藤田と猫》(ドラ・カルマスによる)1927年

東京に生まれ、東京美術学校を卒業後、26歳で渡仏した藤田は、キュビスムなど前衛芸術運動をはじめとした様々な影響を受けつつ、独自の芸術を模索した。第1次大戦で多くの日本人が帰国するなか、欧州に留まり、1920年代初めには「乳白色の肌」と呼ばれる裸婦像を発表して時代の寵児となる。1932年に南アメリカ経由で帰国するが、第2次大戦後に再び渡仏し、1955年にはフランスに帰化した。

今回は、その藤田が特に情熱を傾けたテーマや創作源となったものを「7つの情熱」として章立てし、その章ごとに様々な時代の作品が並ぶ構成がとられている。「カタログ・レゾネ」と呼ばれる全作品集の編集者も務めた藤田研究の第一人者シルヴィー・ビュイッソン氏の監修のもと、国内外から集められた藤田作品や資料は約130点。フランス各地の所蔵家からの出品が中心で、これまで日本であまり紹介されることのなかった作品が多いのも同展の特徴だ。

展示風景より、「1.自己表現——への情熱」(★)

7つの視点のうち、真っ先に登場するのは「自己表現」。おかっぱ頭と丸眼鏡をトレードマークに、お洒落な装いや目立った行動で強烈な印象を残した藤田は、その外観が広く知られた画家のひとりだ。そして、他者とは一線を画する自らの顔や姿を繰り返し描いた画家でもある。パリでの初個展の案内状や図録にも、自身の肖像写真を掲げている。1920年代から60年代に至る各時代の自画像が並ぶが、愛する猫の絵や身の周りの品々を描いた静物画にも藤田自身が投影されているのだろう。

展示風景より、「1.自己表現——への情熱」(★)

乳白色の肌の女性像で知られる藤田だが、「人間の裸体から新しい裸体を発見するのはむずかしい」という理由で、初期にはまず風景画や静物画に取り組み、裸体画には7年間手をふれなかったという。「風景」の章では、初期にパリで描いた味わい深い風景画から後年の風景画、さらに風景をとりこんだ寓意画などが並び、次の「前衛」の章では、渡仏直後に訪ねたピカソから影響を受けたキュビスム風の静物画が目をひく。

展示風景より、「2.風景——への情熱」(★)

「東方と西方」の章に並ぶのは、西洋の地で日本の文化を見つめ直した藤田が、日本美術の要素を取り入れて描いた1910年代後半の作品群。面相筆を使った極細の墨の線、金屏風を連想させる黄金色をはじめとした無地の背景、浮世絵を思わせる様式化された身振り、仏像のようなアーモンド形の眼、画面の平面性などは、日本の美術から再発見した特徴だ。一方で、長く伸びた首や手や、洗練された顔の線などには、親しい友人だったモディリアーニの、また球形の頭部や無駄のない形にはブランクーシの影響も見えるとか。東洋と西洋をともに取り入れた藤田が、独自の画風を確立したことがうかがえる興味深い章となっている。

展示風景より、「4.東方と西方——への情熱」(★)

「女性」の章は、やはり作品数が多く、藤田を象徴する乳白色の裸婦像も多数並んで見応えがある。藤田は何度か結婚しているが、モデルを務めた妻の存在が裸婦像の表現に変化を与えた様子も見てとれる。乳白色の肌の表現は、雪のような肌の白さゆえに藤田に「ユキ」と呼ばれていた2番目の妻リュシーに触発され、画材研究を重ねた結果として生み出されたものだ。そのリュシーと別れたのちに妻となった元ダンサーのマドレーヌは、波打つ金髪としなやかな身体の持ち主で、流麗な曲線やより自由で柔らかな構図を特徴とする裸婦像の着想源となったのだった。

展示風景より、「5.女性——への情熱」(★)

自身の子をもつことはなかった藤田だが、「子ども」も初期から描いたテーマのひとつ。純真無垢で恐れを知らず、自然に最も近い存在とも言える子どもたちを愛した藤田は、子どもに自分の理想の姿を重ねていたとも考えられるそうだ。友人の子どもたちや陶器のフランス人形などから着想を得た藤田は、晩年に近づくにつれ、空想の世界に生きる子どもの姿を描くようになった。猫を抱いた少女像や、独特の容貌をもつ子どもの姿で伝統的な職業を描いた連作など、この章は後年の作品が多い。

展示風景より、「6.子ども——への情熱」(★)

キリスト教をテーマとした「天国と天使」の章にも初期作があるが、こちらも洗礼を受けて「レオナール・フジタ」となったのちの後年の作品が多い。聖母子像を思わせる美しい作品や、晩年に没頭したランスの「平和の聖母礼拝堂」の内装のためのデッサンなど、晩年の藤田の境地が見てとれる。

「7.天国と天使——への情熱」(★)

「7つの情熱」を鍵として、ゆるやかに藤田の生涯全体をたどったあとは、藤田と関わりのあった日本人画家9名の作品が待っている。この第二部の学術面での監修は、美術史家の矢内みどり氏が務めた。登場するのは、初期の藤田とともに制作に励み、二人で共同生活をしていた時期の絵日記も残した川島理一郎や、パリ留学にあたって藤田を頼り、一時期はアトリエをともにした板東敏雄、パリで教えを受けた岡鹿之助や海老原喜之助、そして戦前のパリで親しく交流した高野三三男など。SOMPO美術館の収蔵品の核をなす東郷青児も藤田と仲が良く、1930年代には、百貨店など商業施設のために壁画の競作もしている。

展示風景より、1939年の第二回巴里日本美術家展の集合写真 藤田を中心に岡鹿之助や高野三三男の姿も見える

フランスに帰化後は日本の地を踏むことのなかった藤田だが、戦後の日本の画家たちとも交流があった。その一人の田淵安一は、海老原とともに藤田の最期を看取った。社交性に富み、面倒見がよく、教育者としても優れていた藤田の、画家とはまた別の一面を知ることのできる展観ともなっている。

川島理一郎の1915年の《絵日記》の複写パネル おかっぱ頭の藤田がたびたび登場する
左から、板東敏雄《藤田の7つの人形》1922年 個人蔵/《日本を題材にして絵を描く少女》1923年 個人蔵
左から、海老原喜之助《森と群鳥》1932年頃 三重県立美術館/《曲馬》1935年頃 平塚市美術館
左から、高野三三男《うたたね(ねむる金髪の男の子)》1930-40年 目黒区美術館/《白服のパリジェンヌ(コロンビーヌ)》1924-40年 目黒区美術館
左から、東郷青児《ビルヌーブ・ルーベ》1923年 SOMPO美術館/《自画像》1914年 SOMPO美術館


取材・文・撮影(★以外):中山ゆかり


<公演情報>
『藤田嗣治 ―7つの情熱』

2025年4月12日(土)~6月22日(日)、SOMPO美術館にて開催

公式サイト:
https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2024/tsuguharu-foujita/

チケット情報:
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2558271

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