『香取慎吾NIPPON初個展』は彼の内部へと進むひとつの探検だーー展示作品から感じたこと
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香取慎吾の日本初個展が、3月15日よりスタートした。会場は、客席が360度回転する劇場・IHIステージアラウンド東京。350名入場の各回120分の入れ替え制。展示作品の多くが撮影可能……と、聞けば聞くほど新しさを感じずにはいられない個展だ。
(関連:香取慎吾、『NIPPON初個展』への思い明かす「僕のアートには“僕”が詰まっている」)
『サントリー オールフリー presents BOUM ! BOUM ! BOUM ! 香取慎吾NIPPON初個展』というタイトルにある「BOUM! BOUM! BOUM! 」は、フランス語で「ドキドキ」という意味。見る者をドキドキさせてくれるのはもちろんのこと、香取慎吾がアートによってその脈打つ体と精神のバランスを取ってきたのがわかる。
この個展は、彼の内部へと進むひとつの探検。香取慎吾の体の中をくまなく見ていく内視鏡になったような、心の中にしまったアルバムを一緒に紐解くような、さらには夢の中に迷い込んだような不思議な感覚に包まれる。シンプルに作品を見ているだけではない、この新感覚な体験を香取慎吾のファンのみならず、1人でも多くの人に体感してほしいと素直に思った。それくらい、実験的で、尖っていて、危うくて、素晴らしい個展だ。
会場に入ると、最初に観客を迎えてくれるのは、映像ディレクターの児玉裕一によるオープニングムービー。昨年4月に公開された映画『クソ野郎と美しき世界』にも監督として参加した児玉が、香取の「自分の絵を見てもらうまでの導入として、気持ちをあげてもらいたい」という想いを汲み取った映像だ。
スクリーンを見つめていると赤、青、ピンク、黄色、緑、白のセーターを身にまとった香取が、右手から左手に歩く。客席が回転しているのか、香取が動いているのか。どこが出発点だったのか、どこが着地点なのか、だんだんわからなくなってくる。そして「芸術って?」そう繰り返し問われていくうちに、どんどん裸にされていくような感覚に。まるで私たちが常にまとっている様々な概念が、ひとつずつ剥がれ落ちていくような……。
締め付けられたものがゆるゆると解かれ、芸術も人生も自分の感じるままに楽しんでいいんだ、そんな心地よい開放感に包まれると、スクリーンの中から個展への入口が現れる。まるでコンサートのような仕掛けで、個展のオープニングを飾ることができるのは、長年ライブ演出を手がけてきたか香取ならではだろう。
観客が舞台の上に立って、飾られた作品を見ていく。1つひとつの作品に、香取のコメントがついているのが興味深い。幻想的なライティングも相まって、心の声が直接脳内に届いてくるような感覚を覚える。小学生のころからスーパーアイドルとして駆け抜けてきた香取は、よく「昔の記憶がほとんどない」と話す。「ファンのほうが自分の思い出を覚えていてくれている」とも。そんな香取だからこそ、作品も「ノータイトル」のものが多い。“なんで、これ描いたのかな“というような内容のコメントも少なくない。だからこそ、彼を見つめてきた人ならば、いろいろな記憶と繋がる瞬間もあるはずだ。
もともと利き手だったはずの左手、持病に悩まされた鼻、終わることのないダイエット……いつも明るく「みんなの慎吾ちゃん」として活躍してきた彼の中にあったと思われる様々なコンプレックスが垣間見える。怒涛の時期に描かれた作品には「負けたくない」「イエスマンにはなりたくない」「Sが好き」などメディアではなかなか語られることのなかった本音も。「ここに飾るものではなかった作品かもしれない」そんなコメントも見受けられ、こちらとしてもドキッとする場面も。だが、それでも彼は「僕を知ってほしい」と、さらけ出すのだ。
言葉にならなかった様々な思いが詰まった日記のような過去の作品たちを前に、なんだか胸がギュッとなる。その乗り越えた日々の重みを察して、香取にアートという拠り所があってよかったという思いでいっぱいだ。同時に、その葛藤や苦しみゆえに生まれた作品でさえ、私たちにとってはエンターテインメントになるというのだから、本当に香取慎吾という人そのものがアートなのだろう。
同時に近年の作品では、より自由でノビノビとした作風に変化していくのもうれしくなった。「やってみたい」が、次々と湧き出ていることがひしひしと伝わってくる。InstagramでNAKAMAと塗り絵を楽しんだ作品は、香取でなければ完成しなかった作品。好きな「目」や体全体を使った作品も印象的だ。10年ほど前から彼のもとに現れている「黒うさぎ」たちとも共生し、その存在をもNAKAMAたちと一緒に愛していく。キレイごとで片付くものばかりではない人生だけれども、それでも好きなものを信じて、「苦しい」をキャンバスにぶつけて、小さな「楽しい」をNAKAMAと手を繋いで大きくしていく。そうして模索しながら「生きること」そのものが、彼の見せたかった芸術の本質ではないだろうか。だからこそ、彼の創作意欲は鼓動を打つ限り、とどまることを知らないのだ。(文=佐藤結衣)