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“黒人スパイダーマン”誕生の背景は? 『スパイダーバース』が伝えるメッセージを読み解く

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 ハリウッドは、スパイダーマンの通過儀礼を繰り返してきた。サム・ライミ監督による『スパイダーマン』から『アメイジング・スパイダーマン』、そして『スパイダーマン:ホームカミング』まで、15年間で6本ものスパイダーマン映画が作られては主人公ピーター・パーカーの試練と成長が描かれてきた。こうした連続リブートのアルティメット版とも言える新作が『スパイダーマン:スパイダーバース』だ。ピーター・パーカーのみならず女子高生のグウェン・ステイシー、日系の未来人ペニー・パーカー、そして明らかに豚のスパイダー・ハム(元々は蜘蛛)まで、合計6人のスパイディが登場。ヒーロー飽和時代に相応しいマルチバースとも言えるが、これが大成功だった。個性豊かなキャラクター群をまとめあげるのみならず、革命的な3D表現によってコミックに没入する感覚を見事スクリーンに表出させ、スーパーヒーロー映画最高峰の評価を確立。2019年にはアカデミー賞長編アニメーション部門獲得に至る。2008年以来、この部門でディズニー作品に競り勝ったウィナーは本作だけだ。

参考:『ガルパン』『サイコパス』『スパイダーバース』も 音響監督・岩浪美和に聞く、映画の音の作り方

 6人それぞれの「あらすじ」をリズミカルに紹介する様は、21世紀に連続したスパイダーマン映画をネタにする気概を感じさせるが、本作の主人公はピーター・パーカーではない。物語を率いるのは、ピーターに使命を託された新人スパイダーマン兼アフロ・ラティーノの高校生、マイルス・モラレスだ。ナイキのスニーカーとグラフィティ・アートを目印にするこのニューフェイスの存在もあって、映画はニューヨークのストリート・カルチャーが満載になっている。なかでも若手ラッパーが揃ったサウンドトラックは出色かつ劇中も効果的に流されるため、HIPHOPムービーとしても見ることができる。まさにブラック・スパイダーマンの映画デビューに相応しい作品となったわけだが、実は、この新主人公はアメリカ待望のヒーローでもあった。

 「ピーター・パーカーは白人の異性愛者でなければならない」ーー2015年にリークされたソニー・ピクチャーズのメールには、スパイダーマン映画に関する取り決めが羅列されていた。なかでも注目を集めたのが人種規定。「肌が白い者しかスパイダーマンになれない」、そう印象づけるには十分な文章だった。この騒動以降、アメリカを中心に、非白人、とくに黒人のスパイダーマン映画を求める声が大きくなっていった。なんと歌まである。グラミー賞ノミネート経験も持つ人気ラッパーのロジックは、2017年に『Black Spiderman』をリリース。さまざまな偏見に立ち向かわんとするこの楽曲のおいて、スパイダーマンの存在はイエス・キリストと並べられている。そしてロジックは黒人版スパイディ映画を希求するのだ。「スパイダーマンはブラックになるべきだ 俺はドナルド・グローヴァーに投票するよ、グローヴァー主演でバッチリだ さぁ、もっと票を入れよう 何票も、何票も、何票も……」

 たしかにスキャンダラスなリークだったが、一キャラクターの肌がここまで話題になったのは何故だろうか。その理由を考えると、スパイダーマンというヒーローが持つとく特性にたどり着くかもしれない。

1960年代に生まれたスパイダーマンは、アメコミ界のゲームチェンジャーだった。当時主流だったヒーローはスーパーマンやバットマン、つまり読者にとっては異世界に住む筋肉隆々な成人男性だったが、ピーター・パーカーはなにもかも違っていたのである。その正体は、ニューヨークで暮らす一般的な高校生で、冴えないイジめられっ子。蜘蛛に噛まれて偶然パワーを得たあとは、ヒーロー業をこなしながら学校や仕事、家賃のことで悩んでいく。スパイダーマンは、弱さと欠点を持った、人間的なヒーローだったのである。ヴィジュアルも画期的だった。全身がスーツで隠れていて細身。筋肉隆々でなくとも、白人でなくとも、共感ができる。それゆえ、たくさんの読者がこの等身大のヒーローに自己投影していった。大衆が自分と重ねられるヒーロー、これこそ、このキャラクターがスペシャルな理由だろう。

ABC Newsによると、ピーター・パーカーの登場以来、マーベル・コミックスは「個人的な問題を抱えた人間的なヒーロー」を増やしていったという。ヒーローの証しとは、美しい筋肉でも特権的な生まれでもなく、心ーースパイダーマンは、この哲学の象徴でありつづけている。映画のたび重なるリブートも、共感を呼ぶ「若者」像の更新と捉えれば腑に落ちるかもしれない。そして2015年、例のソニー幹部メール流出事件が起こる。そこで綴られた人種やセクシャリティの制限は、アメリカで受け継がれてきた「みんなスパイダーマンになれる」という理想を破壊するものだったのである。少なくとも、映画において、私たちみんながスパイダーマンになれるわけではない。スーツを着られるのは白人男性だけだったのだ……『スパイダーバース』が公開されるまでは。

 『スパイダーマン:スパイダーバース』は、ヒーローのオリジンに立ち戻り、その理念をモダンにアップデートしている。この作品が打ち出すもの、それは「みんなヒーローになれる」というメッセージだ。2015年にマーベル・コミックスのメイン・ユニバース入りしたアフロ・ラティーノのマイルスを主人公に起用したことで、スパイダーマンは白人だけでないことを提示。パーソナリティの描写も見事だった。新しい学校に馴染めず、両親や叔父ともすれ違うこの少年は、新人スパイダーマンとして新たな仲間と出逢うことで、迷い傷つきながら成長していく。本作を「ひさびさにオリジナル性を感じさせるスパイダーマン映画」と評したVoxは、その成功の要因を新主人公の脆弱性だとしている。ただし、このアニメーションが提示した可能性は、肌の色に留まらない。『スパイダーバース』は、マルチ・ユニバースのスパイディたちを魅力的に描いたことで、人種やジェンダー、年齢、体型、さらには人間という境界まで破壊したのだ。腹が出た中年だろうと、我々はみな、今この世界でスパイダーマンになれる。

革新的な描写でキャラクターの原点をアップデートした『スパイダーマン:スパイダーバース』こそ、ニュー・クラシックに相応しい映画だ。スパイダーマンとは、ただ憧れられる存在ではない。ハートさえあれば、我々はみんなヒーローになれる、そう教えてくれるシンボルなのだ。この強烈なメッセージは、マイルスがコスチューム・ショップでスパイダー・スーツを購入するシーンに象徴されているだろう。当該シーンに登場したスタン・リーは、自分はヒーローに相応しくないと感じている世界中のファンに語りかけるように、スーツのサイズを気にするマイルスへこうアドバイスする。「今は合わなくても、きっとピッタリになるさ」。(文=辰巳JUNK)