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オリヴィエ・アサイヤス監督作「季節はこのまま」に今日マチ子、柴田聡子らコメント

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「季節はこのまま」場面写真

オリヴィエ・アサイヤスが監督・脚本を担ったフランス映画「季節はこのまま」。このたび、同作を鑑賞した著名人8名よりコメントが到着した。

「季節はこのまま」の舞台は、新型コロナウイルスによって外出が制限された2020年4月。映画監督の兄ポールと音楽ジャーナリストの弟エティエンヌは、交際し始めたばかりの恋人とともに子供の頃暮らした郊外の家で閉鎖的な生活を始める。“止まってしまった”時間の中で、彼らは不安を抱えながらも愛と人生の新たな側面を発見していくのだった。ヴァンサン・マケーニュがポール、ミシャ・レスコーがエティエンヌを演じ、ポールの恋人モルガンにナイン・ドゥルソ、エティエンヌの恋人キャロルにノラ・アムザウィが扮した。

マンガ家の今日マチ子は「鍋にこびりついた焦げをこすり続けるみたいに、ひたすら問う。ロックダウンの時間だ。ふと目を上げると、季節は変わっていた。コロナの数年。あの時間がなければ、私たちはきっと、永遠に驕ったままだっただろう」と吐露。シンガー・ソングライター / 詩人の柴田聡子は「無心に巡る季節や風がずっときちんと生き生きうるさかったことを、それに負けないくらい、私たちもなんとか暮らして迷いながらうるさかったことを思い出しました」とつづった。そのほか写真家の草野庸子、ダウ90000の中島百依子、ミュージシャン・文筆家の猫沢エミらのメッセージを後掲している。

「季節はこのまま」は、5月9日より東京のBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか全国で順次ロードショー。

小川公代(英文学者)コメント

ロックダウンの春は美しかった。モクレンの花も燃えるように咲いていた。
コロナ禍になり、罪悪感なく家族と過ごせる濃密な時間を手に入れた兄弟と恋人たちの生活が切々と、ときにコミカルに伝えられるオリヴィエ・アサイヤス監督の自伝的な映画。
それまでバラバラに暮らしていた潔癖症の兄とそうでない弟が少年時代の記憶をよみがえらせながら“変わるものと変わらないもの”に気づかされていく。まさにロメール映画のような瑞々しさ!

今日マチ子(漫画家)コメント

鍋にこびりついた焦げをこすり続けるみたいに、ひたすら問う。
ロックダウンの時間だ。ふと目を上げると、季節は変わっていた。
コロナの数年。あの時間がなければ、私たちはきっと、永遠に驕ったままだっただろう。

草野庸子(写真家)コメント

時が止まって成長し切ったようにみえる森もひっそりとしたスピードで変わり続けていく。
土や石の下で根は張り続け、花が咲いては枯れ種が落ち新しい息吹となる。
時間は前へ前へとしか進まないが、人のかつて所持していた物や記憶、例えば匂い、風だったりでふと一瞬過去がすぐ隣にくることがある。
そんな時に感じる冷たさとあたたかさどちらもを思い起こさせてくれる映画だった。

楠本愛(東京都現代美術館学芸員 / デイヴィッド・ホックニー展キュレーター)コメント

芸術の源は「愛」と語るデイヴィッド・ホックニーの絵画のように、
ただそこにある世界がどれほど美しいかに気づかせてくれる映画。
生き生きと描かれる日々の光に照らされながら、「あの春」の私たちが、いま救われる。

柴田聡子(シンガー・ソングライター / 詩人)コメント

あの日々は静かだったと記憶していた。
しかしこの映画を観て、無心に巡る季節や風がずっときちんと生き生きうるさかったことを、それに負けないくらい、私たちもなんとか暮らして迷いながらうるさかったことを思い出しました。

中島百依子(ダウ90000)コメント

遠いフランスの自然の中に、あの時の自分を感じるなんて。同じを見つけるたびに、心が軽くなりました。
息苦しい期間だったけど、そこにあった日常を思い出させてくれて、それを忘れていたのは寂しいなと、切り離さずに持っていようと思えました。

猫沢エミ(ミュージシャン / 文筆家)コメント

《On se connaît trop, on se connaît plus. ―互いを知り過ぎていると、何も知らない。》
パンデミックというディストピアで、ふたたび向かい合う兄弟が見つけた心のユートピア。

ISO(ライター)コメント

未知なる病で日常がひび割れ、あらゆるものが断絶された5年前の世界。
インテリたちのどこか楽園めいたステイホームは我々の当時と乖離があるが、
顕在化した隣人とのわかりあえなさと、それでも他者との関わりを欲するその感情は確かに覚えがあった。

©Carole Bethuel