ライター・西森路代が語る“何も起こらない”日本ドラマの魅力
映画
ニュース

西森路代
ドラマについて取り上げる連載「ナタリードラマ倶楽部」。Vol. 17となる今回は、今年3月に発売された書籍「あらがうドラマ 『わたし』とつながる物語」の著者であるフリーライター・西森路代のインタビューをお届けする。
さまざまなドラマを分析・批評する中で、“何も起こらない物語”は日本の強みだと語った西森。主人公が何かを成し遂げるわけではなく、ただこれからの生き方を考えたり、結婚などに縛られずに今を生きていたり──そんな淡々とした日常を描く物語の元祖は小津安二郎作品だという指摘も。韓国エンタメにも造詣の深い西森の視点で、日本以外でもスタンダードになりつつある“何も起こらない物語”の魅力を紐解いていく。
取材・文 / 脇菜々香 撮影 / 尾崎南
西森路代(ニシモリミチヨ)プロフィール
愛媛県生まれのフリーライター。主な仕事分野は韓国映画、日本のテレビ・映画についてのインタビュー、コラム、批評など。著書に「K-POPがアジアを制覇する」「韓国ノワール その激情と成熟」、共著に「韓国映画・ドラマ──わたしたちのおしゃべりの記録2014~2020」などがある。
西森路代 (@mijiyooon) | X
“何も起こらない物語”の元祖は小津安二郎?
──西森路代さんの著書「あらがうドラマ 『わたし』とつながる物語」の中では数々のテーマが取り上げられています。その中でも「団地のふたり」(2024年)などにフォーカスした章「たたみゆく暮らし」に書かれていた「『何も起こらない物語』は、日本の物語の強み」という視点に興味を持ち、今回取材を依頼させていただきました。中年期・老年期の主人公が何かを成し遂げるわけではなく、これからの生き方を考えたり結婚などに縛られずに生きていたりするドラマが増えている印象ですが、その背景について西森さんはどう考えていますか?
日常を描く作品はいつの時代もあったと思いますが、私自身は数年前から「この登場人物たちの暮らしがフィクションの中だけじゃなくて、終わってからも続いているようなものがいいな」と思ってドラマを観るようになりました。この話をしていると思い出すのは、バカリズムさんが脚本を書かれた「架空OL日記」(2017年)。本当にありそうな意味のない会話劇で、ちょっとSFっぽいところもあって、ずっとあの世界が続いてほしいなと思いました。自分にとっても印象的だった出来事です。
──確かに、それまであまりなかった表現のような気がします。西森さんは韓国のエンタメにも詳しいですが、淡々とした会話劇や“何も起こらない物語”は日本特有の文化なのでしょうか?
韓国の人がそれをよく指摘してくれます。20年前ぐらいから、韓国の監督の皆さんが「日本の、淡々とした日常だけを描いているのに何かが残る作品はすごくいい」と言われていますし、大学で勉強してきた俳優さんたちも、岩井俊二監督の作品や、古くは小津安二郎作品のことを話される。その感覚をはっきり目の当たりにしたのが「チャンシルさんには福が多いね」(2019年)という韓国映画です。監督志望のヒロインが気になる男性と飲み屋で話しているシーンで、彼から「(小津安二郎の「東京物語」は)少し退屈でした。何も起こらないから」と言われ、「いけませんか? 日常の中にこそ大切なものがあります。そのすべてが詰め込まれた映画です!」と怒るセリフがある。それは、私が取材で聞いていたこと、そのものでした。韓国の映画人にはそういう感覚がやっぱりあるのだと思ったし、それは小津安二郎からきている部分もあるんだなと思いました。
──日本人は知らず知らずのうちになじんでいたんですね。
バカリズムさんの作品が生まれるもっと前の、ホームドラマでのなんでもない食事シーンなんかも当てはまると思います。韓国の人たちはドラマを作る際には三幕構造をしっかりさせたうえで発展させたりして、場面場面で面白くするための技術を使ってきたから、“淡々としているのに面白い作品”というものに挑戦したいという気持ちがあるのだなと思いました。もちろん、韓国でもホン・サンスなんかはそういう作風なんですけど。
──お話の中で、日本のどんな作品が例に挙がるのでしょうか?
以前であれば岩井俊二監督の映画「Love Letter」(1995年)、最近だと全員と言っていいぐらい、三宅唱監督の映画「夜明けのすべて」がよかったと言いますね。あとは2025年、顕著なのは韓国での「孤独のグルメ」ブームです。今まで日本の作品が韓国に渡っても“ちょっと話題になってるな”ぐらいだったんですけど、「孤独のグルメ」は本気で人気があると思います。韓国では昔から1人で食べる習慣(孤食)があまりなかったり、1人で食べるお店が少ない(みんなで食事をする文化が根強い)とある時期までは言われてきたので、おじさんが1人で黙々と食べる何も起こらないドラマを観ると「そういう自由もあるんだ」と癒やしになるのかなと。「深夜食堂」シリーズに関しては韓国でもミュージカルにもなるくらい人気があって(笑)。1人で食べる描写や深夜に食べる姿から、寂しさや孤独を受け入れながら生きていることがしみじみと感じられる。日本では当たり前だと思っているけど、ちょっと珍しくて自由な雰囲気に感じるのだと思います。
2010年代半ば、韓国でヒーリングドラマが増加
──そんな中、韓国ドラマでも“何も起こらない物語”が増えているそうですね。
韓国では「大丈夫、愛だ」(2014年)とか「キルミー・ヒールミー」(2015年)などをきっかけに、2014年ぐらいから“ヒーリングドラマ”がはやり始めました。「椿の花咲く頃」(2019年)や「私たちのブルース」(2022年)といった、主人公が海辺の街や田舎町に行って疲れた心を癒やすようなドラマが増え、それはコロナ禍でさらに加速しました。「私の解放日誌」(2022年)のように日常のそこはかとない生きづらさとどう向き合うかを描く作品も多くなったと感じます。イム・シワンさんが主演した「なにもしたくない~立ち止まって、恋をして~」なんて、タイトルで“何もしたくない”って言っているくらいです(笑)。
──そもそもですが、西森さんがおっしゃっている“何も起こらない物語”の定義は?
何も起こらないっていうのはつまり、ちゃんと日常が描かれているということ。わかりやすく言えば、話を盛り上げるためのフックとしての事故や事件や死が出てこない感じですね。 韓国は中高年にもいい俳優さんがいっぱいいて、イ・ジョンウンさんやラ・ミランさん、キム・ヒエさん、キム・ヘスさんといった50代以上の方が主人公の作品もけっこうあるのですが、政治ものや医者ものなど、主人公がバリバリ活躍したり“できる人”みたいな設定のものはまだまだ多い印象です。そんな中生まれた「今日は少し辛いかもしれない」(2022年)は、映画「シュリ」(1999年)のハン・ソッキュさん演じる夫が病気になった妻にごはんを作ってあげるという淡々とした食事ドラマで、“テレビ東京っぽい”印象でした。なにより、タイトルがいいですよね。病気や余命の話も要素として大きいので、その(テレビ東京っぽいという)感覚で観るとちょっと劇的な要素も感じるかもしれませんが。
──日本に、何も起こらない日常を淡々と描くドラマが多いのは、小津作品のほかテレビ東京のドラマの影響も大きい気がします。
2000年代初頭に「冬のソナタ」がはやったとき、日本では「“赤いシリーズ”だ」って言う人が多かったんですよ。赤いシリーズっていうのはTBSと大映テレビが共同で1974年から1980年にかけて制作・放送していたサスペンスドラマシリーズ。
──「赤い疑惑」「赤い衝撃」といった作品ですね。
山口百恵さんや三浦友和さんが出演していたのですが、子供の取り違えや生き別れなど劇的な出生の秘密が出てくるし、そういう作品を昭和の頃にいっぱい作っていた時期が日本にはある。大映ドラマには小泉今日子さん主演の「少女に何が起ったか」(1985年)なんて作品もあったんですよ。そのあと、日本の作り手や視聴者はこういった激しい作品から徐々に脱却していく中で、赤いシリーズのような作品はなくなってきていたけど、急に「冬のソナタ」(2002年)がやってきて「えー! 昔観たやつ!」と。既視感があっただけじゃなくて、「そうは言ってもこういうのも観たかったんだ」という感じで、懐かしくてハマった人も多かったんですね。韓国には今もドロドロの愛憎劇など衝撃的なジャンルの“マクチャンドラマ”というものがありまして、日本で放送中の日韓合作ドラマ「魔物(마물)」なんかも当てはまると思います。日本で言うと、今はなくなりましたが“昼メロ”みたいな感じです。そういうものもありつつ、日常を描いた淡々としたドラマもたくさん作られるようになってきました。
「寂しさ」を“生きていく中で当たり前に訪れる出来事”として描く
──西森さん自身は、何も起こらない物語のどこに魅力を感じていますか?
気負わずに観られるというのはありますね。小泉今日子さんと小林聡美さんが出演した「団地のふたり」は、主人公たちが自分たちと地続きの世界を生きているような描かれ方で、観ていてすごく楽しかったし、疲れないし、ずっとこの世界を観ていたいと思わせるものがあります。
──著書には「団地で作られる関係性に癒されつつ、ふと『寂しさ』もよぎる」とも書かれていました。物語における“寂しさ”は、描き方によってシリアスな方向に物語を進める可能性もありますが、癒やしと寂しさを両立している理由はなんだと思いますか?
やっぱり日常は続いていくので、寂しさだけに焦点が当てられるのではなく、この先にいつかそういうことがある、みたいな形で示唆するくらいにとどめられていることかなと思います。「団地のふたり」も「阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし」(2021年)も、最近だとNHKのドラマ10「しあわせは食べて寝て待て」にしても、自分たちのコミュニティの中で誰かが亡くなってしまったり、いなくなったり、いつかは死んでしまうんだろうな、ということが示唆されていますよね。生きていく中で当たり前に訪れる出来事として触れられるだけであって、直接的に「余命何年」とかは出てこない。「団地のふたり」で言うと、ベンガルさん演じる団地のご意見番の弱った面が表れることで、それまではわからなかった人間的な部分が見えるのも面白かったです。
──その人だけに起こる特殊な状況や病気などではなく、誰もがいずれ経験するであろうことのほうがほんのり寂しさを感じるのかもしれませんね。
放送中の「続・続・最後から二番目の恋」での小泉さんの役には、テレビプロデューサーとして第一線で働いてきたけれど、60歳が近付いて、会社で立場は上になっても今や戦力として見なされてない悲しさみたいなものがある。中井貴一さん演じる市役所の指導監は、定年後に再任用されている立場なので、年齢によって自分の可能性が狭まれているように感じている。「でも、自分はまだまだやりたいんだ、やれるんだ」と思っている感じが、あらがってる感じで妙に沁みるんですよね。「しあわせは食べて寝て待て」は、膠原病にかかり生活が一変した麦巻さとこ(桜井ユキ)が主人公ですが、「週4日パートでは働けるけれど、かといって皆と同じようにはいかない」ということから始まります。今までなら病気の重さや余命などが取り沙汰されがちだった中、見えにくかった1人ひとりの生きづらさに焦点を当てるような作品も多くなっている気がします。
──「しあわせは食べて寝て待て」では、給料日に素直に喜べず、支出を考えて落ち込んでしまう、という描写もあります。“貧困”とまではいかなくても、切り詰めて生活する人のリアルを描いた作品がNHKにはありますよね。
野木亜紀子さんの作品にも、(給料の)手取りの話や労働についての話がよく出てきますし。テレ東の食事ドラマで言うと、「晩餐ブルース」(2025年)には晩活(=晩餐活動)をするという大きな枠組みがありながら、現代を生きる大人たちがいかに“普通に日常生活を送っているように見えても、実際には気付かないうちに疲れているか”の解像度がめちゃくちゃ高かった。これも、“何も起こらない”ドラマに入ると思うんですが、そういうちょっとしたリアリティで面白さが変わってくるなと思います。
もっと東京以外に住むいろんな人の話があるといいな
──西森さんが今、「何も起こらない」「疲れない」ドラマの中でもこういう物語が観たい!という作品はありますか?
私が地方出身で、30歳を過ぎて上京したということもあって、地方に住む人の暮らしや気持ちに焦点を当てた話が観たいと、周りにも話しています。田舎から上京したい人の話や、地元に残っている独身の女性の話など、東京以外に住むいろんな人の話があるといいなと思います。ヒーリングドラマの部分があってもいいけど、そうじゃない部分も描かれてほしいと思います。田舎=ヒーリングっていうのも、住んでいる人からするとちょっと安直だと感じるのではないかと思うので。
──最後に、ドラマを普段から観る人と、あまり観ない人それぞれに向けて、“何も起こらないドラマ”のお薦め作品を教えてほしいです。
さっきも話題に出ましたが、「晩餐ブルース」はお薦めしたいです。1話からよかったけれど、3話くらいから「おー!」と思うことがあったので、まだ観てない人がいたらぜひ観てほしい。「日常の中にこそ大切なことがある」と思わせてくれる作品です。
──ドラマをあまり観ない人には、どんな作品を薦めたいですか?
やっぱりバカリズムさんなんじゃないですかね。全話しっかり面白い。私はこの前の「ホットスポット」(2025年)より「ブラッシュアップライフ」(2023年)が好きだし、それよりも「架空OL日記」が好きなんですよ。本当に日常会話が面白いし、ときどき出てくる毒っ気のある会話も面白かったです。女性の毒っ気って、ステレオタイプ化されて消費される感じがあるけど、「架空OL日記」はそうじゃないんですよね。あの作品で第36回向田邦子賞を獲っていますし、お笑いが好きな人も、普段ドラマを観ない人も入りやすいかなと思います。
刊行記念イベントではゲスト・小泉今日子とドラマトーク!
去る2025年5月1日に、東京・本屋B&Bで西森路代×小泉今日子「代田のふたり ~日本のドラマを語る夜~」を開催。イベント内容のレポートは追って映画ナタリーで掲載する。
書籍「あらがうドラマ 『わたし』とつながる物語」
西森路代著、303BOOKS、264頁、税込1870円
日々目まぐるしく変化する価値観や社会のあり方を敏感に捉えた日本のテレビドラマ 23作品が厳選され、「組織と労働」「恋愛の現在地」「性加害」「たたみゆく暮らし」などをテーマにさまざまな切り口で紹介。連続テレビ小説「虎に翼」の脚本家・吉田恵里香との特別対談も収録されている。