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「テレビマンが作るドキュメンタリー映画」#5:五百旗頭幸男(石川テレビ放送)

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五百旗頭幸男

近年、注目を浴びているテレビ局発のドキュメンタリー映画。連載コラム「テレビマンが作るドキュメンタリー映画」では、普段はテレビ局のさまざまな部署で働く作り手に、会社員ならではの経歴や、テレビと映画の違い・共通点をテレビマン目線で語ってもらう。

第5回では、富山市議会の不正を暴き話題となった「はりぼて」、社会に偏在する家父長制の徴をあぶり出した「裸のムラ」で知られる石川テレビ放送の五百旗頭幸男(いおきべゆきお)にインタビューを実施。アナウンサーになる予定が営業部に配属された新卒の頃や、ドキュメンタリーにおけるやらせと演出の違い、取材対象者との緊張関係を作るための“駆け引き”について聞いたほか、5月17日から全国で順次公開中の「能登デモクラシー」についても語ってもらった。

取材・文・撮影 / 脇菜々香

アナウンス試験で採用されたのに営業部配属

──まずは五百旗頭幸男監督が放送局に入社してからの経歴をお聞きしたいです。新卒では富山のチューリップテレビに入社されたんですよね。

そうです。就活時はアナウンス試験で受けたんですけど、入社前に「営業に行け」と言われ、最初の2年間は「はりぼて」の共同監督である同期の砂沢(智史)と一緒に営業部で働いていたんです。2年目の終わりに「そもそも営業するために富山に来たんじゃないし、ずっとこのままなら辞めます」と社長に言いに行きました。

──2年目ですごい度胸ですね!(笑)

全員総合職採用ではあるんですけど、僕はアナウンサーの最終試験に受かっていたので「なんで営業なの?」と思うじゃないですか。1年目は本当にふてくされていて、上司にも悪態ばかりついていじけていました。1年間「いつ辞めてもいい」みたいな感じで働いていましたが、さすがにそのときの上司に「このままだったら報道に行けないよ」と怒られて我に返り、2年目は心を入れ替えてがんばったんです。そしたらそれなりにスポンサーを新規開拓できて、結果が付いてくると楽しいなと。だけどこのまま営業部に居続けるというのは違うと思ったので、3年目を迎える前の面談で社長に「報道に行かせてもらえなかったら辞めます」と直訴したら「わかった。じゃあもう行け」と言われ、2005年の春から退職する2020年まで報道部にいました。

──そもそもなぜアナウンサー志望だったのでしょう。

僕は6人兄弟の末っ子で、中学1年生になるまで家にテレビがなかったんです。ずっとラジオのスポーツ中継を聴いて育ったので、スポーツ実況をしたいという憧れからです。専門的なアナウンス学校には行っていなかったのですが、NHKなど大きい局に入ればちゃんと研修してもらえるだろうし、「俺のポテンシャルだったらどこでも採ってくれるやろう」という考えで受けたら、当然そんな甘いわけはなくキー局から順番に落とされていって(笑)。たまたまチューリップテレビが拾ってくれたけど、僕は訓練も受けていなかったし関西訛りもあるから、アナウンサーにしなかったのは真っ当な判断だと思います。当時は許せなかったけど(笑)。

──ご出身は兵庫なのに、なぜ富山の局を選んだんだろう?と思っていましたが、そんな事情があったんですね。3年目で報道部に行ってからもいろいろ経験されたとのことですが。

2005年に異動して、最初の4年ちょっとはスポーツ担当でした。2006年からはスポーツキャスターもやらせてもらったんです。アナウンサーとしてのキャスターではなく記者キャスターですが、高校ラグビーの決勝戦ではスポーツ実況もしました。やりたかったことなので念願叶った形ではありましたが、大阪のMBS毎日放送へ研修に行くと一線級のアナウンサーの横でしゃべらされたりして(笑)。このレベルに到達するのは絶対無理だなと悟りました。

──報道部の記者がスポーツ実況……! なかなかハードな環境ですね。

高校ラグビーの実況は3回ぐらいさせてもらったんですけど、その頃には学生時代のアナウンスに対する思いがなくなっていて。あと、スポーツキャスターとしてスタジオでカメラ前に立ったときに本当に笑えなくて……。才能ある人は何も意識せずにナチュラルな笑顔を作れるけど、僕は3年間引きつり続けました。同時に、異動した1年目からドキュメンタリーを作る機会に恵まれ、高校ラグビーの全国大会(花園)に出るチームの応援番組や、春の選抜に出ることになった(富山県立)高岡商業高等学校の番組を担当したんです。2年目からは日々のスポーツニュースや特集の取材もしつつ、「@スポ天」という5分枠のスポーツバラエティ番組を毎週ほぼ1人でやっていたので、編集は鍛えられましたね。スポーツ担当のあとは、県西部の6つの自治体すべてのニュースを担当する高岡支局に3年ほど行き、その時期に起きた“焼肉酒家えびす食中毒事件”のドキュメンタリー番組も作りました。支局の次は本社に戻って県警キャップを2年ほど務め、そのあと県政も担当し、夕方ニュースのメインキャスターを4年間務めてチューリップテレビを去るという流れです。

──ニュース番組のキャスターには、記者の方がなることが多いのですか?

チューリップテレビでは、男性は僕の前任者も記者キャスターでした。僕はずっと断り続けていたんですが、2016年に当時の局長に「これは決定事項だ」と任命されたんです。条件として「ドキュメンタリーの取材があるときは夕方のニュースを休ませてください」と伝えたら、それでもいいと言ってくれて。「沈黙の山」(※)というドキュメンタリー番組で立山の取材をしたときは、1週間ぐらいキャスターの仕事を休みました。アナウンス職の後輩からは「キャスターとしての自覚を持ってください」と怒られましたけど(笑)。もちろん与えられた仕事はやりますが、もうその頃には一番やりたいことがドキュメンタリーになっていたので。

※立山黒部の世界ブランド化構想に疑問を投げかけたドキュメンタリー番組。2019年日本民間放送連盟賞教養部門優秀賞、第56回ギャラクシー賞選奨を受賞

ある程度の期間取材し続けないと、本質は見えてこない

──チューリップテレビ時代に制作された初の劇場公開作「はりぼて」をはじめ、五百旗頭監督の取材には“当たり前に明らかにすべきことを当たり前に問う”という静かな覚悟を感じます。どういう基準でネタを見つけたり、取材対象者を決めたりしているのでしょうか。

「はりぼて」に関してはそもそも政務活動費の不正受給が起こっていたのがきっかけです。当時、富山市議会で議員報酬を引き上げる条例案が進められていたのですが、これは要するに富山市議がもともと月に60万円もらっていた中、石川の金沢市議が70万円に上げたから、「自分たちも金沢と同じレベルの仕事をしてるんだから10万円上げる」というもので、たいした理由はなかったんです。それに対して僕らはおかしいと思い「いかほどの仕事をしているのか」と政務活動費を調べていったら、次から次へと不正が見つかった。あそこまでいくと当然番組になりますよね。「はりぼて」に関しては僕の意思で番組を作ろうとしたというより、チューリップテレビとしてやらなければならないというところが大きかったです。

立山黒部の世界ブランド化構想について取材した番組「沈黙の山」は、もともと日々のストレートニュースの中で県の会議を取材したときの違和感が出発点です。1回会議を見ただけで、結論ありきで物事を進めようとしているのがわかっちゃったんですよ。立山黒部アルペンルートを通年営業するというのが当時の富山県知事の構想だったんですけど、山小屋の人たちや県警の山岳警備隊の人たちからすると荒唐無稽な話。だけどそれが突き進みかけていたので、「これはおかしい」と思い取材に入りました。ほかのメディアは特に疑問を呈しておらず、たまたま取材しているのが僕だけだった。

──五百旗頭さんは、そのあたりに関する同業他社への疑問もあるのでしょうか。

ありますね。その構想に対しても「素晴らしい」という論調で書いていた地元紙があって。地元の大きな新聞社が持ち上げていたら、多くの県民が「いい構想なんだ」と思うじゃないですか。そういうときに逆側から物事を捉えるのは僕らの一番大事な役割だから、そこに忠実に仕事をしただけで、特別なことをしようとしたわけではなかったです。取材の出発点として、ささいな違和感があるときに受け流さず、立ち止まってちゃんと考えてみること、「これまでずっとやってきたことが常に正しいわけではない」という前提で物事を見ること、あとは多様な視点を意識しています。そのうえで自分のフィルターに引っかかったものが番組になることが多いですね。

──テレビ局の報道記者は、日々そのエリアで起こるさまざまなことを取材しないといけないので、1つのことを追い続けるのはかなり難しい環境だと思っていて。五百旗頭監督は「最後まで取材する」という環境を自ら作り出しているんだなと。

新聞記者もそうですが、報道の現場は日々忙しくて、大小さまざまなニュースをさばくためにみんなが駆けずり回っている。そんな中で長期的な視点を持って物事を捉えるとか、ちょっと違う角度で見てみようという思考があまり働いてないのがわかるわけです。僕がチューリップテレビにいたときは、報道部でキャスターをしながら日々のニュースの取材も行くし、特集も作るし、その中で「これは番組にできるな」という題材を番組にしていたんですけど、今は石川テレビ放送でドキュメンタリー制作部という専門部署にいるので、(日々のニュースのための)報道の仕事は全然やっていない。今の自分の役割って、報道部の一記者としてストレートニュースや特集を作ることじゃないと思っていて。今回の「能登デモクラシー」で言うと、能登半島地震の1年前から約2年間というロングスパンで石川・穴水町を見続けてきた記者って僕しかいない。ある程度の期間続けないと本質や大事な部分は見えてこないし、自分は今ドキュメンタリーに特化して取材できるので、(他社と)差別化が図れるこの環境は大いに生かすべきだと思って動いています。

“やらせと演出の違い”を提示し、視聴者を揺さぶる

──2020年に石川テレビ放送に移籍されてからは、2本のドキュメンタリー番組「裸のムラ」と「日本国男村」から生まれた映画「裸のムラ」も制作されました。全然違う境遇の人たちを取材して見えてくるものがありすごく面白かったのですが、その中でも監督自らの言葉で“やらせと演出の違い”について話されていたのが印象的でした。

やらせっていうのは、まったく起こり得ないこと(を強要すること)。例えば、「裸のムラ」のそのシーン(※)で言うと、バンライファーの秋葉さん夫妻は何度も(石川・)千里浜に行っていたけれど、その場面を撮れていなかったので、穴水町を離れる前に改めて行ってもらえませんか?と“状況”をこちらでセッティングしました。そこで「2人で喧嘩してください」とか「こういうふうにしゃべってください」と言うと完全にやらせですけど、あくまでも僕は、彼らが普段からやっていることと同じ状況を作っただけ。それは演出の域だと思います。それ以上はなんの指示もしないし、何が撮れるかもわからない。

※バンライファーの秋葉夫婦のインタビューを千里浜で撮影した五百旗頭に対し、夫の秋葉博之が「五百旗頭さん、演出が入り出したからこれはドキュメンタリーじゃないね」と発言。五百旗頭は「その認識は間違っているんです」と切り出し、演出とやらせの違いを説明する

──作品の中で作り手側がそこに言及しているのは初めて観ましたが、なぜこのシーンを入れようと思ったんですか?

観ている人に揺さぶりをかけたかったからですね。僕らが作るものはノンフィクションですが「被写体はカメラを向けた瞬間に演じるもの」という前提のもと観なければならない。そもそもそこに映っているものは監督の僕が切り取った現実をもとに“再構成した真実”なわけで、みんなにとっての“絶対的な真実”じゃないですよね。映像作品におけるこの認識がそもそもない人が多いのはわかっていたので、そこに揺さぶりをかけたかった。ちょっと不思議に思うシーンかもしれないけど、じゃあそれ以外のシーンはどうなんですか?って話ですよね。

──確かに……。逆になぜそれまでのシーンはすんなり観ていたのかな?という視点に立ち返るというか。

フィクションとノンフィクションの境目は本当にあいまいだということが表れたところかなと思います。こっちは被写体がありのままでいられるわけがないという前提で撮っているし、観る人もその前提は少なからず持つべきなんじゃないかと。それがないから、ちょっとしたことでも“やらせ”という話になってくる。

──もう1つ「裸のムラ」で聞きたかったのが、テレビ局のアーカイブ力についてです。現石川県知事の馳浩さんをはじめとする公人の昔の映像がたくさん使われていました。

そうですね。チューリップテレビはアーカイブがテープで管理されていたので確認が大変だったんですが、石川テレビでは全部データ検索ができて、画面上で映像も確認できる。過去の映像を観ていくと、(石川出身の)森喜朗さんが総理大臣になったときの映像も出てきて。「こんなお宝が残っているのなら使おう」となりますよね。

──ドキュメンタリーを作る幅が格段に広がりそうですね。

取材対象者の過去の映像があるのなら、それは一度確認したほうがいい。(映画には使っていない映像も)たくさん観たうえで「これはストーリーを紡げる」と判断した素材を選んで構成したのですが、映画のプロデューサーである米澤(利彦)さんからは「こんなにライブラリーを観るのはお前ぐらいしかいない」と言われました(笑)。テレビ局員でもライブラリー映像の価値に意外と気付けてないというか、活用しようという余裕がないのかもしれないですけど、これはけっこう貴重ですよ。昔にさかのぼればさかのぼるほど、ドキュメンタリー番組になったものは元素材から残っていたことにもびっくりしました。アーカイブ力は、テレビ局でドキュメンタリーを作るときの強みの1つですね。

一定期間、あえて全然インタビューしない

──そして現在、最新作「能登デモクラシー」が全国順次公開中です。穴水町の人々の営みや、役場と町議会の関係のいびつさも映し出す作品ですが、政治やムラ社会の不正や忖度に斬り込んだ前2作とは少しトーンが違ったのが印象的でした。町の未来のため手書きの新聞「紡ぐ」を発行し続ける元中学校教師・滝井元之さんの存在もあり、最終的には希望を感じられる作品でしたが、後半ハッとさせられる展開も待っていました。

町長を追求したシーンですね。それと対になる最初の“ある問題のシーン”は、どう扱うか自分の中でずっと考えていました。2024年の元日に震災が起こることはもちろん予想していなかったですし、同年5月の番組放送時はまだ復興計画策定委員会が立ち上がったばかりで、この段階では問題のシーンの素材は完全に宙に浮いていたんです。ただ、去年から今年にかけて兵庫県知事選挙の問題やフジテレビの問題が表沙汰になり、僕らもメディアとして何を伝えるべきか柔軟に考えていかないと、本当に市民から信頼されなくなるという危機感があり、映画版の制作途中で「やっぱりあのシーンは使うべきだ」と思い始めました。

──そんな直近で追加されたシーンだったんですね。

映画用の追加取材を進める中で、なれ合っていた役場や町議会の雰囲気が徐々に(いい方向へ)変わっていくのを感じながらも、本質的には変わったと思えずにいました。だからこそ、本当にこの町は変われるのか?と映画で問いかけようと思ったんです。(問題のシーンの)映像をはじめとする強烈なファクトを吉村(光輝)町長に突き付けたときに、どう対応するのか。そこに彼の政治家としての本質が見えるだろうし、彼が変わるのか、町が変わっていけるのかが浮かび上がるんじゃないかと考え、町長のインタビューを撮りに行きました。それらのシーンを入れずに映画を終えることで「震災を経ていい町に変わっていくんだな」みたいな描き方もできますけど、リアリティがないじゃないですか。でも、希望は残したかったんです。

──“希望を残す”のは意識的だったんですね。

すごく意識しました。これは過去の2作とはかなり違った部分ですね。特に「はりぼて」の最後は絶望的ですから(笑)。今回なぜ希望が残るような表現になり得たかというと、僕らが地域メディアとして「このあともちゃんと取材していきます」というスタンスを明確にしようとしたから。「そのうえで町長にも期待してますよ」ということを伝えたかったんです。ダメな部分もあるけど、震災後に彼が町長としてやってきたいろいろな政策に関しては評価すべきだと思っていたし、もしかしたら僕らが取材を続けていく中で本当に変わる可能性もあるじゃないですか。そこを余白にして希望を感じられるようにしました。

──町長を追求したインタビューシーンもそうですが、作品の中で監督自身がカメラの前に立つこともありますよね。それはどんな基準で判断しているんですか?

普段テレビメディアが入らない場所に入っていくことによって、ハレーションや“アレルギー反応”が起こるのは目に見えていますが、そこに介入した張本人を映し込まないのはフェアじゃないと考えています。吉村町長を問い質すインタビューシーンでも、彼の驚いている顔だけ映すやり方もありだと思いますが、果たしてそれがフェアか……こっち側の姿勢も問われなければならないと思うので、そこを隠すのはずるい。また、緊張関係も含めて見せることで映像の迫力が増すと思うので、1つの要素(五百旗頭の姿)を抜いてしまうと映像がその分弱くなるというのもあります。ニュースの取材だったらすぐ個別インタビューをすると思うのですが、僕がドキュメンタリーを作るときは、一定期間、あえて全然インタビューしないとか、囲み取材に行かないというやり方をするんです。今回も震災後の取材期間は特にそこを意識しました。

──あえて取材しないことで、どういった効果があるんでしょうか。

例えば会議の様子を取材するときは、そのあとに行われる囲み取材で町長に直接話を聞きに行くのが定石なんですが、僕らは長期的な目線でドキュメンタリーの取材をしているから、動き方が違う。会議自体は撮影しますが、毎回町長にはインタビューをせずに帰っていて、「なんの取材をしているんだろう?」と最初はずっと警戒されていました。でも、いつしかあらゆる会議を取材するテレビ局が僕らだけになり、あちらにも情が出てきたのか、ときどき役場の職員の人が「弁当どうですか?」と聞いてきたり、町長がたまに「(個別で話を)聞かなくていいの?」みたいな顔をするようになったんです。「これは油断し始めたな」と感じて、その距離感になったときに初めて町長にインタビューを行い、核心に迫る質問をぶつけました。

──そんな駆け引きをされていたとは……! 「こういう言葉が撮りたい」というよりは、距離感や緊張感といった空気自体を撮るためにコントロールするような感覚でしょうか。

そうですね。インタビューという形式的なものでドキュメンタリーを制作しようとする人が多いけど、僕は映像に映り込んだその場の空気感とか表情を、編集で物語の中に染み込ませるというイメージで作っています。

東海テレビの土方宏史は民放連の競合相手

──最後に、テレビ局発のドキュメンタリーで面白かった作品を教えてください。

東海テレビの「さよならテレビ」「ヤクザと憲法」「ホームレス理事長~退学球児再生計画~」ですね。……土方(宏史)さんばっかりじゃないですか(笑)。

──土方監督とお話しされたことはあるんですか?

あります。民放連(日本民間放送連盟)中部ブロックの競合相手なので(笑)。東海テレビは、着眼点や、上っ面じゃない問いかけの重さが圧倒的だと思います。当然その分波紋も呼びますが、観る人に投げかけるものが非常に重いですし、それは作品の強度にも関わる。ほかの局だと劇場公開するドキュメンタリー映画が単発で終わってしまうことがほとんどですし、石川テレビでもようやく2本目だと考えたら、劇場公開作品が16本もあるのはすごいです。

──この連載で東海テレビの足立拓朗監督に取材した際も、ドキュメンタリーを作る土壌が違うなと感じました。番組・映画を作るときは、日々のニュース取材から担当を外される仕組みになっていると聞いてなるほど、と。五百旗頭監督も今、そういった動き方ができる部署にいるのは理想的ですよね。

(この仕組みを成立させるのは)なかなか難しいですけどね。あとよく話すのは、結局テレビのドキュメンタリーを長尺にしただけの作品が多くないかな?ということ。僕は「映画だからこうしよう」とか「テレビだからこうじゃないダメ」という考えは一切なくて、映画でやるようなものをテレビでも作れたほうがいいと思っている。大島新さんが言うように、プレイヤーを増やして裾野を広げることにもつながるので、テレビ局発のドキュメンタリー自体が否定されるべきではないですが、いわゆるガラパゴス化された日本のテレビドキュメンタリー的手法で作った番組を無理やり長くしただけで「映画なんです」と世に出した作品は、映画業界でやってきた人たちがどういうふうに見ているのかなとは思ってしまいます。

※土方宏史の土は点付きが正式表記

五百旗頭幸男(イオキベユキオ)プロフィール

1978年生まれ、兵庫県出身。同志社大学文学部社会学科卒業後、2003年に富山・チューリップテレビ入社。スポーツ、県警、県政などの担当記者を経て、2016年からニュースキャスターを務める。ディレクターを担当した作品に「異見~米国から見た富山大空襲~」「沈黙の山」などがあり、富山市議会の政務活動費不正問題を追った「はりぼて~腐敗議会と記者たちの攻防~」で文化庁芸術祭賞優秀賞など多数受賞。砂沢智史との共同監督作「はりぼて」が2020年に劇場公開された。2020年4月に石川テレビ放送へ移籍後、2本のドキュメンタリー番組をもとにした映画「裸のムラ」を手がける。劇場公開作3作目の「能登デモクラシー」が2025年5月17日より全国で順次上映中。