徐昊辰が2025年の上海国際映画祭を回想
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第27回上海国際映画祭の様子
日本映画を中国に届け、中国映画を日本に届ける──そんな活動をしているのが中国人ジャーナリスト・徐昊辰だ。上海国際映画祭のプログラマーとして6年間、日本映画の“今”を中国に紹介してきた彼は、中国映画の“今”を日本に届けるべく、2024年に現代中国映画祭を立ち上げた。
映画ナタリーでは、アジアの映画交流に尽力してきた彼に前後編にわたってインタビューを実施。前編では「国宝」や「でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男」「夏の砂の上」「ドールハウス」など、今年も話題の邦画が上映された上海国際映画祭について振り返ってもらった。また後編では現代中国映画祭について聞いている。
取材・文 / 金子恭未子
上海国際映画祭のコンセプトは「映画と町」
──1993年にスタートした上海国際映画祭ですが、中国ではどういった位置付けの映画祭なのでしょうか?
上海国際映画祭は中国で一番最初にできた国際映画祭です。国際映画製作者連盟に公認されている中国唯一の映画祭で、長編コンペティション部門を持つ、Aランクの映画祭なんです。カンヌ、ベルリン、ヴェネツィアといった世界三大映画祭との違いは、業界向けというより、観客に向けた見本市という側面が強いこと。各巨匠の新作がワールドプレミア上映される三大映画祭は、そこから世界配給につなげていく目的もあり、対業界的なイメージが強い。参加者も業界の人が多い印象があります。
上海国際映画祭もコンペがあるので、対業界的な意味合いもあるのですが、一般の観客に向けた映画祭という色が強いと思います。それは、中国映画市場が特殊なマーケットであるということが理由の1つです。中国では年間に上映される海外映画の数に制限があって、作品を観られる機会も多くないので、そこでしか観られない可能性のある作品を観客が積極的に観ようとするんです。映画祭で興行収入という言葉は使わないですが、毎年8億から10億ぐらいの興収を上げています。
──毎年何本ぐらいラインナップされるのでしょうか?
10日間の会期中に400本から450本ぐらいスクリーンにかけられます。上映回数は合計で1500回ほど。2025年の上海国際映画祭で使用された劇場は43館に上りました。映画祭といえばメイン会場を中心にそのエリア内で行われるものですが、上海全体で映画祭をやっているので、一番端にある映画館とその反対にある映画館はかなり遠い。東京で例えるなら、奥多摩でも錦糸町でも同じ映画祭をやっている感じです。
──町をあげて映画祭を作り上げているんですね。
映画祭のコンセプトも「映画と町」なんです。上海にいらっしゃった方に、映画とあわせて上海の町を体感してもらいたいという思いがあります。上海は“ローカル感”もありつつ、グローバルな町でもあるので、町と映画の関係を紹介できるようなイベントも開催しています。
今年一番面白く感じたのは、オフライン体験の提供を重視していたこと。映画館のスタンプラリーを開催したり、グッズのデザインを増やしたり。映画祭に参加した多くの若者が、記念品を手に入れるという体験をすごく楽しんでいました。彼らは“オンラインの時代”に生まれたうえ、コロナがあったので、オフラインでの体験は新鮮に映るんです。紙のチケットを手にしたことがない人もいるので、映画祭に参加して記念の半券を手にすることにとても魅力を感じるんだと思います。そしてその半券をSNSに載せて感想を投稿する。オフラインからオンラインへの、すごくいい循環ができていると思いました。
プログラマーは作品を自ら取りにいかないといけないこともある
──映画祭に向けて、毎年、いつ頃動き始めるんでしょうか?
正式なスタートは1月ぐらいなんですが、それだとちょっと遅いので、前の年の秋頃に動き始めます。映画祭のプログラマーというと、応募作品から上映作を選ぶというイメージを持たれることもあるんですが、実はプログラマーは、作品を自ら取りにいかないといけないこともあります。だから、制作サイドに「上海国際映画祭でやりませんか」と声をかけていく時間が必要です。そこが毎年一番大変な部分で、同時にやりがいも感じるところ。僕はマスコミの仕事もしているので、新作の情報には敏感。積極的に映画会社の宣伝担当に連絡を入れています。
──作品の奪い合いがあるんですね。
映画祭のコンペ部門では、良質な作品をワールドプレミア、インターナショナルプレミアとして上映する必要があります。上海はカンヌのすぐあとなので、どうしても“作品を取ってくる”難しさがある。映画祭の格付けという部分もありますし、世界的に見るとワールドプレミアの場所としてヨーロッパの映画祭が優先されるのは、当たり前なので。
──日本映画は毎年何本ぐらいラインナップされるのでしょうか?
50本ほどです。そのうち、旧作が10本ぐらいですね。
──海外の映画祭で日本映画が50本もかかるというのは、かなり多い印象ですし、旧作上映にも力を入れているんですね。
日本映画のラインナップが充実しているということも、上海国際映画祭の1つの特徴だと言われています。日本の旧作映画は毎年とても人気が高いのでチケットが取れないこともあるほど。上海国際映画祭は若い観客が多いので、旧作・名作を劇場で観たことがない人も多い。だから映画祭で観たいという需要に応えるためプログラムを組んでいます。
近年では4Kデジタルリマスターの上映も増えていて、今年は、小栗康平監督の「死の棘」の4Kをワールドプレミア上映しました。クラシック映画というとモノクロ映画のイメージがあるかもしれないですが、2、30年前の映画ももうクラシックと言えるので、今年は李相日監督の「フラガール」、山下敦弘監督の「リンダ リンダ リンダ」の4Kも上映しました。旧作に関しては、基本的に映画祭から日本の会社に提案しています。
──作品をセレクションするうえで、どんなことを心がけていますか?
いわゆる「映画祭っぽい映画」「アート寄りの映画」というのは、一般の観客には優しくない。せっかくのお祭りですし、一般のお客さんも楽しめるものをどんどん紹介していきたいので、カンヌに出品されたような作品もやる一方で、ドメスティックなキラキラ映画も上映するというコンセプトでやっています。大事にしているのは、深さより広さです。だから「死の棘」を上映しつつ、「山田くんとLv999の恋をする」もスクリーンにかける。観客がさまざまな日本映画に触れる機会を作りたいんです。
──キラキラ映画の中国での評価が気になります。
こういう撮り方は他国だとしないだろうという独特なところがありますから、中国の人からすると完全に異文化体験ですよね。日本だとだいたい中高生が観に行きますが、映画祭で上映されるからと、中国の年配の人が何も知らずに観にいくこともある。中にはショックを受ける人もいますね(笑)。
「国宝」チームはさまざまなことを映画祭サイドに提案してくれた
──幅広いラインナップを作っていく中で、苦労も多いのではないかと思います。
今回一番労力を使ったのは旧作の上映でした。今年は、成瀬巳喜男監督と市川崑監督がそれぞれ生誕120年、生誕110年の年だったので、お二人の作品を上映しようということになったんです。今年の1月から日本側と正式に交渉を始めたんですが、旧作ということもあってフィルムのみで、DCP(デジタルシネマパッケージ)がない作品もあった。映画祭としてもいい日本映画を観客に紹介したいという気持ちが強いので、最終的に一部の作品は映画祭側がお金を出して、DCPを作りました。
今回改めて、こういった動きを点では終わらせずに、線にしていきたいと強く思いました。というのも、毎年映画祭で旧作を上映して感じるのは、中国の映画ファンは日本のクラシック映画に対して強い関心を持っているということなんです。実際、成瀬監督の作品は、すぐにチケットが売り切れました。海賊版ですでに観ているという人もいるのに(苦笑)、やっぱりスクリーンで観たいんですよね。DCPを作るには時間もお金もかかりますが、価値のある作品は、海外で上映する機会を作っていかないといけないと痛感しています。だからこれをきっかけに、日本サイドともっと連携していきたいと思っています。
──日本側も邦画を海外の観客に楽しんでもらうため、積極的に動いていく必要がありますね。
おっしゃる通りです。今は映画祭や配給会社、個人がそれぞれ動いて旧作の海外上映を実現させていますが、これは日本文化をどのように輸出していくかという話だと思うので、それこそ文化庁などと一緒にチームを組んで動く必要があると思っているんです。
せっかく中国で日本映画が盛り上がっているんだから、日中でもっと連携していきたい。アニメに関しては、日本サイドもすごく力を入れて、うまく中国で展開できているんですが、実写はまだまだ。もっともっと日中の映画人が交流していく必要があります。
そんな中で、今年、上海に来てくれた「国宝」チームは、積極的にさまざまなことを映画祭サイドに提案してくれました。それはプログラマーをやってきたこの6年の中で、一番印象に残った出来事です。舞台挨拶をして質疑応答をして、それで終わりというわけではなく、映画祭に対する強い気持ちを感じました。
例えば、「国宝」を作るきっかけの1つが学生時代に観た「さらば、わが愛/覇王別姫」の影響だということを、李相日監督は上海の舞台挨拶で初めて語ってくれました。そういったエピソードを中国で披露するというのは、日本で披露するのと意味合いが変わってきます。これこそが文化交流だと思う舞台挨拶でした。
そのほか、今年は李相日監督の「フラガール」4Kデジタルリマスター版のワールドプレミアもやりました。美術監督の種田陽平さんというレジェンドも上海にいらっしゃって、監督とお二人で舞台挨拶をすることができた。これは日本でもなかなか実現できないことです。そしてその勢いで急遽、「国宝」の舞台挨拶をもう1回やりましょうということになったんです。実は「国宝」は今年の上海国際映画祭の中で、唯一2回舞台挨拶を行った映画なんです。
積極的に映画祭に参加していただくことで、中国での配給も含めてビジネスにつながっていくと思います。もちろん難しい部分もありますが、もっと相互交流が必要。今回「国宝」チームとやり取りする中で、積極的に交流ができた手応えがありました。その経験は自分の財産になっています。
──李相日監督が帰国後の舞台挨拶で、かなり大きな劇場で舞台挨拶をしたとおっしゃっていました。
そうですね。4回上映があったんですが、すべて1000人規模の劇場でした。これは映画祭で使用した劇場の中で一番大きなところ。さすがに4回連続で1000人規模の劇場を埋めるのはかなりハードルが高いんですが、「国宝」はほぼ満席になりました。監督にとっても楽しい思い出になったのではないかと思います。
──「国宝」がそれだけ観客を集めた理由はどこにあったのでしょうか?
作品をセレクトしている映画祭への信頼もあると思いますが、口コミの影響もありますね。最初は売り切れなかったんですが、評判がよくて、スクリーンで観たいという人が増えていった。4回目は朝9時台のスタートだったんですが、朝が早いにもかかわらず満席になりました。
上海国際映画祭では口コミがよい作品は追加上映されることもあって、例えば今年は三池崇史監督の「でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男」が追加上映されました。そのほか、矢口史靖監督の「ドールハウス」も中国の観客に高く評価されています。
──ほかにも話題の日本映画が上海で上映されましたが、お客さんの反応で予想外のものはありましたか?
呉美保監督の「ふつうの子ども」は予想外というより、予想以上にお客さんの評判がよかったです。日本の新作映画の中で一番中国の観客に評価されたのは「ふつうの子ども」でした。子供を通して、大人や社会が描かれている。最先端のテーマだと思います。今年の日本映画の中でもトップクラスの良作じゃないかな。
ただ海外での評価が日本にはあまり届いていないですよね。だから、日本映画1本1本がそれぞれ中国で高く評価されて、お客さんがたくさん入っているということを、日本の媒体にもっと報道してほしいんです。中国で上映されて、舞台挨拶をしたということだけでなく、海外で上映することにどんな意味があって、そこで何が起こって、どう評価をされているかということを紹介してほしい。徐々に改善されてきてはいるんですが、毎年そう思います。
東京国際映画祭には中国のマスコミがたくさん取材に行っています。でも逆は本当に少ない。もっとお互いの交流が必要だと感じます。日本のマスコミ含めて意識してもらえるといいなと思いますね。
両国の映画文化に詳しい人材がもっと必要
──徐さんは今年も、上海国際映画祭の会期中に日本の映画関係者とコミュニケーションを取られたと思います。皆さんの反応はいかがでしたか?
すべての方にはお会いできなかったんですが、日本からは14組がいらっしゃっいました。中国に関しては未知な部分があると思うので、不安を感じることもあると思うんです。でも、到着してからは上海の町を楽しんでいましたね。観客のテンションも日本と比べると高いので、舞台挨拶も盛り上がります。「中国の人は監督の作品が好きなんですよ」といった話をするんですが、中国での人気が本人に全然届いていないと感じます。もちろん僕が中に入って、中国での人気を紹介するのもいいんですが、中国でその熱気を直接体験していただきたいと思っているんです。
映画祭に参加してもらうだけではなく、できるだけいい思い出を持ち帰ってほしいんです。現地の人間と交流できないと、単なる公式イベントの1つみたいになってしまう。より感情的な体験ができると線としてつながっていくと思います。実際、2年前に審査員を務めた石川慶監督が今年も上海に来てくれましたし、三宅唱監督は3年連続で来てくださった。それは、映画祭や上海という町を楽しんでくれたからだと思うんです。すごくいい流れができていますね。
──上海のお薦めスポットは?
映画祭の劇場から遠くないところに、明代に造られた庭園・豫園があるので、アジア新人賞部門に入選した監督は、基本的に毎年ご案内します。今年は「見はらし世代」の団塚唯我監督とプロデューサーの山上賢治さんと一緒に行きました。映画祭のテーマが「映画と町」ということもあるので、できるだけ皆さんを上海の町にご案内したいんです。ただ僕も映画祭の期間中は忙しくて、アテンド的なことはボランティアの方の力も借りています。本当にみんな優秀で、日本語も全員しゃべれますし、スケジュールの管理もしっかりしてくれる。彼らがいないと映画祭も回らない。ほかにも中国の映画陣がサポートをしてくれるのでうまく展開できているんです。
ただ対日本だけでなく、対他国もそうですが、両国の映画文化に詳しい人材がもっともっと必要だというのは痛感しています。映画祭側が工夫していかなければいけない部分かなと。
──どういう場面で痛感されますか?
例えば日本だと、みんな段取り通りに物事を進めていきますが、中国はゆるい感じで、臨機応変に対応していく。そういう進め方は日本側に説明しないといけないし、日本側も中国ではこういうやり方なんだと理解しないといけない。そういうときに、双方の文化がわかっている人が間に入らないと喧嘩になってしまいます(笑)。
舞台挨拶や記者会見のときにどんな話をするか、どんな話をするとより文化交流につながるか。そういう部分は中に橋渡しできる人がいるかどうかで内容が大きく変わってくる。そういった対応ができる人材がまだまだ全然足りないと思います。今年は14組日本から来ましたが、20組来ていたら完全に対応できなかったですね。
中国の配給会社は、日本映画に対して冷静になっている
──徐さんは約10年、上海国際映画祭において日本映画に対する観客の反応をご覧になってきたと思いますが、何か変化を感じることはありますか?
大きな変化を感じますね。2010年代の中盤より前は、そもそも中国で上映している日本映画の数が少なかったので、いったい日本映画はどういうものなのか知らない人も多かった。日本映画の独特なニュアンスは中国映画とは全然違うもの。だから日本映画に対する観客の好奇心も強かった。その後、2010年代中盤からコロナ前まで、上海では日本映画がブームになっていました。どんな作品が上映されても話題になって、すぐに満席になった。その結果、日本の役者さんが中国で知られるようにもなりました。だから“この役者さん”が出ているなら観に行くというファンも生まれた。
ただ、ここ2、3年で状況は変わりましたね。どちらかというと内容重視になった。以前は日本映画が珍しいものだったので、日本映画だから観に行こうという人もいましたが、そういった好奇心が薄れてしまったんです。同時に「この俳優さんが出ているから観に行こう」という衝動もなくなっていったと思います。それは対海外に向けた若手の日本スターがいないということも理由の1つだと思います。一方で監督のネームバリューや、作品の質に注目が集まるようになっていきました。役者さんというより、例えば是枝裕和監督の作品だから観るという観客が多いんです。
──日本では“この俳優さんの出演作なら配給が付きやすい”という中国の俳優さんがいますが、中国だとそういった日本の俳優さんはいないのでしょうか?
いないですね。中国の配給会社は今、わりと冷静になっていて、良作を買い付けるという方向性になっているんです。昔は人気俳優が出ているから買い付けようといったこともありましたが、今はしっかり評価されている作品を観客に観てもらいたいという気持ちが強い。
また中国は大手映画会社の配給システムに依存しない、“ミニシアターシステム的なもの”がないので、いきなり何万スクリーンでかけるということになる。もちろん中国で人気のある日本の俳優さんはいっぱいいるんですが、ファンの母数が多いわけではないのでリスクが高いんです。日本の場合は作品ごとにどのぐらいの規模数で上映するかプランを立てられますが、中国ではそれができない。臨機応変に対応できるのは日本の配給システムのいいところだと思います。
──今年の上海国際映画祭で、日本映画以外で注目を浴びた映画があれば教えてください。
それはやっぱり映画祭の一番の目玉でもあった、ジュゼッペ・トルナトーレ監督のマスタークラス付き「ニュー・シネマ・パラダイス」の特別上映じゃないですかね。こんな機会、二度とないかもしれない貴重なイベントでした。あとはピーター・チャン監督の「醬園弄・懸案」(英題「She's Got No Name」)も話題になりました。キャストのチャン・ツィイー(章子怡)たちも映画祭に来ていました。そのほか、ダルデンヌ兄弟の「Young Mothers(英題)」も上映されたりと、今年もボリュームたっぷりでした。
毎年どちらかというとコンペティション部門とアジア新人賞に注目が集まっていたんですが、今年は最優秀女優賞を受賞した「長夜将尽」のワン・チェン(万茜)がものすごいスピーチをして、話題にもなりましたね。
──「醬園弄・懸案」も「長夜将尽」もぜひ日本で観たいです。
毎年、中国映画も良作ぞろいなので、そういった作品を日本で一般公開していきたいとは思っています。ただ、なかなか難しい。だから東京国際映画祭と連携して、お互いに選んだ映画1、2本を交換上映するという試みを行っています。その1本が日本でもヒットした「来し方 行く末」です。交換上映を経て、あの作品はうまく日本での配給につながった。こういったこともどんどんやっていきたいですね。
アジアにもカンヌのような世界的権威のある映画祭があったら
──プログラマーという仕事の楽しい部分、大変な部分を教えてください。
いい作品をほかの人に紹介するという仕事は楽しいですね。戦略的に上映したい作品を取りにいったり、さまざまな工夫をしているので、思い描いていたラインナップを実現できたときは満足感があります。また、イベントや特集を企画することにすごくやりがいを感じています。今年も、終わって1カ月も経たないうちに来年のことを考え始めていました。職業病みたいなものですね(笑)。
──今後、上海国際映画祭の未来がこうなっていくべきだというビジョンはありますか?
上海は町の大きさが特徴ではあるんですが、それが欠点でもあると感じています。大きすぎて、会場がバラバラになってしまう。映画人同士がラウンジで会話するというのが映画祭のよくある風景ですが、それが上海ではあまりできていない。それをどう解決していくかが今後の課題の1つです。日本の監督やキャスト、中国の監督やキャストが会話する場所や機会をもっと増やさなければいけないと思っています。
僕個人としては、アジアにもカンヌのような世界的権威のある映画祭があったらいいなと思っているんです。なかなか難しいことではあるんですが、アジアと欧米は文化も違いますし、映画に対する理解も違う部分が多い。小津安二郎に対する理解も、チャン・イーモウに対する理解も東洋と西洋では全然違いますから。そういう意味でも東洋主導の権威ある映画祭が1つあったらいいなと。そこで東洋の映画の文法、辞書みたいなものを作っていけたら。東京国際映画祭も上海国際映画祭も釜山国際映画祭もそうなっていきたいと思っているけれど、実現できる段階になっていない。何かあと一歩がほしいですね。
また、地図上ではつながっているのに、アジアの映画市場がつながっていないということも大きな問題だと感じているんです。政治的な問題はあるにはありますが、それは言い訳。観光業界など、他業種は国を超えてうまく連携していますから。
中国のマーケットはハリウッドと同じ規模にはなっているけれど、ハリウッド映画が世界展開されている一方で、中国の映画はそうはなっていない。また他国も中国映画市場を狙いたいけど、なかなか展開できない。それは、中国映画市場が大きいために、わかりにくいということが原因だと思います。今後はアジアの映画市場をつなげていく必要がある。そういう意味でも映画人がもっともっと交流できる機会を増やして、1つの大きな映画祭、もしくはイベントでもいいので作っていけたらと思っています。