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『まんぷく』は“定番”の朝ドラではない 反復と変化を描き続けた福田靖の革新性

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リアルサウンド

 朝ドラ『まんぷく』(NHK総合)が遂に最終回を迎える。真っ当な良妻賢母と、カップヌードルを発明した発明家であり立派な経営者のマネジメント論の話と思いきや、度重なる逮捕や差し押さえにもめげず、常に何かを開発し目を輝かせる彼らに驚かされ続けた。

参考:安藤サクラ、柄本佑、奥田瑛二、柄本明……日本映画・ドラマ界を牽引する華麗なる一族

 『まんぷく』は、前クールの『半分、青い。』が変り種だったからこそ余計に、老若男女誰もが「安心して見られるドラマ」としての地位を放送開始当初から確立していたように思う。鈴(松坂慶子)というキュートでユニークな大黒柱を真ん中に置いた「武士の娘の娘」たちのドラマは、それぞれの夫をたてる優れた内助の功と成功を描いた、まるで大河ドラマか古き良き日本映画かといった貫禄さえあった。

 しかし本当にそうだったか。安心して見る分には、主人公である萬平(長谷川博己)が捕まる回数も戦う回数も多すぎる。それこそつかの間登場した忠彦(要潤)のモデル・秀子(壇蜜)の「既成概念をぶち壊すのよ!」という言葉通りに、萬平・福子(安藤サクラ)夫婦が時折暴れる様は、朝ドラの枠をはみ出していた。何より、一貫して変わらず、「あーでもないこーでもない」と邁進する夫婦と、やたら夢という形で、咲(内田有紀)という死者が頻繁に生者たちをかき混ぜる終盤戦は、これまでの朝ドラにない斬新さであった。

 このドラマは、反復と変化のドラマだった。変わらないことを繰り返すことで、自分たちの人生だけでなく、時代をも変えてしまったのが、この破天荒な夫婦だったのではないか。やっていること自体は、毎度似たようなことを繰り返していると言っていい。商品をやっとの思いで開発し、発売してもすぐには売れず、売れたと思ったら他会社にマネされてその対策を考える。成功を収めたと思ったら、理不尽な理由で全てを失い、またイチから新しいものを作る。

 それに伴う世良(桐谷健太)や鈴の反応も、毎度おなじみ。ハンコ作りに塩作り、ダネイホン、そしてインスタントラーメン作り。いつも同じ姿勢・同じことを繰り返すことで、常に時代に必要とされる新しいものを作り続けてきた。これは、橘家と密接に関わり続け、並行して描かれてきた忠彦率いる香田家に対しても言えることだ。忠彦もまた、序盤からずっと絵を描き続けてきたが、その興味の対象は鳥から魚、美人へ、そして抽象画へと至り、「まんぷくラーメン」の袋デザインへと繋がる。彼も一貫して同じことをしながら変わり続けた人物だ。

 今週放送の『ひよっこ2』(NHK総合)において、登場人物たちが、インスタントラーメンの登場と、急速に変わりつつある時代と人を嘆く場面があった。これはもちろん現在進行中の朝ドラである『まんぷく』への愛ある目配せなのであるが、ほぼ同時代を描きつつ、変わらないままでいようとする『ひよっこ』と変えようとする『まんぷく』の明確な違いを示していた。『まんぷく』の夫婦は、夫婦と共に年を重ねていったつもりでいる我々視聴者を若干戸惑わせるほどに、新しい世代と変わりゆく時代を許し受け入れ、面白がり、彼らの時代に適したものを作ろうとしている。そして、夫婦の物語は、幸(小川紗良)や源(西村元貴)、そして香田家における弟子の名木(上川周作)といった若い世代へと引き継がれていくのだろう。

 さらにもう1つ、ドラマ終盤において興味深いのが、夢と咲の登場頻度が今まで以上に増えていることだ。最も奇妙だったのが、144話における萬平の回転である。夢の中で突然世界が回転し、寝ている萬平は必死の形相でそこに留まろうとするが、天井側に回転してしまい、寝ている福子を上から見下ろすことで目が覚める。これによって、頭を悩ませていたカップ問題の答えが出て、まんぷくヌードルは完成することになるのだが、だからと言ってテレビ画面を回転させるほどのインパクトをもって描く必要がどこにあったのか。どこか臨死体験めいた印象さえ感じさせる。

 そして、終盤に近づくにつれて輝かんばかりの美しさと若々しさを放つ咲は、遂に真一(大谷亮平)や忠彦まで夢の中に呼び寄せ、万博のチケットを渡し「一緒に行きましょう、真一さん」となんだかドキリとする台詞を言って微笑む。そして気軽な調子で母親・鈴をあちらの世界へ招き、鈴は嬉々として生前葬をやりたがるのである。

 思えば『まんぷく』は、常に明るい死者と共にあった。鈴や福子の思いが形を成しているのであろう、むしろ生きていた時よりも明るい、時折未来まで予見するスーパー死者と。さらには、鈴の生前葬という名の祭りで、このドラマ自体を振り返る。死は決して悲しいことではない。今まで会った人々に感謝をして次に進むことなのだと暗に告げる。なぜなら、彼らが求めさえすれば、夢でいつでも会えるのだから。朝ドラは一代記が多いために、最終週と死はわりと密接に絡み合う。だがこの『まんぷく』が描く「死」というものの身近で愉快な感じは一体何なのだろう。

 経営するレストランの壁にまで「皆様のおかげでここまで来られました。ありがとうございます 本当にありがとうございます」と感謝しきりの野呂(藤山扇次郎)という、ただひたすらに愛すべきキャラクターがいる。一方で、「我を捨ておかげに生きる」ことが到底似合わない世良や、最初に萬平を裏切った加地谷(片岡愛之助)といった本来なら悪人と定義され切り捨てられかねないキャラクターも実に愛すべき存在として描かれている。

 変わらないことを繰り返すことで何かを変えていくこと。そして、人生・社会・人において、変化を許し、受け入れるおおらかさを持つこと・感謝をすることの大切さこそが、『まんぷく』が半年を通して一貫して伝えてきたことなのかもしれない。(藤原奈緒)