ラスト5分が突きつける戦慄。新国立劇場《ヴォツェック》百年目の新演出
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撮影:堀田力丸 提供:新国立劇場
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すべて見る新国立劇場のアルバン・ベルク《ヴォツェック》新制作が11月15日(土)に初日を迎えた。指揮は同劇場オペラ芸術監督の大野和士。演出は英国の名匠リチャード・ジョーンズ。13日(木)に行われたゲネプロ(本番形式の最終通し稽古=独Generalprobe)を取材した。
《ヴォツェック》は、1925年に初演された20世紀オペラの最高傑作で、今年は初演100周年。大野は芸術監督就任時から、その節目の年に新制作のプロダクションをぜひ新国立劇場でと決めていたという。
音楽は無調で、ときおり調的な響きが交錯する。ベルクが本格的に十二音技法を取り入れる直前の時期の作品だが、すでに十二音的な手法も聴こえてくる。とはいえ、後期ロマン派的な濃密な情緒が漂う、言ってみれば、現代人には“ほどよくザラっとした現代音楽”。聴きやすいとまでは言い切れないかもしれないが、不協和音は苦手という人も抵抗なく聴けるはず。食わず嫌いで敬遠してしまうのはもったいない。
いっぽう、物語は、暗く陰惨だけれどもわかりやすい。貧しい兵士ヴォツェックは、社会の抑圧と内縁の妻マリーの裏切りに、次第に精神を病み、嫉妬と絶望からついにマリーを殺し、自らも沼に身を沈める。夭折したゲオルク・ビューヒナー(1813~37)の未完の戯曲を原作に、ベルク自身が台本を書いた。各5場からなる全3幕。
リチャード・ジョーンズの演出は、物語の舞台を1960年前後の陸軍駐屯地に据えた。兵舎などすべての建物が、安いベニア合板むき出しで組まれている。
第1幕。ヴォツェックが上官の大尉の髭を剃る冒頭シーン。大尉の部屋にはビリヤード台があり、数人の若い兵士や士官が遊んでいる。ヴォツェックはなぜか首からスプーンをぶら下げ、大きな缶をずっと抱えている。
マリーの登場シーンで、台本よりも早く、浮気相手の鼓手長が登場(まだ歌わない)。というか、彼はさっき、大尉の部屋でビリヤードをやって、すでに登場していたのだ。本来は軍楽隊所属ゆえの「鼓手長」であるわけだが、マッチョ自慢という台本のキャラクター設定に寄せて、この演出ではブートキャンプ(新兵訓練)の指導教官だ。ヴォツェックとマリーの息子(私生児)は白黒テレビに映る戦争のニュース映画に見入っている。マリーが歌う絶妙に調的な子守唄が強く印象に残る。
わずかな報酬と引き換えにヴォツェックを人体実験の被験者にしている医者の部屋。医者がヴォツェックを叱責する。理由は、ベルクの台本の「咳」ではなく、原作戯曲どおり、採尿前に立ち小便をしてしまったから(お行儀悪く、舞台でリアルな放尿もする)。医者はまた、豆以外の摂食を禁じており、ヴォツェックに大量に渡す缶詰の箱に「Bohnen(インゲン豆)」と書いてある。ヴォツェックが抱えていたのはこれだ。首に下げたスプーンで、缶詰の豆をひっきりなしに、異常に食べ続けるヴォツェック。
マリーが鼓手長と最初の関係を持ってしまうのは、鼓手長のトレーニングルーム。部屋の外で大尉と医者が壁に耳を当てて中の様子を探り、にやりと笑う演出が、彼らの“ゲス”具合を際立たせる。
ここまでで主要役がすべて登場。すでにこの役を80回も演じているというヴォツェックのトーマス・ヨハネス・マイヤー(バリトン)は、2月上演の《フィイレンツェの悲劇》の時より髪も髭もいくぶんさっぱりしたが、相変わらずワイルドな“イケおじ”ぶり。彼が演じるとなんだかヴォツェックがヒーローにも見えてしまうが、もちろん歌唱も演技も迫真。ヴォツェックの心が壊れていく過程を生々しく表現して圧巻だ。
マリーのジェニファー・デイヴィスは新国立劇場初登場。高域はもちろん、中域まで豊かに響く肉厚の声がなんとも魅力的。
そして大尉のアーノルド・ベズイエン(テノール)、医者の妻屋秀和(バス)、鼓手長のジョン・ダザック(テノール)の“三悪人”。いずれも振り切ったキャラクターの役を、実に巧みに、“いやな奴ら”感満載で演じる。
またこのオペラでは、大尉と鼓手長、さらにアンドレス(伊藤達人)、“白痴”役(青地英幸)と、質も性格も異なる4種の声のテノールが登場するのも、面白いポイントのひとつ。

第2幕に入るとドラマは急展開を見せ始める。マリーと鼓手長の関係が深まり、ヴォツェックはいよいよ追い詰められていくのだ。
象徴的なのが、オペラ全体のちょうど真ん中に位置する第2幕第3場だ。台本ではマリーの家の戸口のシーンだが、今回は、浮気現場である鼓手長のトレーニングルームにヴォツェックが乗り込んでいく格好。
鼓手長から贈られた毛皮のコートとボブヘアのウィッグをつけ、すっかり別人のようなマリー。抑えきれない怒りをぶつけるヴォツェックに、「触らないで!手を出されるなら刺されたほうがましだわ。父親にもぶたれたことがないのに!」と、有名アニメの名台詞を思い出すような言葉を吐いてマリーが出ていくと、ついにヴォツェックが切れる。
例のスプーンを投げ捨て、豆の缶を全部ゴミ箱に投げ入れる。マリーと子供の生活費を稼ぐために甘んじて続けてきた人体実験を放棄したのだ。もう大尉の髭を剃ることもあるまい。
そして大詰めの第3幕。沼のほとりのマリー殺害シーンで、またしても缶詰が重要な役割を果たす。ヴォツェックが手にした凶器が、ナイフではなく、空き缶のふたなのだ。ものすごい伏線回収。60年代なのでプルトップなどではなく、缶切りで開けたふたの縁はノコギリ状だ。それを使ってマリーの喉をかっ切る。ナイフより残忍な気がする。
殺害直後にオーケストラの全パートがh(シ)の音の長いクレッシェンドで炸裂させる、強烈なフォルティッシモは有名だ。大野&東京都交響楽団がたっぷりやってくれる。
ちなみにこのシーンで、「俺たち、知り合って何年だ?」と尋ねるヴォツェックに対してマリーが、ベルクの台本では「3年」、ビューヒナーの原作では「2年」と答えるのだが、今回は「8年」になっていた。おそらくは二人の息子の年齢を考えてのことなのだろう。息子は6~7歳に見えるので理にかなっている。
そしてヴォツェックも沼に沈んで物語が終わるのだが、ラストシーンの演出が驚きだった。現れたのは、第1幕冒頭の、例のビリヤード台のある大尉の部屋。しかしそこにいるのは……。
スコアに言葉で明示されているわけではないが、このオペラのラストが、音楽的には冒頭に戻る形になっていることは、多くの識者が指摘しているところだ。それをジョーンズ流に解釈するとこうなるという仕掛け。悲劇は終わらない。そして、それは誰の身にも起こり得る。これを見ている私たち全員がヴォツェックなのだ。マリーの子守唄の断片がリフレインのように響きながら消えていく音楽の中で、そんな不気味な暗示を受け取った。
全3幕は休憩なしで続けて上演される。上演時間1時間35分。
新国立劇場の《ヴォツェック》は、11月15日(土)の初日のあと、11月18日(火)、20日(木)、22日(土)、24日(月・休)の全5公演。22日(土)の終演後にはバックステージツアー(抽選)も催される。
文:宮本明
アルバン・ベルク
ヴォツェック<新制作>
全3幕〈ドイツ語上演/日本語及び英語字幕付〉

■チケット情報
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2561000
11月15日(土)~11月24日(月・休)
新国立劇場 オペラパレス
予定上演時間:約1時間40分(途中休憩なし)
【指 揮】大野和士
【演 出】リチャード・ジョーンズ
【美術・衣裳】アントニー・マクドナルド
【照 明】ルーシー・カーター
【ムーヴメント・ディレクター】ルーシー・バージ
【舞台監督】髙橋尚史
【ヴォツェック】トーマス・ヨハネス・マイヤー
【鼓手長】ジョン・ダザック
【アンドレス】伊藤達人
【大尉】アーノルド・ベズイエン
【医者】妻屋秀和
【第一の徒弟職人】大塚博章
【第二の徒弟職人】萩原 潤
【白痴】青地英幸
【マリー】ジェニファー・デイヴィス
【マルグレート】郷家暁子
【合 唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】TOKYO FM 少年合唱団
【管弦楽】東京都交響楽団
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