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ファッションから生き方まで…綾小路翔が「ビー・バップ・ハイスクール」から受けた影響

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綾小路翔

映画「ビー・バップ・ハイスクール」が、1作目の劇場公開から40周年を迎えた。同作は1980年代の日本社会と等身大の若者像を切り取った作品として、今なお語り継がれている。

氣志團の綾小路翔もまた、その影響を受けた世代の1人だ。さまざまなカルチャーを自在に横断してきた彼にとって、「ビーバップ」は単なる憧れではなく、のちの表現を形作る“原体験”だった。だが彼は、映画に描かれたようなヤンキーの“当事者”ではなかった。恐怖と好奇心が入り混じる出会いから始まり、衣装や音楽面への影響、そして美学へと昇華されていった「ビーバップ」との関係を、本人の言葉で紐解いていく。

取材・構成 / 秦野邦彦 撮影 / YURIE PEPE

恐怖を覚えた「ビー・バップ・ハイスクール」との出会い

「『ビー・バップ・ハイスクール』と最初に出会ったのは小学校6年生のときです。僕はその頃、僭越ながらおそらく学校ではなかなか目立つ存在だったと自覚しています。その年の12月、隣の小学校の連中から『同じ中学に入るから、その前に一度会おうや』という謎のクリスマス会を提案されたんです。『殊勝な心がけじゃないのー』とノコノコ出向いたところ、まさかの? はたまた案の定?『プレゼント交換と洒落込む前に、まずはどっちが強えか白黒つけようや』となりまして、向こうの大将格にフルボッコにされたのでした(笑)。

小学校生活の6年間、地道にがんばって遂に学校のヒーロー的立ち位置にまで上り詰めたというのに、この3カ月後、中学に入ったらパシリに降格が決定したわけです。『もうおしまいだ……』と嘆き、食事も喉を通らないほどに落ち込み、12年の人生でもっとも暗い気持ちを抱えて年越しを迎えました。そしたらお正月にその大将格の彼から『これから映画に行くけど、お前も来いよ』と電話が掛かってきたんです。断れるわけもなく、隣の小学校から10人弱、うちの小学校からは僕と友人の2人。当時、木更津には映画館が4つもありました。何を隠そう、そのときに観たのが『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎完結篇』(1988年)だったんです」

「当時、僕にはまったく興味のない……というか、まったく理解のできない世界でした。柄の悪い高校生がなぜかアイススケートリンクで喧嘩してたりと、もはや意味もわからないし、そもそも何が楽しいかわからない。だけど上映後みんなやたらと盛り上がっている。正直、 それぐらいの記憶しかなかったです。その後、みんなでパットゴルフに行って、お年玉を全部巻き上げられて……。僕が今でもゴルフをやらないのはそのときのトラウマが理由です(笑)」

「お前いつまでマジストで学校来んの?」

「中学の入学式で、まず地獄だったのが、その大将格の彼がいきなり同じクラスだったこと。僕が出席番号3番、彼が4番。『えっ、あいつが俺の席の後ろ……?』って憂鬱で。初恋相手の佐野さんも同じクラスにいるのに、あのめちゃくちゃ怖い男に小突かれたり、パン買いに行かされたり、すっ裸にされたりとかすんのかな……?って怯えていました。何せ人生で初めて、圧倒的な敗北を喫した相手でしたので。そしたら彼から『お前このあと、何かあんの? 俺んち来ない?』って言われたんです。

で、家に行くと『お前いつまでマジストで学校来んの?』って言うわけです。マジスト? どういうこと? 会話の中で察するに、どうやらこの学生服のズボンのことらしいんです。『だせえよな、標準。まあ先輩もいるし、入学式だから俺もそんなに派手なのでは行かなかったけど』って。確かによく見ると彼のはタックが入ってるんですよ。あとズボンの裾の折り返しが自分のとは違うことに気付いて。『俺のは2.5だよ。お前のは4あるだろ。測ってみろよ』って、竹の定規で測ってみたら『本当だ、4cmだ』『だろ? 俺も本当は2cmぐらいにしてえんだけどさ。ってか、そもそもダブル幅である必要もない気もするけどな』。もう何言われてるか全然わかんなくて(笑)」

「『お前、何も知らねぇんだな……。よし、じゃあこれ貸してやんよ』って、彼が薄い冊子を10冊ぐらいと当時11巻ぐらいまで出てた『BE-BOP-HIGHSCHOOL 』の単行本を僕のスクールバッグに詰め込んできたんです。まあ、読書好きな人間ではありましたんで、その夜、一気に全部読みました。今までに見たことのない物語でしたね。その頃よく読んでいた少年ものや少女もののマンガはもちろん、不良番長の登場する本宮ひろ志作品とも違えば、どおくまん作品とも違う。学ランを着ているものの、およそ学生には見えない風体の不思議なキャラクターたちがオラオラしてるけど、バトルは時々しか起こらず、それ以外はずっと学校の屋上でダベってたり、ナンパしたり。これはなんなんだろう? とりあえず読んでくしかないなと思って」

「なんでヤンキーなのにそういう言葉知ってるの?」

「一緒に渡された冊子は、いろんなメーカーの変型学生服のパンフレットでした。大将に『お前のマジスト、ワタリ30、ボトム20ぐらいだろ?』と言われた意味が少しずつわかってきました(※編集部注:ワタリとは、ズボンの太もも部分の幅のこと)。とにかく彼はいろんなワードを使うんです。『俺、本当はペグトップにしたいんだよ』とか。『ペグトップ』って服飾用語なんですね。いわゆるワタリ40cm、裾18cmのボンタンや、ワタリ50、裾30といったドカン丈ではなく、別名“ヒザボン”だとか“バナナ”などとも言われるワタリ42、膝36、裾18っていう、さらに凶悪なシルエットのパンツのことで。ほかにも『センターベント』とか『サイドベンツ』とか、彼から聞いたこともないいろんなワードが出てくるんです。のちに自分たちで衣装を作るようになったとき、衣装さんたちに『なんでヤンキーなのにそういう言葉知ってるの?』って不思議がられたんですけど、それはほぼ彼から教わったんです。その大将がめちゃくちゃなこだわりを持つ人で、この人の美学にのちの氣志團もずっと翻弄されていくんですけど、それはまた別の機会に。

てなわけで、余計な情報ばかりが先行しましたが、僕の『ビーバップ』初体験は、映画の『完結篇』を観に行って、単行本11巻ぐらいまで借りて読んで、こういう世界があるんだってことを知って、一気にのめり込んでいった12~13歳の頃でした」

「俺たちは誰の子分でもねえ!」

「ビー・バップ・ハイスクール」が流行した当時の若者は、不良であるかどうかにかかわらず、そのファッションや言動をまねしていたという。これはケンドーコバヤシとニューヨークの対談でも語られていたが(参考:映画「ビー・バップ・ハイスクール」大好き芸人ケンドーコバヤシが、その魅力をニューヨークに熱弁!)、綾小路もやはり同じだったとか。

「『ビーバップ』の映画はもう何回観てるかわからないですね。周りの仲間はみんな大好きで、鑑賞会がちょいちょいあるんです。大人になって、東京でランマくん(星グランマニエ)と松くん(白鳥松竹梅)と出会ってからも『翔やん、うちで「ビーバップ」観るけど来ない?』『え! まだ観るの? 20歳だよ? 俺たち』みたいな。で、結局観るんですけど(笑)。

あとは木更津の先輩たちの『ビーバップ』の見方も僕らとは違う視点で面白かったですね。当時、『木更津ダイナマイトどんどん』というパーティが始まりまして。木更津を中心とした上総4市のトガった若者がわんさか集まるビッグイベントに発展していくんですが、初めて参加したとき、真っ赤なサイコ刈りで、上半身に刺青がたくさん入っている怖い人がアジテーションをしていて。その人が『俺たちは誰の子分でもねえ!』と叫ぶたびに、みんな怖くて、よくわからずに『……お、おう!』とか返事してたんですけど、あとで冷静になったら『ビーバップ』に出てくる北高の工藤が言ってるセリフをただパロっていただけだったことに気付いて(笑)。仲良くなってから『あれ怖かったです』って言ったら、『いや俺もさ、ただ北高の2年やってるつもりだったのに、みんなマジになっちゃってたからびっくりしちゃってさあ』なんて(笑)。何しろその先輩たちが日常的に使う『ビーバップ』の台詞のチョイスがすごく面白くて、氣志團のデビューVHSの予告編は、その先輩方にお願いして『ビーバップ』のオマージュ的に作ったんです。

僕の周りではヤンキーマンガに出てくるワードは、けっこうみんな普通に使ってましたね。リアルにテル(城東工業の藤本輝男)みたいなしゃべり方するやつもいましたし。『お前本当にめでてえな、この七夕野郎が』とか『シャバいのう』とか。平気で使い出す中学生が続出して。『湘爆(湘南爆走族)』の『マッポにビビくってシッポ巻いたんじゃねえのかよ!!』とか、適当な嘘つくやつに対して『嗚呼!!花の応援団』よろしく、『役者やのう』 とかね。そもそも関東の子供たちが『のう』とか使うわけないんです(笑)。マンガの影響ってすごいんだなと当時から思ってました」

トオルとヒロシのボンタン、思ったより太くねえんだな

冒頭では映画「ビーバップ」との、そして変型学生服との出会いが語られた。綾小路は学ランコレクターとしても知られているが、その原点は「ビーバップ」だったようだ。そしてこのコレクションが、氣志團の衣装につながっていく。

「『ビーバップ』は服装の描き方もうまいんですよね。それこそ『高校与太郎完結篇』で五中のカブとか二中のリョウとかが出てきて。中学生の俺たちにとってリアルだったのはやっぱりあっちのファッションなんです。ポップなものに憧れてたんで。主要キャラだとヒロシがダントツで人気でしたね。あのリーゼントのパーマ感と短ランがかっこよくて。コミックの巻頭折り込みにトオルとヒロシのボンタンと学ランの図解があって、『トオルがワタリ40でヒロシが38? 思ったより太くねえんだな』とか『コンポラ派ってなんだ?』なんて言ってね。(編集部注:当時の図解には『中ラン派トオル』『コンポラ派ヒロシ』と書かれていた。コンポラとは『コンテンポラリー(Contemporary)』の略で、『現代風の』といった意味)」

「衝撃だったのはヒロシの短ランのボタンが4つという部分。痺れましたよね。ちなみにうちのランマくんの学ランはそのモデルをベースに作られてるので4つボタンです。丈はヒロシよりほんの少し長くて63cm。雪之丞(無期限休止中のメンバーである白鳥雪之丞)が中坊の頃に着ていたやつをもとにしています。僕の短ランは58cmなんですが、デビュー当時のトミーくん(西園寺瞳)が着ています。ついでに言うと、トミーのドカンはヒロシと同じベルトレス仕様。粋ですよね。氣志團の衣装は、もとは全部僕らが中高生のときに着ていたものをそのまま使っていたんです。

僕らは学生時代に学ランをめちゃくちゃ買ったし、作ったし。メーカーのものをさらにカスタマイズしたり、時には生地をテーラーに持ち込んでフルオーダーしたこともありました。そういえば、うちの中学の最初のセルフカスタマイズは、まず学校指定のジャージをボンタンにするところからスタート。太もも部分に小学校の卒業アルバムを無理矢理押し込んでアイロンをかけると伸びるんです。そのぶん丈が縮むので、ブカブカの大きいサイズを買うという知恵が付いたり。裾は独特の詰め方があって、中学の家庭科レベルで簡単にできるのですが、めちゃくちゃ裁縫のうまいヤンキーがいて、いくらか出すとそいつがきれいにミシンで縫ってくれたりして。彼は一時期、それだけでけっこうなお小遣いを稼いでましたね(笑)」

コレクションの学ランをステージ衣装に

「映画『ビーバップ』で衣装協力してたメーカーは『ヤーバン(YAHVAN)』だったと記憶しています。カタログもまだ実家にあるはず。ヤーバンはコミックが実写化するときに、よく協賛して登場人物の着用モデルを作っていたんです。『名門!多古西応援団』とか『ろくでなしBLUES』とか。

僕の現在の学ランは『名門!多古西応援団』の団長・橘薫(たちばなかおる)モデルをベースにしています。驚異の7つボタン、着丈120cm、襟7cmの長ランですね。これは氣志團のデビュー前に『在庫があったら譲ってもらえませんか?』って全国手当たり次第に電話して手に入れたものです。ほかにも(『ろくでなしBLUES』の)前田太尊モデルの中ランとかも持っています。前述したヒロシモデルや愛徳のボタン、左京の長ランや桂の短ランなど、ほかの『多古西応援団』モデルも欲しかったんですけどメーカーの方にも『もうないんです』と言われて。

『ビーバップ』が大流行していた頃、一部のちゃんとした学生服メーカーも、そのノウハウを生かしてサイドビジネスとして変型学生服を作っていたらしいんです。ちなみに標準学生服の場合、素材はウールがほとんど。ウールは上質ですけど、テカりやすくて形崩れしやすい。値段も高価なうえに夏は暑い。対して変型学生服はポリエステルが主流。形が崩れづらくてアイロンをかけなくてもいいという利点に加え、値段もリーズナブルなので、学生が買い替えやすかった。我々も普段はポリエステルのものを着用して、先輩たちの卒業式とか、大事なときにウールで決める。ウールはその重さで落ちて独特なシルエットに変わるんです。そこが大人っぽくてね。あの感じはポリでは再現できないものなので」

ヤンキーファッションの終焉とアシンメトリーの台頭

「あくまで綾小路調べですが、全国区的に僕らの1個、2個下ぐらいから一気に制服のブレザー化が進むんです。私立の学校がブランディングの一環でデザイナーズの制服に変えたりもありましたし、単純に学校側が学生服を改造しづらいようにオリジナルのチェックを採用したりと。この流れも相まり、90年代中盤から変型学生服文化が終焉を迎えていったように感じました。

ヤンキーファッションが消えていった理由には諸説ありますが、まず世の中のモードが大きく変わったことに加え、綾小路的には資生堂が主力商品を切り替えたことも大きいと言い張っています。80年代の資生堂は髪がバッチバチに固まる『ルポ(Rupo)』っていうスタイリング剤を売り出していたんですが、バンドブームの終焉とともに“無造作ヘア”を売りにした『ウーノ(uno)』に変わっていくんです。それまではヤンキーもバンドマンもとにかく立てる、固めることが男の美学だったんですけど、もっとソフトに、しかも忙しい朝、1時間もセットに時間掛けてらんないよね~って人のために、3分あれば指先でセットができる商品が投入された。シンメトリーからアシンメトリーの時代に移るわけです。それまでヤンキーがかっこいいと思うのはリーゼントしかり、デコトラしかり、左右対称のものでしたから」

「ビー・バップ・ドリームス」が最高の名曲なんですよね

続いては音楽面の話も聞いてみたい。氣志團のシングル「恋人」(2000年)のカップリングには、ヒロシ役で知られる清水宏次朗による「Love Balladeは歌えない」(カバーではなく本人の歌唱バージョン)と、「ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌」挿入歌である「ビーバップ・パラダイス」のカバーを収録。このほかにはどんなオマージュを捧げているのかを聞いてみると、「自分は中学の頃から観察者だった」という自己分析も飛び出した。

「『ビーバップ』は日本人の中ではすっかり『ツッパリ』を意味するワードになってますけど、バンドを始めた我々としては『ビー・バップ・ア・ルーラ』(1956年のジーン・ヴィンセント&ヒズ・ブルー・キャップスのヒット曲)だったり、ジャズの“ビバップ”というスタイルがあることを知るわけです。きうちかずひろ先生は明らかに音楽好きですよね。何せ映画のタイトルからして『哀歌(エレジー)』『行進曲』『狂騒曲』ですもんね。

『ビーバップ』映画のサントラ盤はどれも僕のバイブルなんですけど、『この曲はきっときうち先生が自らリクエストしたんだろうな……』とか勝手に想像して聴いていましたね。中でも僕が好きなのは、きうち先生ご自身が作詞も手がけた『高校与太郎完結篇』エンディングテーマの『ビー・バップ・ドリームス』。これが『ビーバップ』シリーズを締めくくるに相応しい最高の名曲なんですよね。『♪アーガラホー、ホーガラヘー』ってやつで、僕も自分のバースデーイベントでカバーしました。

ちなみに氣志團が2000年にインディーズで出したファーストミニアルバム『房総与太郎路薫狼琉』のジャケットは、映画『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズのパンフレットを雰囲気オマージュして作りました。独特な写真の切り抜き方とサイズ感、色合いもアバンギャルドだし、サブタイトル部分のアプローチもセックス・ピストルズ感があって、好きだったんです」

番格には描けない世界

「氣志團のMVを作る際、基本的に『ビーバップ』はいつも下地にあります。『ビーバップ』に行くか、『湘爆』に行くかってぐらい。それらの中でも『SECRET LOVE STORY』(2011年)は異色で、昭和と平成の間のツッパリ青春ストーリーのイメージなんですけど、自分の中では『ビーバップ』の後に公開された『六本木バナナ・ボーイズ』(1989年)が敷かれているんです。この映画はヒロシとトオル役の清水宏次朗さんと仲村トオルさんが再びコンビを組んだ作品なんですけど、その中で清水さんが『俺たちのシーズン』っていう曲を歌うんです。この曲の世界観が僕は好きで。女の子を取り合って絶対譲りたくないけど、お前ならまあしょうがないよなとか言ってたら、結局どっちも振られてざまあねえよなっていうのが、まんまトオルとヒロシの世界観なんですよね。

そこを入り口に、とある男女がカップルになるよう僕がピエロになるってのが『SECRET LOVE STORY』のMVで、『ビーバップ』からちょっと外れてるのはそこなんです。“あいつらが仲がいいのが美しかった、それを見てる俺”みたいな世界観。そうしたのは、自分が主役なのはちょっと違うんだよなと思っていたから。当時の僕らはドラマっぽいMVを撮りたかったんですけど、当然ながら周囲は僕を主役にしたがる傾向があって。だけど僕はいつも主役ではないんです。曲の中でも」

「“主役は別にいて僕は観察者”みたいな感覚は中学の頃からなんです。自分、もともとの気質は全然ヤンキーじゃなくて。今思えばフィールドワークというか、ヤンキーという存在があまりにも興味深かったので入り込んでみた、という感覚です。タバコを吸ったり、バイク乗ったりしたのも全部通過儀礼。やらないと仲間に入れてもらえないので。アンダーグラウンドのバンドシーンにも似たところがありましたね。彼らの刹那的な生き様に惹かれたんです。

『ビーバップ』って、番格には描けない世界があると思っていて。トオルとかヒロシじゃない、いつもそのすぐそばにいながら俯瞰で自分たちを見ることができた人間だからこその世界観なんですよね。そこに共感を持っています。だからこそ『ビーバップ』や『湘爆』の世界を具現化するときに、自分は脇役がいいという思いがあったのかなと思います」

氣志團のファンクラブ名は「私立戸塚水産高校」

ここまで、映画やファッションを中心に語ってもらってきたが、氣志團の表現には、MVや歌詞、ライブ演出、CDの帯やジャケットデザインに至るまで、数え切れないほどの引用やオマージュがちりばめられている。中でも「ビー・バップ・ハイスクール」からの引用について、改めて聞いてみた。

「デビュー前の話ですが、うちのギターのトミーくんが、吉祥寺の喫茶店できうちかずひろ先生をお見かけしたことがあったそうなんです。当時僕の考えで、メンバー全員に名刺を支給していまして。それで、普段はめったにそういうことするタイプじゃないトミーくんが、『ビー・バップ・ハイスクール』をリスペクトしており、こういうバンドやってる者です、とその名刺を渡したそうなんです」

「のちに氣志團のファンクラブを作るとき、『私立戸塚水産高校』っていう名前、最高にいいよなという話になりまして。ダメ元できうち先生にご連絡をしたところ、『昔、喫茶店でメンバーの人に声掛けられたの覚えてますよ』と仰ってくださって。『しかしこんな時代にそんな“ヤクザ養成機関”みたいな学校名で大丈夫ですか?』と、逆にご心配いただきつつも快く許可をいただいて、僕ら現在もファンクラブの名前は『私立戸塚水産高校』でやらせていただいております」

バームクーヘンのレベル向上にも「ビーバップ」の影響

「『ビーバップ』って、刺さる箇所が、みんな違うんです。それぞれの思うパンチラインがあって、均太郎が『あと3杯食べないとタダになんねーんだよ』と嘆く中華屋のシーンを何度も繰り返して腹抱えて笑っているやつもいたし、ノブオの『ヒロシさんがいたらな……』発言にキレるトオルを見て、やたらエモくなるやつもいたし、『相変わらず渋いね、大将』的な、“普通の中高生にとっては使う場面がなかなか見つからないけど、それでもどうしても使いたくなるワード”にやたら反応するやつもいたり。僕の中ですと、原作での松沢くんのバームクーヘンの回。先生と喧嘩して学校を辞めると言い出したトオルのところに松沢くんがスカウトに来て『これ、アイサツがわりのバームクーヘン』って渡すシーン。僕にはめちゃくちゃ刺さりまくったんです。ヤクザの手土産、バームクーヘンなんだ……って。そのあと、本職になられたらヤバいと思った先生が『中間くん、早まっちゃいかん!』って止めようとする、あの回がすごくよくて」

「氣志團を始める前から、先方に『……なんで?』と聞かれることを見越して『手土産にはバームクーヘン』を実践するようになりました(笑)。『ツッパリは手土産って言ったらバームクーヘンなんです』『なんでですか?』『いや。「BE-BOP-HIGHSCHOOL」の松沢くんのエピソードがありまして』って言ったら、向こうがハハハって笑ってくれたり、知ってる人は『それか~! 確かに松沢くんバームクーヘン渡してたわ!』と盛り上がってくれるので(笑)。

僕の人生の目標の1つに『笑っていいとも!』のテレフォンショッキング出演というものがありました。ある日いよいよメジャーデビューをすることが決定したので、『今のうちに準備しよう!』ということで、全国からバームクーヘンをお取り寄せしたんです。スタッフ含め、みんなで何十種類と試食会をした結果、満場一致で『クラブハリエという洋菓子店のがうますぎる!』となりまして。その後、見事テレフォンショッキングに出演が決まり、そのバームクーヘンをタモリさんにお持ちしたことを皮切りに(『とんねるずのみなさんのおかげでした』の)『食わず嫌い王』でとんねるずのお二人に、『さんまのまんま』で(明石家)さんまさんにもお渡しするなど、芸能界に君臨する超絶ビッグスターのもとにもかならず手土産としてバームクーヘンをお届けし続けました。そんなある日、貴さん(石橋貴明)が番組の中で『お前にもらったバームクーヘン、うますぎた!』と言ってくださいまして。その年のクラブハリエさん、前年比400%の売上だったそうで、『どうやら、とんねるずの石橋さんが言ってくれたみたいなんだけど、そこに持ってったのは氣志團の綾小路さんらしい』ってことでクラブハリエさんから御礼のご連絡をいただき、そこからのお付き合いで現在も『氣志團万博』で毎年コラボレーションさせてもらっております。

今、日本は世界有数のバームクーヘン大国になっています。間接的ではあるものの、そこには実は松沢くんが関わっていたと断言します(笑)」

氣志團のファンは、新選組のドラマから歴オタになる人に近い

ここで素朴な疑問が湧いてきた。このような小ネタを、氣志團のファンはどこまで理解しているものなのだろうか? 綾小路に尋ねてみると、ファン層の意外な広がりについても教えてくれた。

「もともと、KISSES(氣志團ファンの呼称)のヤンキー率は世の中のアーティストのファンの中でも低いほうだと思います。理由は簡単で、ヤンキーはシンプルなものが好きだからです。はっきりとかっこよくて、はっきりと強くて、はっきりとしたストーリーがあるもの。永ちゃん(矢沢永吉)しかり、BOØWYしかり、X JAPANしかり、ayu(浜崎あゆみ)しかり、EXILEしかり。対して氣志團の場合、本1冊書いても『元ネタはこれだ』とか注釈だけでもう1冊組まないといけないくらい面倒くさい情報が多すぎるんですよね……。一番の理解者だと思っていた地元の先輩や同級生たちからも『お前らは……なんか難しくてわからん……』と一蹴される始末(笑)。

しかしながら、そんなややこしバンドの我々のGIGに、ここ数年20代の女性がたくさん来てくれるようになるという摩訶不思議な現象が。なぜだろうと思い、探りを入れてみたところ、なんと我々がデビューした頃、親御さんに連れられてGIGに来ていたちびっ子たち、つまり2世だったことが発覚したわけです。当時爆音に驚いて寝ちゃったり、凄惨な演出に泣きわめいていた子たちが、その後まさかのファンになってくれていて、SNSの普及とともに、全国に散らばる同世代のKISSESたちとコンタクトを取るなどしてみんなで応援し続けてくれていたのでした。

さらにはその世代も結婚し始め、いよいよ3世代目が登場するという時代に突入。もはや親族のような気持ちで接する昨今なのですが、先日、ニューシングル『汚れなきクソ野郎ども』のリリースイベントを開催した際、今度は男女ともに数多くのティーンズたちが参加してくれたのです。聞けば、彼らは『東京リベンジャーズ』や『WIND BREAKER/ウィンドブレイカー』などに触発され、なかばファンタジーとしてのヤンキー文化に興味を持ったとのことでした。例えるならば新選組をモデルにした実写やアニメなどから歴オタになる層とかに近いのかもしれません。侍や忍者、なんならニホンオオカミのように、歴史上には確かに存在したが、現代では絶滅してしまったもの、その並びにヤンキーも数えられ始めたのかもしれません。コミックやアニメ、ドラマに登場する幻の生物“ヤンキー”を追い求めているうちに、氣志團と出会ってくれたと言うんです。しかも、その中には中国や韓国から来てくれた方もいたのです。この源流である『ビーバップ』が築き上げた『ジャパニーズ・ヤンキーマンガ』の系譜がさまざまなジャンルに影響・発展して、我が国が誇るこの極めて特殊で稀少な文化が国内はもちろん、今や海外の若者たちにまで伝わっている。これはとてつもないことだと思います」

ここまでは綾小路翔および氣志團が「ビー・バップ・ハイスクール」から受けた影響を聞いてきた。最後に聞きたかったのは、今の若い世代が「ビーバップ」を観たらどう感じるのか、そして「ビーバップ」から何を受け取ってほしいのかという質問だ。

「若い世代には、どういうふうに映るんでしょうね? ただ、『ビーバップ』が作り上げたヤンキーカルチャーは今でもずっとあるんです。マンガ作品の中にはリーゼントのキャラクターが頻繁に登場するし、ちょっとトガったファッション誌がときどきリーゼントのスタイリングを組み込んできたりもするし。今の僕らの新しいファンの人たちもその角度から来てくれるんですけど、『ビーバップ』は当時の社会を知るにはめちゃくちゃ面白いと思うんです。

何せこのカルチャーは僕たちにとっては当たり前だったけど、そうじゃない人たちは同世代でもファンタジーの世界らしいんです。『ヤンキー、ウケる!』って読んでた人たちがいる一方、俺たちは『○○高のやつらはまさしくこういう感じで、怖くて寄り付けなかったよ。だって鼻エンピツとかされんでしょ?』みたいな。とはいえ、どこか牧歌的な感じもあって。

自分は『ビーバップ』に人生で一度も触れないことはマジで損失だと思ってるんです。現代社会に生きて、これだけいろんな情報が満ち溢れてる中でも、一番正しいことが描かれている作品なんです。多くのヤンキーマンガが大きくデフォルメされている中、『ビーバップ』は限りなくノンフィクションに近いフィクション。80年代中期から90年代前半にかけて、日本全国すべての地域に存在した幻みたいな文化であり、今も形を変えて残ってはいるけれど、一番濃かった頃の記録。これって日本が一番豊かだったときの象徴なんじゃないかな、なんて思っています。

僕はツッパリとかヤンキーは日本の高度経済成長が生んだ副産物みたいなもので、その前の愚連隊とか近年の半グレといった、経済が不安定な時代が生み出した犯罪集団とは違うと思うんです。1960年代後半から80年代にかけて日本が豊かになったからこそのフラストレーションの中で生まれたもの。それがヤンキーであり、『ビーバップ』はその世界観を時にリアルに、時にコミカルに描いた素晴らしい作品なんです。だから今触れてもめちゃくちゃ面白いし、キャラクターたちもルッキズムの外側にいる男前たちだから、近年のヤンキー作品における“イケメンパラダイス”的な世界観とは一線を画しているあたりも推せますよね。もちろん……やっていることはダメなことだらけですが(笑)。ドツいた相手のボンタンを奪ってパンイチで帰らせるって、不良の心を完膚なきまで叩き折る行為ですから(笑)」

「僕らみんな『ビーバップ』で学びました。喧嘩のやり方にしても拳でやり合うだけじゃなく、相手の人心を掌握することも描かれるし、何より“最強キャラ”がいないこともフェアだなと思います。中でも僕が一番大切にしているのが『人生一番のピンチを乗り越えるのは、いつだってユーモアを保てるかどうか』。どんなに喧嘩が強くても、より強大な力にのみ込まれたとき、人ってもろいんです。シリアスにしかならない。ヒロシやトオルたちがユーモアで乗り越えていく哲学は、僕が10代の頃『ビーバップ』で刷り込まれたことです。氣志團を始めるきっかけにもなったし、僕が思うリーダー像も入っている。力だけじゃみんな付いて来ないし、それだけだと勝てないこともある。場合によっては目をそらして“勝たない”やり方もある。『ビーバップ』から学んだことは、とても多いです」

氣志團(キシダン)

1997年に千葉県木更津で結成。メンバーは綾小路翔(DRAGON VOICE, MC & GUITARVo)、早乙女光(Dance & Scream)、西園寺瞳(G)、星グランマニエ(G)、白鳥松竹梅(B)、白鳥雪之丞(Dr / 2014年3月より活動休止中)の6名。“ヤンクロック”をキーワードに、学ランにリーゼントというスタイルでのパフォーマンスが話題を集め、2001年12月にVHSビデオで“メイジャーデビュー”を果たす。「One Night Carnival」「スウィンギン・ニッポン」などヒット曲を連発し、2004年には東京・東京ドームでのワンマンライブも開催。2012年からは地元千葉県にて大規模な野外イベント「氣志團万博」を主催し、ほかのフェスとは一線を画するラインナップで多くの音楽ファンの支持を集めている。2026年2月から8月にかけては「氣志團現象25周年記念ツアー 『四半世氣少年』」で全国をツアーする。

PrimeVideoチャンネル「東映オンデマンド」にて「ビー・バップ・ハイスクール」全6作品配信中

料金:月額税込499円 ※初回14日間無料
https://amzn.to/4p0igbL
※2026年1月時点