ストーリーのルーツとなった「東京ロッカーズ」伝説のバンド解説
さらに映画を楽しむための徹底ガイド
Text:兵庫慎司 写真提供:地引雄一
はじめに
「東京ロッカーズ」というムーブメントの代表的なバンドは、1979年リリースの同名のオムニバス・アルバムに参加した、LIZARD、フリクション、ミスター・カイト、ミラーズ、S-KENの5つだと言われている。ZELDAは「東京ロッカーズ」のムーブメントの中心にいた、チホを中心に結成したバンドだが、本格的な活動は「東京ロッカーズ」よりも後。ザ・スターリンとJAGATARAは、「東京ロッカーズ」の中にはいなかったが、「東京ロッカーズ」と同じ時期に、始まったばかりの日本のインディーズ・シーンで、注目を集めていたバンドだった。
「東京ロッカーズ」の中心であり、日本のインディーズの源流
LIZARD(リザード)
東京ロッカーズというムーブメントを牽引した存在として、最初に名前が挙がるバンド。ボーカルのモモヨ(菅庸介)とギターのカツ(塚本勝巳)を中心に、1972年に前身バンド「紅蜥蜴」を結成、後にLIZARDと改名。他のバンドたちと「東京ロッカーズ」としてのライブ・イベントを開催、同名のオムニバス・アルバムやLIZARDの作品を自主製作でリリース。1979年11月にはメジャーデビュー、1980年以降はインディーズとメジャーの両方から作品を発表していく。
メンバーの交通事故や脱退、モモヨの麻薬取締法違反容疑での逮捕などを経ながら活動を続けるが、1987年のアルバム『岩石庭園』を最後に活動休止。2009年に再集結、22年ぶりにニュー・アルバム『リザードⅣ』をリリースした。
インディーズ→メジャーで活躍、の先駆者となったガールズ・バンド
ZELDA(ゼルダ)
「東京ロッカーズ」のシーン等を取り上げるミニコミ(今でいうZINE)を作ったり、地引雄一・LIZARDのモモヨと共にジャンク・コネクションというインディーズ・レーベルを立ち上げたりしていた、チホが1979年に結成したバンド。映画の中で描かれているとおり、1980年3月に中学生だったボーカル=高橋佐代子が加入して以降、活動が精力的になり、1982年8月、モモヨのプロデュースによるファースト・アルバム『ZELDA』でデビュー。ガールズ・バンドの先駆けとして、後続のミュージシャンたちに大きな影響を与える。
インディーズ・ブーム〜バンド・ブームの時期も、音楽性の変化やメンバーチェンジなどを経ながら活動を続けるが、1996年に解散。
映画の中でのバンド名「ロボトメイア」は、ファースト・アルバム収録曲の「ロボトメイア」から。
1980年代にも1990年代にも傑作を残したバンド
FRICTION(フリクション)
LIZARDと並ぶ「東京ロッカーズ」の中心的存在。ニューヨークで活動していたレック
(ボーカル&ベース)とチコ・ヒゲ(ドラム)を中心に、1978年に結成。同年のオムニバス・アルバム「東京ロッカーズ」に2曲参加する。1980年、坂本龍一プロデュースのファースト・アルバム『軋轢』でメジャーデビュー。1995年リリースの4thアルバム『Zone
Tripper』は、特に絶賛を浴び、FRICTIONを知らなかった世代にも広く聴かれた。
その時期のギタリストで、後にROSSOやThe
Birthdayでチバユウスケと活動したイマイアキノブ、二代目ギタリストで脱退後にE.D.P.S(エディプス)を結成したツネマツマサトシ(画家としても知られる)などの才能を、世に送り出したバンドでもある。1996年に活動休止したが、2006年、レックとドラムの中村達也の2人編成で再始動した。
なお、DEEPという役名は、1982年リリースのセカンド・アルバム『Skin
Deep』から。
ロック・シーンの外にまで広まった衝撃
ザ・スターリン(THE
STALIN)
当時30歳だったボーカルの遠藤ミチロウを中心に結成。日本語詞でハードコア・パンクをやった先駆者的な存在。豚の頭や臓物を客席に投げる、ミチロウが全裸になって放尿する、その陰茎を女性客がくわえたりする、といった過激なステージ・パフォーマンスが週刊誌などに取り上げられ、ロック・シーン以外にも存在を知られるようになる。1982年にメジャー・デビュー、音楽評論家の渋谷陽一や思想家の吉本隆明等に高く評価されたが、4枚のオリジナル・アルバムをリリース後、1985年に解散。
遠藤ミチロウは、ソロや、音源は出さずにビデオのみをリリースする「ビデオ・スターリン」、新メンバーによる「スターリン」などでの活動に入る。以降もさまざまなユニットや弾き語りで音楽を続けたが、2018年11月に膵臓がんであることを公表、翌年4月に死去。
映画の中のバンド名「解剖室」は、インディー・リリースしたファーストアルバム『trash』の1曲目のタイトルから。
今でも影響を与え続ける「やっぱ自分の踊り方でおどればいいんだよ」JAGATARA(じゃがたら)
ボーカルの江戸アケミを中心に、1979年に結成された、日本のロックのインディーズ初期を代表するバンド。田口トモロヲ監督のバンド「ばちかぶり」(1984年結成)に、大きな影響を与えた存在でもある。
ステージでニワトリやヘビを食いちぎる過激なパフォーマンスが注目され、ザ・スターリンの遠藤ミチロウも影響を受けたことを認めている。パンク・ロックからファンク中心へと音楽性を変えた1982年の1stアルバム『南蛮渡来』は、各方面から絶賛される。1983年後半から、江戸アケミがメンタルの問題で入院、静養に入るが、1985年9月より活動再開。1989年には4thアルバム『それから』でメジャー・デビューするが、1990年1月27日、江戸アケミが自宅で入浴中に溺死。バンドは解散したが、2019年〜2020年にかけて、一部のメンバーを中心に「Jagatara2020」としてライブを行い、新曲と過去の未発表音源からなるミニアルバムをリリースした。
なお、「エド&じゃがたらお春」「財団法人じゃがたら」「暗黒大陸じゃがたら」など、何度も正式名称を変えているバンドだが、ここでは解散時に名乗っていた「JAGATARA」とした。
映画の中でのバンド名「ごくつぶし」は、1989年12月リリースのメジャーからの2ndアルバムのタイトルから。
この人の帰国からすべてが始まった
S-KEN
本名=田中唯士、1947年東京生まれ。作曲家、ミュージシャン等を経て、音楽雑誌の海外特派員として1975年に渡米。ニューヨークのパンク・シーンに衝撃を受け、1978年に帰国後、バンド「S-KEN」を結成。自身のスタジオ兼ライブハウス「S-KENスタジオ」を拠点に、「東京ロッカーズ」のムーブメントを作り上げる。
以降、ソロS-KENとしてデビュー、「S-KEN& HOT
BOMBOMS」等のバンド、JAGATARAやMUTE
BEAT等とのクラブイベント『東京ソイソース』の開催、自身のレーベルやコンピレーション・アルバムのプロデュース、新人アーティストの発掘など、長年にわたって活躍し続けている。ハナレグミとレキシが在籍したSUPER
BUTTER DOG、クラムボン、H
ZETTRIOの3人が在籍したPE’Zなど、彼のプロデュースで世に出たアーティストは数多い。
テレグラフ・レコードを代表する存在
NON BAND
ジャンク・コネクション・レコードを経て、ユーイチこと地引雄一がひとりで立ち上げたインディーズ・レーベル、テレグラフ・レコードの初期を代表するバンド。ボーカル&ベースのノンとドラムのケイコ、女性ふたりのバンドとして1979年に結成。その後ケイコが脱退しメンバーふたりが加入し、1982年にテレグラフからファースト・アルバム『NON BAND』を発表、大きな話題となる。ツアーでも人気を集めるが、メンバーが相次いで脱退、バンドは自然消滅。ノンは故郷の青森県弘前市に帰り、家庭を持って子育てしながら家業を継いだが、1999年に音楽活動を再開。2002年にソロ・アルバム、2022年には『NON BAND Ⅱ』をリリースした。
映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』個性炸裂のキャラクター映像

