日本のロック黎明期・ストリート主要スポット
3月27日(金)より公開される映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』。田口トモロヲ監督と脚本家・宮藤官九郎が、『アイデン&ティティ』(2003年公開)以来、23年ぶりにタッグを組んで手がけた作品だ。
1970年代後半、本質的な意味での「日本のロックシーン」を切り開いた「東京ロッカーズ」と呼ばれるバンドたちと、そのムーブメントを再現した映画で、原作はこれらの若者たちと、行動を共にしてきた地引雄一による『ストリート・キングダム』だ。
キャストは主演の「ユーイチ(地引雄一)」役の峯田和伸、「モモ(リザード・モモヨ)」役の若葉竜也を筆頭に、吉岡里帆、仲野太賀、間宮祥太朗、中島セナ、大森南朋、中村獅童ほか。異なる強い個性を持つ役者たち。それぞれの立場がつぶさに表現された群像劇で、エネルギッシュでリアルなそのストーリーが観る者の心を熱くさせる。
今回は劇中にも登場する、日本のロック黎明期を語る上で欠かすことができないストリート主要スポットを6つ紹介する。
Text:松田義人(deco)写真提供:地引雄一
地引雄一にとって、衝撃の出会いとなった伝説のライブハウス 「渋谷屋根裏」
1975年、渋谷センター街から西武百貨店へ抜ける路地のビルにオープン。RCサクセション、浜田省吾、P-MODEL、BARBEE BOYS、THE BLUE HEARTS、レピッシュといった錚々たるバンドやシンガーがステージに立った伝説のライブハウスとして語り継がれている。『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』の劇中では具体的な店名は触れられていないが、原作によれば、地引が手にしたミニコミ『ロッキン・ドール』(編集発行は、後のZELDAのチホ)をきっかけに、紅蜥蜴(べにとかげ)というパンクバンドを初めて観たライブハウスでもあった。地引にとっては、この「渋谷屋根裏」で出会った紅蜥蜴のボーカルだったモモヨ、チホとの出会いが以降の生活に大きな影響を与えていくことになった。
スタジオ兼ライブスペースというバンドたちにとっての理想の空間だった 「S-KENスタジオ」
作曲家、音楽雑誌の編集者として若い頃から世界を渡り歩いていた田中唯士(後のS-KEN)が1978年にニューヨークから帰国し、レコード会社を辞めた山浦正彦と共に六本木・テレビ朝日通りを下った小さなビルの地下に設立したスタジオ。地下2階にワンルームの練習スタジオ、地下1階にオフィスがあり、狭いながらもライブもできる構造だった。同年5月には「パンク仕掛け99%」と題するオープニングギグが行われ、紅蜥蜴、ミスター・カイト、ミラーズ、S-KEN(田中個人がS-KENと呼ばれる前のバンド)、フリクションといった後の「東京ロッカーズ」のバンドたちが共演。以降、毎週のようにギグが開催されたが、ほどなくしてS-KENと山浦正彦との間で方針の相違があり、S-KENスタジオでの彼らのギグはやがて縮小。「東京ロッカーズ」のバンドたちは、都内のライブハウスへと活動の場を広げていった。
錚々たるバンドがステージに立った伝説のライブハウス 「新宿ロフト(西新宿・小滝橋通り)」
1970年代初頭より東京の各地に「ロフト」を複数出店していた平野悠が1976年10月に西新宿・小滝橋通り沿いにオープンした伝説のライブハウス。サザンオールスターズ、RCサクセション、ARB、アナーキー、ザ・スターリン、ザ・ルースターズ、BOØWY、ラフィンノーズ、有頂天、THE WILLARD、THE BLUE HEARTSといった錚々たるバンドがステージに立ち、特に80年代のインディーズブーム、バンドブームにおいては、バンドの登竜門的なライブハウスだった。
のちの「東京ロッカーズ」のバンドたちは、S-KENスタジオでのギグが縮小されたあと、1978年10月に『爆発寸前! 東京ロッカーズ』と評したイベントをロフトで開催。大盛況となった数日後にはバンドたちは数台の車に分乗し、「京都大学西部講堂」への出演をメインにした『東京ロッカーズ・ツアー(関西ツアー)」を敢行した。なお、西新宿・小滝橋通り沿いの新宿ロフトは一旦閉店し、1999年に現在の歌舞伎町に移転した。
「東京ロッカーズ」以前のロックバンドが続々とステージに立った 「京都大学西部講堂」
1960年代、京大全共闘の拠点として、関西圏の学生活動家の多くが出入りしていた講堂。1970年代以降はロックイベントがたびたび開催され、キャロル結成前のジョニー大倉、矢沢永吉、PYG、村八分、かまやつひろし、カルメン・マキ、頭脳警察といった「東京ロッカーズ」以前のロックアーティストやバンドたちがステージに立った。また、海外からもマザーズ・オブ・インヴェンション、ストラングラーズ(リザードと共演)、XTC、トーキング・ヘッズ、トム・ウェイツなども「京都大学西部講堂」でライブを行った。
1978年10月、「東京ロッカーズ」のバンドたちは「京都大学西部講堂」で関西圏で人気を博していたSS、アーント・サリーらと共演。また、同年末には「東京ロッカーズ・ツアー(関西ツアー)」への返答としてSS、アーント・サリーの2バンドが上京しライブを敢行。東京のロックシーンの話題をさらった。
地引雄一が立ち上げたインディーズレーベル 「テレグラフレコード」
地引雄一はリザードのモモヨ、ZELDAのチホと3人で1980年にジャンク・コネクションというインディーズレーベルを設立したが、劇中でも描かれている通り、ほとんどの仕事を地引ひとりがやることとなり、翌年1981年に改めて「テレグラフレコード」を設立。設立時は西荻窪にあったが、のちに埼玉県草加市へ。
第1弾のリリースはオートモッドの3曲入りシングルだった。このほかリザード、ノンバンドといった「東京ロッカーズ」関連、招き猫カゲキ団(チホ、高橋佐代子によるユニット)、または界隈のバンドの作品をリリースしたほか、イベントや雑誌敢行などを行った。
42年営業を続けるインディーズ専門店 「レコードショップ・フジヤマ」
下北沢にあったレコード店・五番街の店長だった渡辺正が1984年に独立し、三軒茶屋に開店したインディーズ中心のレコード店。地引雄一のテレグラフレコードはもちろん、インディーズレーベルの大半と「東京ロッカーズ」周辺のバンドとも懇意で、錚々たるミュージシャンらが店番をしたり、店先でイベントをすることもあった。2026年の新年にも店頭で懇意のアーティストたちによる新年会が開催されるなど、レコード店としての枠を飛び越え、サロン的な意味合いも持つ特別な店だ。店の看板代わりに掲げられた「やっぱ自分の踊り方でおどればいいんだよ。(江戸アケミ)」と店頭の様子、そして渡辺は劇中にも映る。
ここまでの6スポットの情報は複数の資料をソースにし、また筆者の記憶を元にまとめたが、最も正しく詳細に綴られた資料はほかでもない、映画の原作『ストリート・キングダム』地引雄一・著K&Bパブリッシャーズ)でもあった。 原著は1986年に刊行され、2008年に特典DVD付きで復刊。映画公開日となる3月27日(金)には、最終版として『ストリート・キングダム 最終版 東京ロッカーズと80’sインディーズ・シーン』(地引雄一・著KSLOGAN / indies press)が発売される。
峯田和伸&若葉竜也 涙のクランクアップ映像

