舞台『ナルキッソスの怒り』 インタビュー 成河×藤田俊太郎
ステージ
インタビュー
(左から)藤田俊太郎、成河 (撮影:岡千里)
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すべて見るリアルと虚構が交錯した“オートフィクション”スタイルで展開される、セルヒオ・ブランコ作の『ナルキッソスの怒り』。この問題作に挑むのは、過去『VIOLET』『ラビット・ホール』で創作を共にし、強い信頼で結ばれた演出家・藤田俊太郎と俳優・成河だ。作品の幕開けは、成河が自身とセルヒオとの交流を語り始めるところから。そして舞台はスロベニアの首都リュブリャナへ。セルヒオがホテルで体験したという、奇妙な出来事が徐々に明らかになっていく──。
3月下旬、都内某所にある稽古場を訪れると、ふたりの“演劇バカ”が「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤中。この一筋縄ではいかない難題を前に、藤田と成河はどんな創作の日々を送っているのか。稽古直後のふたりに話を訊いた。
――セルヒオ・ブランコによる本作は、“オートフィクション”という特殊なスタイルが取られていますね。
藤田 まず僕らはこれを“物語”であると捉えて取り組んでいます。出演者である成河さんが、成河さんという役で登場することをきちんと内包した、虚実ないまぜにして作られた物語である、と考えていて。
成河 そのためには完全な書き換え、僕の口語の文章を作る必要があります。だから僕、最初はお断りしようと思っていたんですよ(笑)。そういうことって日本ではまず実現しないですから。でもプロデューサーさんの尽力もあり、セルヒオさんや翻訳の仮屋浩子さんにも繋いでいただいて。で、「自分の言葉は全部自分で書きます」ということを条件に始動したのが、今からおよそ1年前のことです。

――作家なら自分が書くものに対してはなにかしらのエゴがあると思いますが、書き換えにも反対はされず?
藤田 セルヒオさんとお話しして、本当に自由に上演してくださいと言ってくださっています。ただその裏側には、ご自分が作劇に込めたテーマへの自信も感じて。だからこそ、成河さん役が登場することを受け入れる豊かさを、この戯曲はすでに持っているんだと思います。
成河 こんなメールをセルヒオさんからもらったんです。「あなたたちがやる場合は、例えば国を日本などに変更しても構いません。観客が自分たちの身近な文化で感じるのが、この作品では重要です。その作品を現地のリアルな環境に置き換えるのは当然です」と。これを読んだ時、僕はやれるなと思いました。
藤田 そして僕はこの作品のひとつの見方として、自分の言葉や物語はいくらでも切り刻めるんですよってことを、作家が言っているに過ぎないと思っています。要は作家性そのものを切り刻んだのがこの作品であって、だからこそいろいろな語り口ができるし、いろいろ伝えられる。つまりこの物語をどう見ようが、どう切り刻もうが、どう介入しようが、それはお客様の自由ですよってことなのだと思います。
成河 すごいね、そこまで言うとは! でも確かにそうだと思います。

――本作の上演意図についてプロデューサーは、「劇中で起きている恐怖性は、人間が持っている狂気性を表現している。今、自分たちの日常にはこういった怖さが含まれており、だからこそ今この作品を伝えたいと思った」と語っています。
成河 本当にその通りで、今僕らが考えなければいけないのは、想像力の持つ危険性だと思うんです。想像力だけで人は壊れるし、壊してしまえる。で、その危険性を極めて安全な形で学べるのが劇場なんですね。なぜなら極めて危険なところまで刃物を近づけていって、想像力で本当に際の際までいくんですけど、全部嘘ですから。だから大丈夫だよってできるのが、劇場の素晴らしさだなと。そういうことを今僕らも教わっていると思いますし、実社会において必要なものだと痛感しています。
藤田 僕もまったく同じ想いですね。これは成河さんから学んだことであり、この稽古場で学んだことでもあるのですが、「想像力や演劇で痛みを知れば、現実で人に痛みを与えない」と。当たり前のことではありますが、改めてそのことを思い知らされている日々です。
成河 世の中がどんどん複雑になってきて、なにかが自分を傷つけてくるかもしれないという時に、それに触らず放っておくと結構ヤバいことになると思うんです。でもそういうことに対して、世界中のいろいろな現代演劇が処方箋を出してくれている。この作品もそのひとつだと思いますし、そうでなければこんなものは書かないと思います。

取材・文:野上瑠美子 撮影:岡千里
<公演情報>
『ナルキッソスの怒り』
2026年4月18日(土)~30日(木)
会場:東京芸術劇場 シアターウエスト
チケット情報:
https://w.pia.jp/t/narcissus-stage/
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