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『ドキュメンタル』ストイックな芸人たちの凄み 『HUNTER×HUNTER』と重なる“格闘”の興奮

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リアルサウンド

 本日4月26日より、Amazon Prime Videoにて『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』(以下、『ドキュメンタル』)のシーズン7が独占配信される。

 『ドキュメンタル』はダウンタウンの松本人志が提供するお笑い番組だ。内容は閉鎖された部屋で10人の芸人が、お互いを笑わせ合うというもの。芸人たちは、それぞれ100万円を自腹で用意。最後まで残った1人が1000万円を獲得できる(これだと優勝者は900万円しか獲得できないということでシーズン2からは松本が100万円を自ら用意している。つまり松本は『ドキュメンタル』を開催する度に100万円を失っている)。

参考:松江哲明が語る『ドキュメンタル』の革新性 「この番組には“笑い”しかない」

●格闘技として捉えた“お笑い”

 この番組の1番のポイントは「笑わせる」というオフェンス(攻撃)だけではなく「笑わない」というディフェンス(守備)も問われることだろう。

 このオフェンスとディフェンスという「笑い」における攻守という概念をむりやり定義したことこそが、本作最大の発明だ。格闘家風の屈強な男同士が向かい合うOP映像や、番組の節々に挟み込まれる松本のコメントを見ていても明らかなように、本作は「お笑い」を格闘技として捉え直している。

 『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)を筆頭に、「お笑い」を勝負に見立てて、1番笑わせた芸人が優勝という「ゲームとしてのお笑い」は現在のテレビでも人気コンテンツであり、今のお笑い芸人は笑いという競技を戦うアスリートとして世間から注目されている。『ドキュメンタル』はその方向性をより先鋭化させたものだが、その結果として、格闘漫画におけるバトルを「笑い」に見立てたものとなりつつある。

 パイロット版の中に、ロバートの秋山竜次が「ここから出してくれよ!」と叫ぶシーンがある。これはギャンブル漫画の『カイジ』シリーズ(講談社)や『バトル・ロワイアル』(太田出版)といった(閉鎖空間に閉じ込められた人々が無理やり戦わされる)デスゲームモノのパロディだ。『M-1グランプリ』が『ドラゴンボール』(集英社)における天下一戦闘会のような80~90年代の少年漫画で一世を風靡したトーナメント・バトルだとしたら、『ドキュメンタル』は『バトル・ロワイアル』以降の複数バトルモノ、ジャンプで言えば『HUNTER×HUNTER』(集英社)の世界観だろう。

 つまりバトルモノの先鋭的な作品を見ている時の興奮が『ドキュメンタル』にはあるのだ。中でも思い出すのは『バキ』(秋田書店)の最強死刑囚編である。格闘技漫画『グラップラー刃牙』(同)の続編となる本作では、世界中で同時多発的に脱獄した最強の死刑囚たちが「敗北を知るため」に、主人公の範馬刃牙たち最強の格闘家に闘いを挑むという展開となる。劇中では24時間どこでも攻撃可能(武器の使用も殺人も可)というノールール・デスマッチが描かれるのだが、同時に興味深かったのは『バキ』の世界における「強さ」が動機ではなく、それ自体が目的となっていたことだ。

●芸人たちのストイックな姿勢の美しさ

 ふつうのバトルモノだったら「強さ」とは何らかの目的(地位や名誉、あるいは世界征服)を達成するための手段だ。しかし、『バキ』に登場する格闘家たちは強い奴と戦うことしか考えておらず、悪役ですら私利私欲のために力を使おうとしない。そこには純粋な「強さ」だけを求めるストイックな欲求のみが存在するのだが、同じことを『ドキュメンタル』にも感じる。

 番組出演者の多くは、すでにテレビでも人気があり、複数のレギュラー番組を持つ芸人たちが多い。彼らがわざわざ自腹で100万円を払って番組に出演するのは、賞金が欲しいからでも、有名になりたいからでもなく、この番組に出演すること自体に、芸人としての名誉を感じているからだろう。『ドキュメンタル』は、松本が、笑ったかどうかをジャッジしたり、芸人にポイントを付けるという審判の役割を担っているが、何より芸人本人が笑わされること=負けという、出場している芸人自身が面白さをジャッジすることこそが本作の独自性を高めている。

 つまり本作は、芸人による芸人のための「笑い」を追求したお笑いバトル番組なのだ。おそらく、本作に参加する芸人たちには(松本と)他の芸人たちから面白い奴だと思われたい(そしてそのためなら何でもやる)、という動機しか存在しない。だから勝敗よりも「笑い」を第一に考える。勝つことや賞金を獲得することが目的ならば、相手の笑いを潰して守備に徹した方が良い。ある程度ポイントを獲得したら逃げ回ればいいのだ。しかし芸人たちは、相手の笑いを潰さない。プロレスラーのように技(笑い)を受け止めるし、ツッコミを入れてわざわざ「笑い」を引き出そうとしたりもする。その結果、即興演劇のような瞬間が生まれるのが本作の隠れた面白さなのだが、勝敗以上に「笑い」を追求したいという芸人たちのストイックな姿勢こそが、本作の美しさである。

●下ネタ最強問題をどう捉えるか

 そんな、芸人たちの「笑い」に対する狂気とも言える探究心こそが最大の魅力だが、ゲームのルールはシーズンごとにアップデートされている。パイロット版では時間制限なしだったが、シーズン1では6時間に設定され、シーズン2ではポイント制が導入。シーズン3では、敗退した芸人がチームを組んで生き残った参加者を笑わせる側に回るゾンビルールが導入され、シーズン5では参加者以外に助っ人を1人呼べるというルールが追加されといった感じで、ルールを少しずつ変えることで毎回違った面白さが生まれている。

 また、注目すべきは、選出される10人の人選で、そこには続けているからこその試行錯誤の痕跡が垣間見える。そういったルール変更や芸人の人選から松本が何を見せたいのかを裏読みするのも、本作の面白さだろう。それが強く現れていたのがシーズン6だ。この回には友近、近藤春菜(ハリセンボン)、黒沢かずこ(森三中)、ゆりやんレトリィバァの女芸人が参加。今までは1人だった女芸人の数を4人にしたのだ。

 『ドキュメンタル』を考える上で、どうしても外せないのは下ネタ最強問題だ。本作を見ていると、おっさんの裸と下ネタの組み合わせが1番面白いという結論にどうしても達してしまう。シーズン5はその方向性が極限まで際立っており、一つの到達点だと思うのだが、そういった笑いが成立するのは、男芸人の集まりだからという面は否めないだろう。

 シーズン4に、黒沢かずこが男芸人たちの輪に入れずに泣き出し「男社会だなぁ」と言う一幕があった。「舞台に立てば男も女もない」という考えもあるかもしれないが、やはり男女によって笑いのツボは変わってしまうものだ。それもあってなのか、シーズン6では女芸人の数が4人と一気に増えた。

 その結果、番組は途中から友近が他の女芸人をアシストする形で、男芸人を1人ずつ潰していくという女VS男という構図になり、今までとは違うグルーヴが生まれた。同時に女性の体を張る芸が成立することを証明した回となり、女芸人の可能性を大きく広げたと言えるだろう。シーズン7には女芸人はいないが、おそらくシーズン6の発展版はいつかやりたいと考えているはずだ。

 松本は『ドキュメンタル』を「実験」だと語っているが、ルールと(芸人の)選定を調整することで、本作は「笑い」という概念を見つめ直そうとしている。果たして、シーズン7ではどんな「笑い」を見せてくれるのか?(成馬零一)