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『アベンジャーズ/エンドゲーム』は胸を張れる超大作に “ヒーローも人”というMCUのスタンス

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リアルサウンド

 『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年)を遂に観た。公式から散々にネタバレへの注意喚起があって、正直そこまで注意することかなと思っていたが、実際に観たあとには断言できる。これは確かに予告で示されている内容、つまり「前作『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』(2018年)でサノスによって全宇宙の生命の半分が消され、多くのヒーローたちも消失し、本作は残されたヒーローたちが逆襲に向かう物語だ」以上はストーリーに触れない方がよいだろう。それに実際に11年間も向き合ったこともあって、この映画を1本の映画として冷静に観ることはできない。私から言えることは、本作はマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)が歩んできた11年の総決算、これこそがMCUだと胸を張れる超大作だということだ。

参考:『アベンジャーズ/エンドゲーム』は素晴らしい完結編 11年を詰め込んだ卒アルのような作品に

 MCU作品のコンセプトは『アイアンマン』(2008年)から一貫している。簡単にまとめれば、どんなヒーローも「人」だということだ。宇宙人だろうと地球人だろうと、出てくるキャラクターは「人」である。そしてMCUにおいて「人」はカッコいいだけではない。失敗したり、冗談を口にしたり、怒ったり、趣味があったり、寝たり、ケンカしたり、恋をしたり、お腹が減ったりする存在として描かれる。『アベンジャーズ』(2012年)の地球を守る一大決戦のあと、メンバーが少し気まずそうに食卓を囲うシーンにMCUの全てがある。カッコいいをありったけ詰め込んだ戦いの直後なのに、お互いに面識があまりなかったり、単純に疲れていたり、もしくは普通に口に合わなかったのか、特に盛り上がることもなく淡々とテーブルを囲む。しかも全員がヒーローのコスチュームのまま。そんな少しだけ間の抜けた光景を観客に見せるのがMCU作品だ。

 この「ヒーローも人」と言うコンセプトはキャラクター作りでも同様だ。いわゆるビッグ3、アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソーの3人のキャラクターを振り返ってみよう。アイアンマンことトニー・スタークは天才で大金持ちだが、自信過剰でコミュニケーションに難がある。キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャーズは、いつだってガッツとモラルを忘れないが、一方で頑固者としても描かれる。ソーは神で王で戦士という無敵の存在だが、それゆえに常識が通じないし、極端から極端へ走りがちだ。

 MCUはこうした「ヒーローも人」というスタンスのもと、たくさんの観客に愛されるキャラクターを生み出した。未曽有の大災害が宇宙を襲う『インフィニティ・ウォー』でもそうだ。どれだけ話が大きくなっても作品全体で日常感・人間臭さを忘れないこと。MCUの成功には様々な理由があるだろうが、このスタンスを決して忘れなかった点が大きいだろう。

 そしてMCUの総決算である本作『エンドゲーム』は、『アイアンマン』からシリーズを追って来た身として十二分に満足できるものだった。11年かけて練り上げてきたMCUの魅力、その総決算として求められることを出来る限り全部やっている。シリーズを追って来たファンも、ところどころは観ているよという人も、これがMCU初接触となるファンにも、MCUの醍醐味を感じさせるはずだ。なんなら今回が初MCUになる人は、あえて何も知らずに観た方が後々楽しいかもしれない。特定のキャラクターや作品に思い入れがあった方が楽しめるのは当然だが、たとえば日本でいえば『スーパーロボット大戦』から個別作品に流れる人もいる。それは作品そのものか、あるいはキャラクターや世界観に「もっと知りたい」と思わせる魅力があるからだ。本作にもそうした魅力は確かにあったと思う。

 11年かけて広がったMCUという風呂敷は、限りなくベストに近い形で畳まれた。このシリーズをリアルタイムで経験できて本当に良かったと思う。今は何より、こんなとんでもない巨大プロジェクトを成功させた人々に拍手を送りたい。(加藤よしき)