崎山蒼志、中村佳穂、長谷川白紙……新星SSWの新たな歌詞表現とは? 有識者3名の座談会【前編】
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2018年は『日村がゆく』(Abema TV)で話題を集めた崎山蒼志を始め、年末には中村佳穂、長谷川白紙といった新星シンガーソングライターが作品をリリースし注目が集まった。その流れは2019年も続き、君島大空が1st EP『午後の反射光』(3月13日)を発表。サイケデリックかつ繊細な音楽表現に魅了されたリスナーも多かったのではないだろうか。また、彼らの凄みでいえば、サウンド面もさることながら、それぞれが独創的な言葉遣いでメッセージを発している点も挙げられるだろう。そこで音楽ジャーナリスト/ライターの柴那典氏、鳴田麻未氏、ヒラギノ游ゴ氏を招き座談会を展開。前編となる本稿では、彼らのルーツや共通点のほか、なぜ彼らのような存在が2018年から2019年にかけて注目を集めたのかについても語ってもらった。(編集部)
・長谷川白紙、中村佳穂らが描く歌詞の“独創性”
ーーまずは、2018年から2019年にかけて注目されている10代~20代のシンガーソングライターの歌詞に注目してみたいと思います。編集部からは崎山蒼志さん、長谷川白紙さん、君島大空さん、中村佳穂さんの名前をピックアップしましたが、彼らの歌詞についてどのように感じていますか?
鳴田:まず、崎山蒼志さん、長谷川白紙さん、君島大空さん、中村佳穂さんはメディアでは“文学的な歌詞が話題”という扱われ方をされがちですけど、私は一口に文学的とは思わないんですよね。例えば、崎山蒼志さんはシンプルな言葉で人とのコミュニケーションを紐解いています。あまり小難しい言葉は使わないから、同世代に共感性があるし、上の世代から見ても面白さがあります。中村佳穂さんにもいえることですが、一口に“文学的な詞”という感じではないかと思いました。
ヒラギノ:“文学的”ってなんだよっていうところもありますよね。技法的なところで言うと、中村佳穂さんの言葉使いのセンスにはびっくりしました。「そのいのち」を聴いてたら「はいからいきゅねんいっけんどし」って聞こえるフレーズがあって、全然聞き取れないやと思って調べたら、本当に〈はいからいきゅねんいっけんどし〉って歌っていた。ご本人がTwitterで「『そのいのち』は外国語の曲って“言ってる事わからんけどめちゃいい”から発想を得てます。」と言っていて(参照:https://twitter.com/kiki_526/status/1070268917682040832?lang=ca)。その言語感覚や実現させる力に驚かされました。
鳴田:彼女は歌とリズムの関係がすごいですよね。あと、出せる声の幅が広い。澄み切った声も、淀んだ声も出せる。声色に“黒さ”も“白さ”も出せる人。ライブにおけるアドリブ力もありますよね。
柴:僕はまず長谷川白紙さんについて話しますね。彼について、Aphex Twinやレイ・ハラカミなどを先行して思い浮かべる人が多いと思います。ただ、Aphex Twinやレイ・ハラカミに共通するのは、両者とも言葉よりサウンドのほうが饒舌であるということ。彼らが作るサウンドデザインには、記名性があって、音を聞くだけですぐに彼らの音楽だとわかる。こういった人は歌詞を書かないことが多いです。それから、長谷川白紙さんで思い浮かべたのはCORNELIUS。彼もサウンドデザインに記名性がありますよね。ただ、CORNELIUSの場合は歌詞は書くんだけど“言葉をデザインしてる”という感覚。
鳴田:サウンドの一部として歌詞があるということですか。
柴:そうそう。長谷川白紙さんを、Aphex Twin、レイ・ハラカミ、CORNELIUSといった系譜にいる音楽家として捉えると、その上で言葉を使って描く対象や訴えかける対象があることに特徴がある。僕も“文学的”ってなんじゃそらと思いますけど、“文学的”の対比として“デザイン的”という概念を考えると、“文学的”の意味も少しわかる。例えば、CORNELIUSの「Gum」はまさにデザイン的な歌詞ですよね。一方で、長谷川白紙さん、崎山蒼志さん、中村佳穂さん、君島大空さんは、新しい音楽性で注目を浴びているタイプではあるけど、言葉による表現性もちゃんとある。
鳴田:それぞれ日本語表現を突き詰めて考えていますよね。
ーー長谷川白紙さんの歌詞の特徴についてもう少し具体的に教えていただけますか?
柴:確か、本人がTwitterで、『草木萌動』を「自分の体を自分で触ることについての作品」と言っているんですね(参照:https://twitter.com/hsgwhks/status/1063339135941791744)。つまり楽曲について、歌詞についても自分の身体性がテーマになっている。例えば「草木」の〈わたしの脳の枷を 熱る蜜に削ぎ入れて〉という歌詞には、聞き手が何かを共感できるような明確なメッセージ性はないから、抽象的に聞こえるかもしれない。でもテーマについてはとても明確であることが伝わってくる。
ヒラギノ:崎山さんにも当てはまることですが、いわゆる“J-POPの文法”が出来てから音楽を始めている人たちは、意図的か無意識かを問わず、その文法に当てはまらない表現を試みているように感じます。例えば崎山さんは「夏至」で〈獣のように繊細で 刃物のように綺麗な〉と書いています。獣のように“激しく”ではないんだ、刃物のように“鋭い”ではないんだ、というのが新鮮でした。また、長谷川白紙さんは音に関して“ハイパーアクティブ”と称されることがありますが、歌詞に関してもそうだなと。凝ったレトリックに突き抜けている。
柴:あと、長谷川白紙さんのTwitterを見ていて知ったのですが、彼はボーカロイド文化の影響が強い。
鳴田:最近ではアーティストに限らず一般の人も、YouTubeなどを通じて米津玄師さんから長谷川白紙さんにたどり着く人が多いように思います。柴さんがおっしゃった「サウンドデザインに記名性をもたせつつも、歌詞にもメッセージ性がある」について考えると、米津さん無しには語れないなと思いました。
柴:そうなんですよね。長谷川白紙さんや崎山蒼志さんは、今まさに新しく出てきたシンガーソングライターだけど、これまでの音楽シーンで積み重なってできた日本語表現の系譜がちゃんとある。米津玄師さんを筆頭にボカロ文化に携わった沢山の人たちが作り出したものを受け継いでいる感じがありますよね。
・ボーカロイドから生まれた新たな表現方法
ヒラギノ:レーベルにいる友人の受け売りなんですが、今日本で最大級にでかい世代間の断絶が、須田景凪/バルーンを知っているかどうかなんじゃないかと思っています。「シャルル」は2017年リリースの曲としてはカラオケ(JOYSOUND)で一番多く歌われていて、特に10代に圧倒的な認知がある。米津玄師さんが「みんなが“ボカロっぽさ”っていうものはwowakaさんが作ったものなのではないか」とTwitterで言っていましたが(参照:https://twitter.com/hachi_08/status/899927985012195330)、須田景凪さんの曲にはその“ボカロっぽさ”を強く感じています。音数も言葉数もめちゃめちゃに詰め込んでいて途切れない、といった作風。それに関して言うと、長谷川白紙さんにも共通している部分を感じる部分があります。
柴:特に今年、須田景凪さんやEveさんのように、ボカロカルチャーに出自のあるシンガーソングライターが新しいシーンを作っている状況がありますよね。ヒラギノさんがおっしゃったように、その源流にwowakaさんがいるのは間違いないと思います。よく言われるwowakaさんの特徴は高速のBPMと早口の符割りなんですけれど、もうひとつのポイントは四つ打ちで跳ねるビート。特にその“ボカロらしさ”を受け継いでいるのが須田景凪さんで、ブレイクするきっかけになった「シャルル」は、レゲトンやソカのビートのパターンを要素に用いつつ高速にしている。もともと彼はバンドでドラムをやっていた人なので、独自のリズムで曲を作ることを意識している人。それで、手応えがあった曲が「シャルル」だったそうなんです。
ーーBPMを高速にさせたから言葉も詰め込むようになった?
柴:単位時間当たりの言葉数が多いですね。例えば同じことを言おうとしても英語の「I love you」より日本語の「私はあなたを愛しています」のほうが沢山の音韻を必要とする。だからテンポが速くなると言葉を詰め込むことになる。あと、日本語の音韻をうまく活用して、「っ」とか「ん」の音でリズムを跳ねさせていく。それで日本語ならではのリズム感を作り出している。その考え方を軸にどんどん音楽性を発展させていっている。たとえばEveさんの「ナンセンス文学」もそういうタイプの曲です。
鳴田:確かに言葉を詰め込んだ曲って増えていますよね。
柴: wowakaさんが亡くなった時に長谷川白紙さんがTwitterで言っていたのですが、初音ミクが音楽シーンに出てきたあと、wowakaさんが誰よりも先に機械のボーカリゼーションを自分の体で表現した、と(参照:https://twitter.com/hsgwhks/status/1115096873826541569)。あと同時代で成し遂げているのが米津玄師さん。wowakaさんと米津さんっていうのはある種のライバルだったし親友だった。ボカロは初期はキャラクターソングとして認識されていましたが、自己表現のツールとして捉え直したことで音楽的な発明が生まれた。そういうボカロ以降の音楽性の発展があった。
ーー長谷川白紙さんや崎山蒼志さんなどといった新星シンガーソングライターは、なぜ去年から今年にかけて集中して音楽シーンに現れたのだと思いますか?
鳴田:私は去年から今年にかけて集まったとは思わなくて。自作自演のシンガーソングライターは、いつの時代にも必ずこれからもいるものだと思っていて。こういう表現をしている人たちは今までもいたし、絶対にこれからも続いていく。ただ、最近はメインストリームで活躍するアーティストたちが、グローバルトレンドの要素を取り入れたりして、日本と世界の境界線を飛び越えるような音楽を作って評価を得ている。一方で、日本人固有の表現ができるアーティストも同時に必要なものだから注目を浴びているのではないでしょうか。彼らの音楽は日本人でしかつくれない表現法だと思うんです。
柴:折坂悠太さんもそうですね。鳴田さんがおっしゃっているように、去年から今年にかけてガンガン出てきたというよりも、世の中の風向きが変わって注目が集まるようになったということだと思います。あと、もう一人重要なキーパーソンとして、七尾旅人さんがいると思います。この座談会で名前が挙がった崎山蒼志さん、長谷川白紙さん、君島大空さんのようなシンガーソングライターの日本語表現の系譜をたどっていくと、ひとつのルーツとして七尾旅人さんに行き着くのではないかと思っています。彼のデビューアルバム『雨に撃たえば…!disc2』やその後の作品は、いわゆるわかりやすい言葉で共感できるメッセージを伝えるシンガーソングライターのメインストリームに対して、一つのオルタナティブとなりうる日本語表現を開拓していた。フォークシンガー的な、日本語で自分自身の思いやメッセージを伝えるものというよりは、架空の情景と大きな物語世界を構築して、その語り部として歌っている。長谷川白紙さんや君島大空さんの日本語の使い方には、そういう系譜も感じ取れると思いますね。
(取材・文:北村奈都樹)