BTSのアルバムに込められた深遠なる心理ーー『ユング 心の地図』翻訳者 入江良平氏が分析
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ビルボード200で3度目の1位という快挙を達成したBTSの『MAP OF THE SOUL: PERSONA』。そのアルバムコンセプトが発表になると同時に、世界中で大きな注目を集めた一冊の本がある。
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アルバムと一部分が同じ書名の『Jung’s Map of the Soul: An Introduction』。アルバムのコンセプトとなった本書は、スイス在住のカナダ人ユング派分析家、マレイ・スタイン氏が1998年に著した心理学書だ。邦題は、『ユング 心の地図』(青土社)という。1999年に発売されすでに品切となっていたが、BTSのアルバムリリースを受け、4月25日に新装版として発売された。
アルバムの随所に登場する“ペルソナ”とは何か。ユングの心理学と曲はどのように結びついているのか。ユングの世界観を知り尽くした入江良平氏が読み解く、BTSの深遠なる心理とは――。
『ユング 心の地図』を翻訳したユング心理学者・元青森県立保健大学教授の入江氏に、アルバム『Map of the Soul: Persona』について分析してもらった。
「BTSについては、出版社から新装版の知らせを聞いて初めて知りました。音楽は好きで、昔はビートルズ、今はドイツのポップスをよく聴いています」という入江氏。「こういう解釈をするとき、私は面映ゆさを感じます。直感の赴くまま、好き勝手なことを並べているといううしろめたさです。しかし、誰にも決定的なことは言えない。自分が感じるままを語っていいだろう……というわけで、感じるままを語ってみます」と謙遜しつつも、あらかじめアルバム全曲の歌詞を一つひとつひも解き、ミュージックビデオをじっくり研究したうえで、取材に答えてくれた。
アルバム『MAP OF THE SOUL: PERSONA』には、以下の7曲が収められている。
Intro : Persona
02.Boy with Luv(feat. Halsey)
03.Mikrokosmos
04.Make It Right
05.HOME
06.Jamais Vu
07.Dionysus
まず、アルバム名にも含まれ、イントロ曲のタイトルでもある「Persona(ペルソナ)」とは。
「役者が舞台でつけている仮面を意味するラテン語で、すなわち“外の世界に見せている顔”。私たちは、自分の心の中で起きていることすべてをそのまま外に出すことはできません。外の世界と摩擦を起こすことなく交流するにはなんらかの仮面、マスクをつけなければなりません。例えば、コメディアンもお医者さんも、警察官もそれぞれのペルソナ(マスク)をつけている。警察官は、心の中に警察官らしからぬ感情が沸き起こってくるかもしれないけれど、警察官にふさわしい仮面に従って行動をすることによって内面を隠すことができます。そういう風に、しかるべき形で自分を提示するのがペルソナなのです」
その意味がくっきりと浮かび上がるのが、イントロ曲「Persona」だ。
RMは、「願っていたスーパーヒーローになったようだが、自分が知ってる僕の傷跡には世の中は興味がない」と歌い、「一生問いかけるけどきっと答えは見つからない。俺は一体誰なのか」と自問する。
「世界中で有名になったBTSが、ファンから与えられた仮面と本当の自分との間で葛藤する様子が歌われています。ペルソナの重圧に振り回されて、自分が自分でなくなってしまういらだちや空虚感。同時に、それは自分にとっての生きている意味でもあるわけだから、単純に否定してしまうものではもちろんない。ある種の焦燥やむなしさが自分の心をむしばんでいくというのがすごく伝わってきました」
入江氏に、「Persona」のカムバックトレイラーを分析してもらった。映像には、学生服姿やフーディー、白いTシャツなど、衣裳も雰囲気も異なる5種類のRMが登場する。
「色々な姿は全てRMの中に存在する異なるペルソナであって、全部が完全に自分自身というわけではない。けれども、それは自分が作り、ファンが作り、現にいまの自分が生きているところのもの。だから、それを否定することはできない。“Who am I?”という問いが、執拗に“僕”にとり憑き、悩ませる。こういう両面価値がイントロとしての『Persona』のメッセージだと思います」
大きな自分が小さな自分を見つめているシーン(2分30秒頃)については、以下のように見る。
「このシーンの解釈は一筋縄ではいきません。特徴的なのはこの巨人がまとっているのは正式の衣装(ペルソナ)ではなく、バスローブのようであるということ。ペルソナのない素のままの自分に近いです。また小さい方の自分も簡素な白服です。一人きりになって、外向けのマスクを外しているところでしょう。そこに本当の自分が出現して、“Who are you?”と問いかけている。そんなふうに思えます」
また、仮面をかぶった制服の集団に囲まれているシーン(2分34秒頃など複数回登場)についてはこう分析する。
「制服は、集合性に埋没し個性を喪失した人間のアイコンです。一人一人の個別性は制服の均一性の中で消滅します。BTSにとってビッグスターというペルソナはいまの自分の生活そのものです。しかし、それは本当の自分の全体ではない。“Who am I?”への最終的な回答ではありません。この問いが回帰し、それが意識を覆い尽くす時、全てのペルソナが均一のユニフォームと化して、仮面をつけた制服の集団が出現します」
そして、「Who」と体に書かれた多数のマネキンが一気に壊れるラストシーンを、「ペルソナが消え、“本当の自分自身”を求める旅の始まり」と意味づける。つまり、アルバム全体のテーマは「自分探しの旅」であり、1曲目は、「その旅への導入、イントロ」というわけだ。
2曲目のアルバムリード曲「Boy with Luv」のミュージックビデオ冒頭にも、「Persona」というキーワードが登場する。BTSメンバーが劇場の前で踊る、その劇場の名前が「Persona」なのだ。
「アルバムそのものを劇場あるいはドラマに例えたという風に思えます。チケット売り場には“Open 10:00 Closed 23:00”と書かれています。チケット売りに扮したホールジーが時計を見ると、針は23時を指しています。そこで彼女は売り場のシャッターをおろし、画面は真っ暗に。仕事の時間、ペルソナ(社会的なマスク)に従って生きる時間は終わり、自分の時間が始まりました。そしてBTSにとってペルソナを外し、自分自身になる時が始まります。彼らはペルソナ劇場の周辺で歌い、踊るのです」
明るかった画面は徐々に夕焼け空に、そして夜に転じていく。
「客観的あるいは社会的な昼間の価値基準が後退し、主観的で私的な、情緒的な価値が前面に出てきます。『社会的な成功によって自分のペルソナが巨大になりすぎた、逃してほしいと願うこともある』と。でも、“君”と“僕”という個人的な関係こそが重要なのだ気づいていくのです」
そして3分30秒頃、「君がくれたイカロスの翼で太陽ではなく君のもとへ」という趣旨の歌詞と共にステージが広がり、群衆が集まってきて壮観なダンスシーンが始まる。
「ここで問題なのが、歌詞に登場する“君”が誰かということです。ミュージックビデオを見ると、ファン(ARMY)を指していると考えるのが普通でしょう。ただ、私の印象は、ファンとパーソナルな関係の恋人、どちらにも取れるような曖昧な作りになっているというものです。おそらく意図的にでしょう。BTSとARMYの関係が、極めて主観的で個人的な、親密な関係を模している、あるいはそのようにデザインされているのかもしれません」
「Boy With Luv」 は、「世の中の栄光を経験した。素晴らしいことばかりだった。しかしそれでも最後に帰って行くのは君のところだ」というラブソングのモチーフを踏襲している。だが、入江氏は、「アルバム『MAP OF THE SOUL: PERSONA』の独自なところは、これが最終到達点ではないということです」と説く。
「この次に『すべての人はそれぞれ一つの星だ』というビジョンが登場します(「Mikrokosmos」)。資産、外見の美、社会的地位、学歴といったこの世の事柄に裏付けられた相対的な価値ではなく、人間であることのみに基づく絶対的な価値の予感が垣間見られます」
入江氏の分析によると、アルバムを貫く自分探しは、4曲目の「Make It Right」からどんどん階段を下りるように内界の深みへと展開していく。愛が欠けている寂しさを歌う「HOME」、そして毎回ゲームオーバーになって前に進まないと嘆く「Jamais Vu」。
「ユング心理学の考える『本当の自分自身』は、この世の外の何か、『Mikrokosmos』の“70億の星”が暗示するような何かと結びついています。それがユングの言う『自己』です。だから、この世でどれほど成功したとしても、どれほど偉大なペルソナを達成したとしても、あるいは、私的で親密な人間とのつながりを持ったとしても、それだけで『本当の自分自身』に到達することはできません」
アルバムの最後を飾るのは、ギリシア神話に登場する豊穣とワイン、酩酊の神の名を冠した「Dionysus」だ。この曲を入江氏は、「原始の混沌の中に帰っていった状態」と見る。
「このアルバムの流れは、変容の過程として一般的なもので、現在あるものが解体され、原初の混沌の中に沈み込んでゆきます。そしてそこから本当に新しいものが生まれてくるのです」
つまり、『MAP OF THE SOUL: PERSONA』というアルバムは、混沌の中に沈み込んで、ここから先は混沌しかないというところにたどり着く。だから、「きっとこのシリーズには続きがあるのではないか」と入江氏は予見する。
「続編のキーワードは、幻想の女性をモチーフにした“アニマ”でしょうか。希望的観測かもしれませんし、当たるとは全然思っていませんが(笑)」
実は、『ユング 心の地図』の著者マレイ・スタイン氏も、「Speaking of Jung」のインタビューで『MAP OF THE SOUL: PERSONA』の意味をひも解いているが、「Dionysus」を「ペルソナの呪縛から解放された祝いの歌」と結論づけるなど、入江氏とは見解が異なる部分もあるのが興味深い。
記者会見(4月17日・ソウル)でジョングクは、『ユング 心の地図』が世界中で売れていることについてこう答えている。
「ARMYのみなさんは『BTSのおかげで勉強するようになった』と言っています。僕たちの新しいアルバムやコンテンツについて楽しみながら推測したり解釈したりする姿を見ると、もっと楽しませてあげたいなと思います」
『MAP OF THE SOUL: PERSONA』の曲を聴きながら、『ユング 心の地図』を読めば、歌詞やミュージックビデオにちりばめられたキーワードの意味が見えてくるはず。あなたには、どんな心の地図が浮かび上がるだろうか。(桑畑優香)