『名探偵ピカチュウ』最大のキモは完璧に実写化されたポケモンたち 1種ごとに異なったアプローチ
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So Cute……。そう一言だけ書いて記事を終えたい。それくらい『名探偵ピカチュウ』(2019年)に登場するポケモンは可愛い。俗に「目の保養」というが、本作もまさにそれだ。ツイストの効いた物語や、ピカチュウと親を亡くした青年のバディ関係も楽しい。けれど、一番のキモは完璧に実写化されたポケモンたちだ。ポケモンがいる世界に浸れる。それだけで十分に幸せな気持ちになれるし、満足できてしまう。もちろん、これは世代の関係も大きい。私は現在33歳で、初代ポケモンこと「赤」「緑」の直撃世代だ。ポケモンショックも体験できたし、世紀末を前にしたオカルトブームもあって、「ポケモンショックで超能力に目覚めたヤツがいるらしいぜ!」という都市伝説にワクワクすることもできた。そんな私にとって「ポケモンが実在している世界」は少年時代に夢見た世界だ。
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話を映画に戻そう。本作で特筆すべきなのは、ポケモンを1種ごとに異なったアプローチで実写化していることだろう。たとえば、主役であるピカチュウは、フカフカの体毛に包まれた動物っぽさ、ぬいぐるみっぽさを強く意識したデザインだ(コダックも同様。目が可愛い)。一方でリザードンは硬質な皮膚を持つ「怪獣」的な面が強調されたデザインになっており、交通整理をするカイリキーは原作に近い質感で、ベロリンガは唾液たっぷりで生物っぽさを強調する形で実写化されている。あるポケモンに至っては『エイリアン2』(1986年)のゼノモーフ的な撮られ方をしているし、登場する全てのポケモンに対し、原作のデザインをベースにしつつ、「実写にするなら、どういう形がベストか?」「どういう見せ方をすると、一番魅力的に見えるか?」という強いこだわりを感じる。原作から大きく変えるわけでもなく、原作をそのままやるわけでもない。登場するポケモン1匹1匹に対し、ゲームから映画へと媒体を変える上で、ひと手間を惜しまない姿勢。その真っ当なやり方が結果に結びついたといえるだろう。
思えば『ポケモン』はいつだってそうだった。私は『ポケモン』がゲームから漫画/アニメ/カードなどなど、メディアミックスで拡大していくのをリアルタイムで目撃してきたが、その多くは大胆かつ丁寧なやり方だった。
たとえばアニメ版だ。今やピカチュウとサトシの主役コンビは当たり前だが、ゲームではフシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメの3匹から相棒を選ぶ話だったので、当時は「え、そうくるの?」と思った記憶がある。しかし今になって思えば、サトシの相棒がピカチュウでなかったら現在の成功があったかは分からない。漫画版も、アニメに近い『電撃!ピカチュウ』や、穴久保幸作先生がギャグに振り切った『ポケットモンスター』など、それぞれ異なったアプローチながら「漫画」として魅力的なものに仕上がっていた。
原作を表現媒体ごとに最適化する……当たり前だが実は難しいことだ。それを成し遂げてきたのは、『ポケモン』に携わる人たちの強いこだわりの成果だ。そして、そのこだわりはハリウッド実写化というビッグプロジェクトでも、大きな支えとなっている。
もちろん、本作には短所もある。強引な箇所や、「人間」の話が若干弱いのも目立つ。しかし、人間とポケモンが一緒に生きる世界を完璧に実写化しているのは間違いない。これはメディアミックスの1つの成功例として、今後も多くの作品に影響を与えることになるだろう。『ポケモン』を実写にするという命題に対し、真摯に向き合った力作だ。そのあまりの真摯さに、私は反省した。
かつての私は困った少年であった。ポケモンの大会に出てポケモンの「自爆」を多用するなど、ポケモンを「駒」扱いする戦術で勝ち上がり、決勝前の意気込みを聞かれた際には「勝つためなら手段は選ばない」と明言して司会者のお兄さんを困らせた。そういった斜に構える態度がカッコいいと思っていたというか、悪役っぽく振る舞うのが好きだったからだ(なお決勝で負けた)。そんな暗い過去が、本作のエンドロールが流れる頃、きれいさっぱり洗い流された。「ポケモンは駒なんかじゃない。可愛い友達なんだ……」実写で動き回るポケモンたちを観ていると、やっと自分に正直になれた気がした。ピカチュウ、可愛いですよ。やっぱり。(加藤よしき)