『わたし、定時で帰ります。』“バランサー型”ヒロイン像が新鮮! 従来のお仕事ドラマとの違い
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「人を変えようとするなんて傲慢でした」
『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)の第4話、効率アップのために働き方を一新するも、あることから意欲を失い、すっかり元通りになってしまったエンジニアの吾妻(柄本時生)を見て、東山(吉高由里子)はそう呟く。何気ない台詞だったが、この自己反省にこそ、ヒロイン・東山の魅力、そして同作の魅力が集約されている。そうハッとさせられたダイバーシティ時代らしい一言だった。
長時間労働、マミートラック、モンスター新人社員など、昨今の労働環境につきまとう問題を軽快かつシャープに切り込み、各方面から話題を呼んでいる『わたし、定時で帰ります。』。そのインパクト大のタイトルから放送前は、残業を頼まれても「致しません」と断固拒否。周囲の白い目ややっかみに対しても「それが何か?」と毅然と切り返す、従来のお仕事ドラマ的なスーパーウーマン型ヒロインによる痛快エンタメなのかと予想していた。
しかし、このドラマのヒロイン・東山結衣はまったく逆。確かに定時までにその日のタスクを完遂するための仕事術には長けているが、決して唯我独尊のゴーイングマイウェイタイプではない。むしろ周囲のトラブルや人間関係にしばしば巻き込まれながらも、持ち前の共感力と柔軟性で、ちょうどいい着地点を見つけるバランサー型。このヒロイン像の違いこそが同作の面白さの秘密であり、毎話、爽やかな余韻を生んでいる。
たとえば第1話では、就職氷河期に就職したばかりに何かと頑張りすぎる上、その働き方を周囲にも強要してしまう三谷(シシド・カフカ)がメインに。三谷の厳しい教育についていけず後輩の新入社員が早々に脱落。周囲と浮いている三谷を、同じく新入社員の来栖(泉澤祐希)は「三谷さん、なんか古くないですか」「10年前のスタンダードを強要されても」と非難する。
しかし、東山は「来栖くん、ちょっと黙ろうか」「何の結果も出してないあなたが言うことじゃないよね」と注意。その上で、出社拒否に陥った三谷の自宅を訪れ、「そんなにいろいろ気にしなくていいんですよ」「休んだって居場所はなくなりません」と言葉をかける。
第2話では、ワーキングマザーというだけで周囲から「配慮」されてしまうことを恐れ、子どもが病気なのに「みんなが帰るまで帰るわけにはいかないから」と早退さえできない賤ヶ岳(内田有紀)のために、フロアのスタッフに呼びかけ、全員が帰ったように偽装工作。
そして第3話では、「もっとできると思っていた」と自分の能力のなさに失望し、異動願を提出する後輩の来栖を「シュレッダーのゴミとかさ、まめに変えたりしてくれるじゃん」「誰かがやらなきゃいけないけどやりたがらないこと、誰も見てないところで自然とできるのってエラいと思う」と労う。
要は、東山は決して人の価値観/仕事観を否定はしないのだ。相手が自分と異なる価値観を持っていようと、それを簡単に間違っているとも悪とも断じない。東山本人は定時になればさらりと退社するが、だからと言って会社で残っている人たちを「仕事ができない」と馬鹿にすることもしないし、仕事しか楽しみがない人を「つまらない」とも「社畜」とも笑わない。
確かに三谷は今までより早く会社を出るようになったし、賤ヶ岳もずっと肩の力を抜いて働けるようになったけれど、それは東山が相手を変えようとしたからではない。ちゃんと腹を割って話をし、お互いの抱えているものを認め合うことで、自然発生的に相手が変化した結果だ。
東山にあるのは強制や矯正ではなく、受容と尊重の精神。このニュートラルな佇まいが、今まで「強い女」一辺倒だったお仕事ドラマの中でも非常に新鮮であり、多様性が叫ばれる「令和」という新時代にジャストフィットしているから、観ていてシンプルに気持ちがいい。
タイトルの性質上、どうしても「定時で帰れない日本のシステムはおかしい」という長時間労働の善悪に議論が集中しがちだが、同作が描いているのはそうした限定的なことだけではないように見える。むしろそうしたわかりやすい二項対立は決して解決を生まない。
同作が目線を向けているは、その一歩先。どうして彼女はあんなにもいろんなものを犠牲にして働くのか。どうして彼は会社に居残ってまでダラダラと仕事をするのか。ブラック社員、モンスター新入社員とわかりやすくラベリングするのではなく、相手を人間としてちゃんと見て、その考えの根底にあるものを理解してみること。
そして、たとえそれが時代錯誤でもみだりに変えようとはしない。人を変えるということは、自分のルールに相手を従わせることだからだ。でも、もう少し周りも当事者も呼吸がしやすいようにアップデートすることは大切だと。その先に一人ひとりが働きやすい私たちの社会があることを、東山結衣というヒロインが提示している。
すっかり古い発想を“ディスる”ための用語として定着した感のある「昭和」だが、そうやって昭和/平成と切り分けることも、また不要な対立を生むだけだ。対立ではなく、対話。否定や批判ではなく、受容と尊重。これから始まる令和という時代の思想を象徴したようなドラマが、平成と令和の境目に放送されていることに、不思議な運命とつくり手の信念を感じている。(文=横川良明)