Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
ぴあ 総合TOP > 「ももクロ vs KISS」が見せた“捨て身アイドル”の真髄 市川哲史がドーム公演を振り返る(ももクロ目線ver)

「ももクロ vs KISS」が見せた“捨て身アイドル”の真髄 市川哲史がドーム公演を振り返る(ももクロ目線ver)

音楽

ニュース

リアルサウンド

参考:KISSが日本の音楽に与えた影響とは? 市川哲史が「ももクロ vs KISS公演」を振り返る(KISS目線ver)

 個人的には、よく練られた“夢の浮世に咲いてみな”より単に能天気な“ロックンロール・オールナイト”のカヴァーの方が弾けてた《KISS vs ももクロ》。それでもここんとこの、セーラームーンやらドラゴンボールやらとの「真面目」なタイアップ曲に較べれば、いろいろ愉しませてくれたのは事実だ。

 それにしてもこの〈日米飛び道具同士コラボ〉の何がいちばん凄かったかというと、「なぜいま?」的な必然性も背景も脈絡も一切なく実現した点だろう。わははは。

 「相変わらず」と言ってしまえばそれまでだが、ももクロに巣食う昭和サブカルチャー・テイストは、KISSまで巻き込むほど不動なわけだ。

 ざっとおさらいしてみる。

サブカル大人たちの夢やロマンを吸い寄せたももクロ

 まずやたら多かったのが、アウェーな他流試合への積極的な参戦。

 神聖かまってちゃんとの対バンライヴを皮切りに、《LOUD PARK》《Ozzfest Japan 》といったメタルフェスやら《サマーソニック》《氣志團万博》のロックフェスやら、そしてアニソンイベント《Animelo Summer Live》やらにも出演。更には全日本プロレスにK-1にNHK福祉大相撲に東北楽天ゴールデンイーグルスのファン感謝デーへの参戦と、異種格闘技戦だらけだった。なんかどれもこれもマニアの巣窟ぽくってたまらない。

 そして各種ネーミング。

 ツアータイトルの《新秋ジャイアントシリーズ》やトーク対決イベント《試練の七番勝負》は、ジャイアント馬場時代の全日本プロレスから。《モーレツ☆大航海ツアー2012》は昭和の流行語。毎年子供の日に開催されたライヴ&コント&ヒーローショーの《守れ!みんなの東武動物公園 戦え!ももいろアニマルZ》は戦隊ヒーロー物で、《ももクロの子供祭りだョ!全員集合》はドリフターズか。

 どうだこのインスパイア先、もとい元ネタの極端な偏り方が半端じゃない。

 ライヴのゲスト出演陣も常連・松崎しげるを筆頭に、南こうせつ・広瀬香美・加藤茶・林家ペー&パー子・角田信明など、客席の10代少年少女の頭上に「?」の吹きだしが浮かんだであろう「昔のひと」だらけである。ステージで演奏を披露した布袋寅泰やマーティー・フリードマンや吉田兄弟さえ、無事認知されているのか怪しい。

 あげく百田夏菜子は、ももクロ初武道館のステージで「ライヴハウス武道館にようこそ!」とかました。元ネタはもちろん、氷室京介が四半世紀前にBOφWY初武道館公演で吐いたバンドブーム史上に残る伝説のMCだったりする。

 武藤敬司のポーズや必殺技〈シャイニング・ウィザード〉が、楽曲の振付にフィーチュアされたこともあった。無反省コント「あリーダーに、怒られた」なんて、オリジナルを知る者の方が少ないのではないか。本人も含め。

 まだまだあるぞ。1stアルバムのタイトル『バトル アンド ロマンス』とは、1992年に天龍源一郎が旗揚げしたプロレス団体・WARの正式名称「Wrestle And Romance」が下敷き。楽曲タイトルも“Z伝説~終わりなき革命~”“労働讃歌”“猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」”“Z女戦争”“サラバ、愛しき悲しみたちよ”などと、昭和生まれクリエイターたちのてめえ勝手な表現衝動が無遠慮に炸裂し続けている。

 もはや運営サイドというか制作サイドというか、大きなおともだちたちが寄ってたかって、己れのサブカル趣味をももクロに一方的に託しているだけなのだ。

 そりゃさぞ愉しいだろうよ。

 にもかかわらず〈やらされてる感ゼロ〉の豪快っぷりこそが、ももクロ最大の武器なのである。

 だから『ももクロChan』の企画〈抜き打ち歌詞テスト〉で、ももクロが歌詞を理解しないまま唄っていることが判明しても、自分たちの作品やコントの「元ネタがわからない」と豪語しても、ただただその潔さがリスペクトされるだけに他ならない。

 だから2ndアルバム『5TH DEMENTION』がわざわざアナログレコードでも発売された理由も、誰もがベスト盤もどきのアルバムしか出せない時代にあえてコンセプト・アルバムを制作した方針も、その全国ツアーがアルバム収録全曲を曲順通り披露した意図も、彼女たちにはどうでもいいことだ。「KISSさん」とのお仕事、もまた同様だろう。

 というか私は、大のサブカル大人たちの勝手な夢やロマンをなぜか吸い寄せてしまう、ももクロの求心力がおそろしい。しかも彼女たちはまったく理解せぬまま愉しんでるのだから、手が着けられない。

 まさに、ももいろクローバーZは〈真空のアイドル〉なのであった。

 うわ、私の比喩も昭和っぽい。

ももクロが体現した〈捨て身の美学〉

 しかしそもそも私がももクロに惹かれたのは、昭和くさい元ネタの面白さではない。インディーズ時代からなぜか炸裂していた、「そこまでせんでもいいだろ」的な自爆アイドルっぷりに惚れたのである。

 まずインディーズ時代の、主な活動が写真・動画撮影OKの路上ライヴという捨て身感がいい。特にヤマダ電機全国24店舗104公演にも及ぶCD手売り無料ライヴ・ツアーなんて、その過剰さだけでぐっとくる。夏休み中ほぼ毎日、ワゴン車に車中泊をしながら全国を廻ったとは、もはやバンドブーム期のバンドよりもロックだ。

 そしてとにかく笑えたのが、身体が自壊しそうなやたらBPMの速いライヴ・パフォーマンスだったのである。ももいろクローバーZ改名直後の2011年5月頃書いた原稿からも、そんな私の興奮が読み取れる。

(前略)その魅力は100m走のスピードのままフルマラソンを完走するかのような、自虐的なまでのアスリート性に尽きる。
 1曲あたりの振付量が他のアイドル比3倍な上に、何曲も何曲も何曲も何曲も唄い踊り続けるのだから、尋常ではない。バラード曲ですら猛烈に踊っている。そもそも毎回毎回体力の限界に挑むアイドルって何なのだ。やがて浮かぶ〈苦悶の笑顔〉を目撃したとき、とりあえず私は謝ることにした。誰によ?
  そんなももクロの姿に、どうしても初期のX(JAPAN)の姿がダブる。誰も頼んだ憶えがないのに世界最速を勝手に目指すYOSHIKIのハイスパート・ドラムを軸に、ひたすら弾きまくるhideたちの肉体はまるでヤドカリのように右腕だけが肥大化していた。
 不毛だ。不毛だけれども、しかし度を越した不毛さは圧倒的なカタルシスを生む。トゥーマッチであればあるほど、観ているこっちは痛快なのだ。
 そういう意味では、ももクロの〈謎の全力少女っぷり〉も同じだ。そんな怒濤のハードコア・アイドルの「殺されても死なない生命力」こそが、震災後の日本を救うのである――と一瞬でも考えた私は、たぶん疲れている。

 まるでルチャリブレを思わせる、側転に組体操にエビ反りジャンプ。ただでさえ下手くそなのに、目茶目茶踊るもんだからよりド下手くそにしか唄えないヴォーカル。それでも口パクを拒否して生唄を貫いてしまう姿勢は、まさしく〈捨て身の美学〉だ。

 つまりももクロとは、こうした負荷を課せられれば課せられるほど輝く妙なアイドルだからこそ、我々を魅了してやまない。そんな特性を運営サイドもよくわかっていて、多種多様で過酷な負荷を次々と課してきたわけだ。

 そういう意味では例の昭和サブカルテイストも、当初は過酷な負荷の一つだったはずだ。ところが彼女らは元ネタを知らぬまま、克服するどころかエンタテインメントとして成立させてしまった。そしてとうとう、昭和のおっさんたちにとっては伝説のアイドル・ロックバンドKISSとのコラボですら、もはやももクロの負荷になりえなくなった。なにせ彼女らは、大きいおともだちの妄想を一身に引き受けてはいても、それは〈やらされてる感〉ではなく〈やってあげてる感〉の賜物だからである。

 そして《KISSvsももクロ》は平和な、《コスプレ一家の好々爺と孫娘たちの愉快な邂逅の図》にまとまっちゃったのであった。

そしてももクロは王道アイドル仕事へ

 そんなこんなで、ももクロへの最新負荷は映画『幕が上がる』主演だったはずだ。筋金入りの飛び道具にとっては、そんな王道アイドル仕事の方がよっぽど過酷だろう。

 しかし高校演劇部の成長物語だっただけに、彼女たち自身の女優成長物語とリンクしてちゃんとした映画になってしまった。わははは。驚いた。結局、同映画上映館全国127館計131回の舞台挨拶ツアーという肉体的負荷を笑うしかないのか。

 5月から、この映画の劇中劇が舞台版『幕が上がる』として上演される。いまどき演劇挑戦とはまた昭和サブカルマイナー感漂う負荷だが、ももクロらしい克服エンタテインメントを期待したい。やっぱももクロには常に、大リーグボール養成ギプスや鉄下駄やパワーアンクルが必要不可欠なのである。

 あら、また私の比喩が昭和っぽいよ。

■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)