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映画『襲名』三池崇史監督インタビュー 「“團十郎を観たいな”と思ってもらうのが目的」

映画 ステージ

インタビュー

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十三代目市川團十郎白猿の襲名の舞台裏に迫るドキュメンタリー映画『襲名』が、9月25日(金)から公開になる。本作は市川海老蔵が市川團十郎白猿の名を受け継ぐまでの日々を描いた作品で、三池崇史が監督を務めた。監督はこう語る。「この映画は観終わって“歌舞伎を観に行きたいな”ではなく“團十郎を観たいな”と思ってもらうのが目的です」

三池監督はこれまでに数々の監督作を手がけてきたが、ドキュメンタリー映画を監督するのは初めて。しかし、俳優の存在、その力と向き合い、余すところなく撮ろうとしてきた三池監督は、劇映画とドキュメンタリーの間の線は「全然ないです」と笑う。監督は『一命』や『喰女-クイメ-』『無限の住人』で團十郎とタッグを組んでおり、その存在を「次元の違う人」と評する。

「役者はそれぞれに魅力も違いますけど、團十郎はやっぱり次元の違う人ですよね。芝居が上手いとか下手とかそういうことではなくて、存在そのものが違う。なんて言うのかな……ちょっと“フィクション”っぽいんですよね。それは小さな頃からずっと“こうでなければならない”という環境で生まれ育ってきて、それを打ち破ろうとしているからだと思うんですけど。

だから芝居とか歌舞伎とかそういうこと以前に、人間的に“あいつはとんでもないやつだ”って思うんです。舞台やカメラの前に立った瞬間に見せる迫力や美しさ、オーラは誰が観ても本物だと分かる。もちろん、観る人によって好き嫌いはあるんでしょうけど、明らかに他とは違う存在であることは分かる。だから、変な言い方ですけど“すごい変わった生き物を撮っている喜び”がありますよね」

本作では、市川海老蔵が歌舞伎界の名門・市川家に受け継がれる最大の名跡“市川團十郎”を襲名することを発表し、実際に襲名披露公演が行われるまでの数年間を、歌舞伎の公演だけでなく、稽古場や楽屋など多角的に追っているが、通常のドキュメンタリーのような“俳優のオンとオフ”が存在しない。どこにいても團十郎はいつも團十郎。どんな場面でも他にはない存在感がある。

「そうですよね。本当のオフがあったとしても僕は見たことはないですし、あるんでしょうけど見せる必要がないんですよね。というのも、もはや“これだけの努力をした結果、この芝居があります”という人間ではないんですよね。

僕らはこれまでの六本木歌舞伎というのを3本(2015年『地球投五郎宇宙荒事』、2017年『座頭市』、2019年『羅生門』)やっているんですけど、完全な新作なんです。彼らは普段は古典をやっていますから、これまでに何度も繰り返し演じてきた、あるいは誰かが演じた役を、基本的なかたちを崩さないように演じて、その上で自分なりの個性が出てくる。

ところが、完全な新作であっても彼はある日を境にパッとすべてができてしまう。昨日までまったくセリフも覚えていなかったよね?って状況だったのに、翌日には最初から最後まで芝居はすべてできてしまっているんです。そんなことあるのか?っていう(笑)。本当に独創的だし、誰もついていけないんですよ。膨大な量のセリフや演技をすべて自分のものにして、それらがすべて歌舞伎とリンクしている。

おそらくですけど、映画の俳優や普通の舞台の俳優とは生まれたときから環境が違うんですよね。歌舞伎って稽古が数日しかないんですよ。もちろん自分で練習はしてるんでしょうけど、その場面は他人には見せない。

ある月の公演が25日まであったら、次の公演の初日は翌月の1日だったりするんです。ありえないですよね。もちろん、その間に休みもあって、その数日でできてしまう。それを365日繰り返す環境にいる人間の脳の作られ方というか、発達の仕方があるんだと思います。普通の役者と違って、話したセリフはすべて入っているし、それを自在に取り出して扱うことのできる能力がある。

前に彼と映画をやったときに、撮影が終盤に差し掛かった頃に、初日に撮ったカットとつながる場面を撮影することになったんですけど、彼に『この場面は1カ月半前に撮った、あの場面とつながりカットです』って説明したら、最初は『えー、どんなんでしたっけ?』って言うんですけど、ある瞬間に台本も持たずにそのシーンのセリフを相手のセリフも含めて喋り出す。化け物だな、と(笑)。

それは歌舞伎という興行が作り上げた能力なのかもしれないですけど、やっぱり他の俳優とは根っこから違うって感じを常に持っています。だから、この映画でも変に演出したり、捻じ曲げたりして、こちらの思う團十郎像/海老蔵像をつくる必要はないんです。彼に何かあるとすれば、それはもう自然に出てくるものなので」

「團十郎たちを見ていると“この人たちにしかできない驚き”を感じる」

三池崇史監督 (C)K.Kurigami

カメラは過剰な演出などせずに、真摯に團十郎の姿を追う。その過程で彼の覚悟や葛藤だけでなく、タイトルにもなっている“襲名”そのものが浮かび上がってくる。第三者から見れば、襲名とは単に俳優の呼び名が変わることでしかない。しかし、この映画を見ていると、伝統や血の継承、継いだ名を次の世代に受け継ぐ覚悟が伝わってくる。

「歌舞伎そのものがそうだと思いますし、團十郎たちがやっていることもそうですけど、現代の世相にはまったく合わないものですよね。稽古も厳しいし、伝統とはいえ、あんな過酷な公演を休みなく朝昼晩とやっている。普通ならば“それは古い。捨てるか、考え直した方がいいのでは?”ってなるのかもしれないですけど、團十郎はだからこそ、あえて襲名しているわけです。そこは文句の言いようがない。

團十郎を襲名できるのは世界でこの人しかいないわけですし、次にいるとしたら市川新之助しかいない。この世界では生まれたときから、家業としての芸があって、そこの長男に生まれたからには、その重責を背負って、もう立った瞬間から何らかの芸を身につけざるを得ない。それは自我が芽生える前から積み重ねてきたからこそ光る瞬間があると思うんです。だからこそ彼らは何があっても決して流されない。なぜなら自分たちは“歌舞伎者”だから。團十郎たちを見ていると“この人たちにしかできない驚き”を感じるわけです。

だから、この映画は観終わって“歌舞伎を観に行きたいな”ではなく“團十郎を観たいな”と思ってもらうのが目的です。歌舞伎とか伝統とかはもちろんあるわけですけど、その中に生きている市川團十郎という人間を何とかして映したい。やっぱりそれは目的でしたよね」

三池監督はこれまでも繰り返し、他人と違ったとしても、自分の信じる道を歩む者を描き続けてきた。本作は劇映画ではないが、登場する歌舞伎役者たちを見つめる視点に歴代の三池作品に通ずるものを感じる。

「どの映画でも、素直に下から仰ぎ見るように『俺たちの知ってる人間とは違う!』って思うだけなんですよね。例えばですけど、自分は不良の学生が出てくる映画を撮ることになったら、自然と自分の立ち位置が中学1年か中2ぐらいに戻るんですよ。そうすると、高校生ってもうオッさんですよね(笑)。だから、小栗旬が25、6歳で高校生を演じても全然、普通じゃんって思う。

彼らは自分からすると仰ぎ見るような存在で、アウトローだけが持ってる刹那的な美しさがある。美しいんだけど、たぶんこの後、就職するのは大変だろうなって(笑)。でも、喧嘩が強くて光ってる。なんかバカな奴らだなと思いながらも、彼らをキラキラとした目で見て、そのイメージを俳優たちと共有して映画をつくっていくわけです。

映画監督によっては、何となく不良を上から俯瞰して見て、冷静に判断しながら“こういう部分がイビツなんだな”とか思うんでしょうけど、こちらは“その輝きは人生の何の役に立つのか”なんて関係なく、その輝きや喜びを自分たちの手で作り上げたいわけです」

誰が何と言おうと、他人と違おうと、我が道をひたむきに進み続ける十三代目市川團十郎白猿。現在も精力的に活動を続けているが、三池監督はこれからの團十郎にも注目しているようだ。

「世間の評判は別にして、團十郎は『自分はちゃんとやれている、團十郎になった』という意識を持った瞬間にはたぶん、それを壊しにかかると思うんですよ。『ちゃんと團十郎になることができたのだから、あとはもう自由だ』という。その揺り戻しが来たときに“やっぱり、あいつだな”と思うでしょうし、ただ壊すだけではなくて、その輝きをさらに光らせるために何かとんでもないことをするときが来る気がするんです。

それがあと何年かかるのか分からないですけど、團十郎が何かを“やり遂げたな”と思った瞬間の破壊力は、きっとすごいものがあると思いますよ」

おそらくそのとき、映画『襲名』に続く新たなドキュメンタリー映画が生まれるのだろう。

『襲名』
9月25日(金)公開
(C)2026 K2 Pictures・3Top

取材・文:中谷祐介(ぴあ)

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