遠藤ミチロウとTHE STALINの音楽は終わらない ISHIYAによる追悼文
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2019年4月25日、THE STALINのボーカルである遠藤ミチロウ氏が永眠した。平成から令和に変わった5月1日に永眠の発表がされたが、筆者は海外ツアーの帰りにトランジットで立ち寄った香港国際空港で一人その悲報を知ることとなってしまった時には、あまりのショックと信じられない気持ちで呆然としてしまった。
筆者がTHE STALINと出会ったのは中学生時代だった。中学に上がるあたりの頃にANARCHY(亜無亜危異)を聴き、初めてPUNKというものを知り、SEX PISTOLSやTHE CLASHなどのパンクロックを聴き始めていた少年にとって、THE STALINは衝撃的だった。一般週刊誌には、豚の頭や臓物を客席に投げ全裸でマスターベーションを行うショッキングなバンドとして掲載され、今までにあった“PUNK”という枠からはみ出した“究極のPUNK”のように感じられ、心を鷲掴みにされた。
話題性もさることながら音源を手に入れ聴いてみると、簡単で誰にでもできるフレーズでありながら今までに聴いたことのないハードな音楽で、それまでに知っていた“PUNK”を遥かに超えた衝撃が全身を貫いた。衝撃を受けた筆者はクラスメイトや同世代の音楽好きな人間に聴かせまくったのだが、誰もかれもが「何これ? わけわかんない」と口を揃えて言い、THE STALINにのめり込む筆者は完全におかしな人間扱いされてしまうほど、一般的に受け入れられる音楽ではなかった。
THE STALINを知ったことで、より過激でハードな音楽に対する欲求が激しくなり、筆者はその後ハードコアパンクへ傾倒していくが、当時の東京ハードコアパンクシーンの風潮では、THE STALINを聴くことはご法度という雰囲気になっていた。それまで日本にあったパンクロックとは違い、パンクではあるもののアンダーグラウンドシーンで、よりハードで過激な音楽として登場したTHE STALINは、メジャーデビューをすることによってハードコアパンクシーンから嫌われ敵対するほどの立場になってしまった。実際のTHE STALINのライブでも、地方も含めハードコアパンクシーンの人間との様々な揉め事があったことも。しかしハードコアパンクシーンの観客たちの間では、口には出さなくともTHE STALINを聴いている人間は多く、ライブに通う人間も多く存在したという事実もあった。
THE STALINの登場によって、それまで日本で過激と言われていたロックや音楽は過激と捉えられなくなり、パンクロックの過激ささえもTHE STALINによって破壊されていったように思う。THE STALINの過激さの象徴的な部分として映画『爆裂都市~バーストシティ』でのTHE STALINが強く印象に残る人も多くいると思うが、あのシーンにも代表されるような「真実の音楽の過激さ」というものを、日本に伝えたバンドがTHE STALINであると筆者は感じている。
以前リアルサウンドで筆者が行った遠藤ミチロウ氏へのインタビュー(参考:遠藤ミチロウが語る、THE STALINとブラックユーモア「自分がパンクっていうふうには考えてない」)では、あまり語られることのなかったハードコアパンクシーンとのことなども聞くことができた。初めて様々な話ができたことで、遠藤ミチロウ氏とTHE STALINについて謎だった部分が次々と紐解かれ、燻っていた部分が明確になったことでスッキリした思いがある。筆者のような知らない人間に対しても胸襟を開いて、嫌な顔をせずに真摯に受け答えしてくれた遠藤ミチロウ氏の姿は、今でも心に焼き付いている。
遠藤ミチロウ氏は、アコースティックで弾き語りをするようになった頃から、世代が変わったハードコアパンクシーン界隈の人間とも関わるようになっていった。また、遠藤ミチロウ氏の故郷でもある福島をはじめとした被災地を訪れる活動では、“盆踊り”を取り入れ老若男女問わないスタイルで人々を魅了し続けていくなど、そのバイタリティの素晴らしさには頭が下がる思いである。
遠藤ミチロウ氏の死去にあたり、THE STALINの与えた影響の大きさや偉大さを改めて感じることになってしまったが、賛否両方の面から影響を与え続けたTHE STALINは、唯一無二の日本を代表するパンクバンドである。世界中のPUNKSの間でも日本のTHE STALINの知名度は相当なものがあり、今回の訃報で悲しんでいるPUNKSが世界中に存在する。筆者は今でもTHE STALINの楽曲の中でも特に「MISER」の歌詞、世界観に魅了され続けているし、遠藤ミチロウ氏の死を受けて、影響を受けたハードコアパンクシーンの間で「やっぱりTHE STALINなんだよ」と誰もが語り合うほど日本のPUNKSたちの心に染み込んでいるのがTHE STALINである。
ボロボロになりながらもステージに立ち、渾身の想いをぶつけ続けた生き様は決して忘れることはない。遠藤ミチロウ氏と同じ時代に生きられたことに感謝し、深い尊敬と最大の賞賛と拍手を送らせていただきます。
ミチロウさん。本当にありがとうございました。どうぞ安らかに眠ってください。
■ISHIYA
アンダーグラウンドシーンやカウンターカルチャーに精通し、バンド活動歴30年の経験を活かした執筆を寄稿。1987年よりBANDのツアーで日本国内を廻り続け、2004年以降はツアーの拠点を海外に移行し、アメリカ、オーストラリアツアーを行っている。今後は東南アジア、ヨーロッパでもツアー予定。音楽の他に映画、不動産も手がけるフリーライター。FORWARD VOCALIST ex.DEATH SIDE VOCALIST