“レペゼン春日部”のラッパー 崇勲、自問自答とユーモア織り交ぜる独自の表現スタイルを語る
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埼玉は春日部を拠点に活動するラッパー、崇勲の2ndアルバム『素通り』がリリースされる。
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前作『春日部鮫』から実に4年ぶり、『KING OF KINGS』の初代キングそして『フリースタイルダンジョン』(テレビ朝日/毎週火曜25時26分)二代目モンスターを経てリリースされた本作は、朋友J-TARO、DJ RINDに加え、LIBROやMichita、Maria Segawa(fromTAG DOCK)といった多彩なDJ陣がトラックを提供しており、前作よりも華やかでバラエティに富んだ内容となっている。リリックの内容も、春日部レペゼンを高らかに歌う「WAYBACK」や、自らのルーツを羅列した「血と骨」、ラッパーとしてのスタンスを表明した「EXTENSION」「道しるべ」など、パーソナルかつエモーショナル。また以前、彼が所属していたグループ・第三の唇のメンバーで、昨年急逝した1人に捧げた楽曲「ラストシーン」や、沖縄出身のラッパーCHICO CARLITOをフィーチャリングした「MATCHSTICK」には、自身の死生観をも伺わせるなど非常に密度の濃い意欲作に仕上がった。
誰かを攻撃するのではなく、自問自答を繰り返しながらもどこかに必ずユーモアを散りばめた、そこはかとなく諦観漂う彼の表現スタイルは、一体どこから来ているのだろうか。“人見知り”を自認する崇勲の、貴重なインタビューをお届けする。(黒田隆憲)
■身の丈に全く合ってない歌詞を、全て破棄して書き直した
ーー崇勲さんが、ラップを始めたそもそものきっかけはどういうものだったのでしょうか。
崇勲:地元にDJをやってた友達がいて、最初は誘われるがままって感じでしたね。ヒップホップは聴いていたし、真似事みたいに歌詞を書くなどしていたんですけど。作文を書くのが昔から好きだったんですよ。いわゆるヒップホップの四大要素(ラップ、DJプレイ、ブレイクダンス、グラフィティ)にのめり込んでいったというよりは、歌詞を組み立てていくことに興味を持ったんです。そのためのツールとしてヒップホップを利用したというか。
ーー作文が好きだったということは、本好きだったとか?
崇勲:いや、本は全然読まなくて。なんで作文が好きになったんだろう……小学生の頃からずっと好きなんですよね。中学の卒業文集とか、書くのが苦手なやつの作文を代筆してましたから。しかも俺の方から「書かせてくれ」って言って(笑)。ほんと、純粋に文章にするのが好きだったんです。
ーーヒップホップはどのあたりを聴いていたのですか?
崇勲:日本人だとBUDDHA BRANDやRHYMESTER、KGDR(キングギドラ)。そもそもはBUDDHA BRANDの『人間発電所』を聴いて、「こんなことをやれる日本人がいるんだ、すげえ」みたいな。それから今度はRHYMESTERを聴いて、分かりやすい言葉を使ってユニークな内容のラップをやるのって、かっこいいし面白いなって。海外のヒップホップは、友達のDJの影響でナズやビッグ・パンあたりを聴くようになっていきました。
ーー地元の埼玉県・春日部で、第三の唇という6MC1DJのグループを結成したのが最初の音楽活動?
崇勲:そうです。前身のグループは俺と、地元の同い年の友達3人で3MC1DJでした。地元でライブを重ねていくうち、少しずつ周りに人が集まってきて。7人になったところで第三の唇と名乗るようになりました。
ーー地元での活動がメインだったんですか?
崇勲:東京にはほとんどライブに行ったことがなくて。浦和や春日部にある、本当に小さなスペースで毎月イベントをやっていました。メンバー全員が人見知りだったので誰とも関係を築けず、都内で誘ってくれる人がいなかったというだけなんですけどね(笑)。あと、春日部にはTKda黒ぶちというラッパーがいて、彼は優しく面倒見が良かったので、よく誘ってもらっていたんです。
ーー最初にMCバトルに参戦したのは、どんなきっかけだったのですか?
崇勲:確か2006年とかそのくらいだったと思うんですけど、第三の唇のメンバーの1人が『ULTIMATE MC BATTLE』のDVDを持ってきて。それを観たときに、「MCバトルって今こんなになってるんだ」ってメチャメチャ衝撃を受けたんですよ。次の日からみんなでフリースタイルの練習をやり始めて。出られそうな大会があったら、片っ端から出るようになりました。
ーーフリースタイルは全くのゼロから独学で始めたのですか?
崇勲:そうです。だから最初は全く出来なかったですね。でも毎晩集まって、ひたすら意味のない言葉でも羅列しまくっていたら、段々と出来るようになっていって。自転車に乗れるようになるのと同じで、ある程度出来るようになると、あとは言葉の精度を上げていくだけっていう状態になるんですよ。テクニカルな部分よりも、知識量だったり、見てきた景色だったり、その人の奥行きや人間性が問われるというか。あんまり偉そうなことは言えないですけど(笑)。
ーーそういう意味で今、崇勲さんが最もインスパイアされるのは?
崇勲:なんだろう……お笑い芸人さんですかね。彼らの発想はすごいと、小学生の頃から思っていました。ダウンタウンから始まって、さまぁ~ずやブラックマヨネーズ、千鳥、とろサーモン……数え切れないくらい好きな芸人はいますね。DVDもめちゃくちゃ買っています。自分の作風に影響を与えているというわけではないんですけど、見ていて「すごいな」と思って刺激にはなっているはずです。
ーー2011年ごろから崇勲さんはソロ活動をスタートしていますが、第三の唇を脱退したわけではないんですよね?
崇勲:脱退はしてないです。グループ自体、今は活動こそしてないけど解散もしていないですし。ただ7人もいたので、スケジュールはうまく合わないし「あのクラブではもうやりたくない」とか言い出す奴もいたりして(笑)、意見をすり合わせるのが段々めんどくさくなってきたんですよね。「じゃあいいや、一人でやるか」という感じでソロになりました。
ーー1stアルバム『春日部鮫』をリリースしたのが2015年です。
崇勲:当時はまだ音楽でギャラをもらえていたわけでもないですし、バトルで大活躍するわけでもなくて。ただ、あるイベントに出演したとき、たった10分の俺のライブを尊敬してる方が観てくださったみたいで。「お前、絶対に音源を出したほうがいい」って言ってくれたんです。「30歳だったらまだヒヨッコだしこれからだよ」って。
ーーめちゃくちゃ嬉しいですね、それは。
崇勲:それで音源を作ろうと思ったんです。やり方とか全く分からないから、手探り状態で2年くらいかかりました。予算もなく録音環境も最悪だったから(笑)、作ったからといって売れるとも全く思ってなくて。まあ、これを出して赤字になって、俺の音楽人生もフェードアウトしていくんだろうな、くらいの意識でいましたね。
リリースが2015年の11月なんですけど、その2カ月前の9月に『KING OF KINGS』の第1回目が始まったんですよね。で、優勝するつもりもなかったのに初代王者になっちゃって。「これはアルバムもバカ売れするのかな」と思ったんだけど、初動はそんなでもなかったんです。なんならちょっとした返品もかかってしまって、「やっぱMCバトルで勝ったところでダメなのかな」って。アルバムを聴いてくれた人は、「いい」って言ってくれることが多かったんですけど。聴かせられるまでのレベルに行けてなかったというか。
ーーなるほど。
崇勲:ところが、ごっそり返品が帰ってきたタイミングで『フリースタイルダンジョン』に出ることになって。それが功を奏して発注がドカンとかかったんですよね。
ーー『フリースタイルダンジョン』がターニングポイントだったのかもしれないですね。そこから今回のニューアルバム『素通り』までに4年が経過していますが、その間どんな活動をしていたのですか?
崇勲:ひたすらライブをしていました。MCバトルのイベントにもかなり誘われて、その頃は断らずに出ていましたね。で、だんだん疲れてきちゃって。ちょっとペースを落として曲も少しずつ書き溜めていたんですけど、生活に余裕が出始めると状況に満足しちゃって曲が書けないんですよ(笑)。そんな大した地位にいたわけでもないんだけど。「今月家賃、払えるかなあ」とか「1週間持つかな……」とか考えなくてもよくなって、全くストレスがなくなっちゃったんですよね。実は、それよりももっと前にアルバム1枚分の歌詞は書いてあったんです。でもそんな状態だったから「負け犬目線」の歌詞だと辻褄が合わなくなってしまって。
ーーすでに崇勲さんの立ち位置が「負け犬」ではなくなってしまったと。
崇勲:おそらく聴いている側からすると、「負け犬目線」で上に噛み付く内容の方が応援したくなるというか。それもよく分かるんですけど、実際に俺はもう「負け犬」ではないから、その目線で歌い続けるのは卑怯だと思ってしまって。そういうこと、ずっとやっている人もいますけど。
ーー(笑)。
崇勲:俺はやっぱり、リアリティを大事にしたいんですよね。なので自分の身の丈に全く合ってない歌詞を、全て破棄して一から書き直したのが今回の『素通り』なんです。
ーーでも、一旦破棄して再び取り掛かるには、相当のモチベーションが必要だったんじゃないですか?
崇勲:ビートメイカーに今回は助けられましたね。前回に引き続きJ-TARO、DJ RINDが参加してくれたのに加え、Maria Segawa(fromTAG DOCK)やMichita、LIBROといった錚々たる面々のトラックが揃って。「あ、これだったら歌詞が書けるかも!」と思うものばかりだったんですよね。実際、そこから言葉が浮かんでくることも多かったし。
ーー確かに、前作に比べて楽曲の振り幅もぐんと大きくなりましたよね。
崇勲:昨年後半、押忍マンのレコーディングに参加したのも大きかったです。子供が生まれたばっかりで大変なのに、アルバム1枚作ってるコイツすげえなって。俺は結婚もしてないし時間の余裕だってあるのに、一体何やってるんだろう?という気持ちになったんですよね。そこで刺激をもらって一気にアルバム分の歌詞を書き上げました。なので、その時期に考えていたことが、そのままテーマになっていると思います。
■生きていれば、何が起きようが全てが「武器」になる
ーー前作と比べてどこが変わったとご自身では思いますか?
崇勲:前作は割と攻撃的な要素があったんですけど、今回はほとんどなくて。気持ち的にもストレスが減って、優しくなっているんだろうなって、書き終えてみて素直に思いましたね。誰かを腐すような歌詞を書きたい気分ではなかったというか。
ーー「EXTENSION」では〈HIPHOPは怒りと痛みの地雷 俺は踏まない〉と歌っています。
崇勲:そう、派手に見せるためにわざわざ地雷を踏んで、怒りや痛みを強調させるようなやり方はしたくないなと。もっとスルスルと、マイペースに生きていきますよっていう意思表明でもありますね。流行りとかではない、誰も踏み入れていないような隙間を狙って言葉を作りたいというか。要は「俺は俺」ということです。
ーー「WAYBACK」は、地元愛と、東京への複雑な思いが描かれていますよね。
崇勲:未だに東京は苦手ですね。渋谷のセンター街とか一歩も入りたくない(笑)。新宿、渋谷、池袋は本当に行きたくないです。単純に人が多いし、みんなチャラチャラしていて自分とは合わない街だなと。3月まで週一で、東京に来てラジオ収録をやっていたんですけど、19時前にラジオの入っているビルの地下駐車場に入って、20時に収録が終わるとそのまま駐車場に戻って春日部までまっすぐ帰ってました(笑)。だんだん建物の高さが低くなってきて、ようやく春日部の街並みが見えてくると本当に落ち着きますね。ここ数年で、さらに地元が好きになりましたね。
ーーアルバムのタイトル同様、東京を「素通り」していたと(笑)。
崇勲:タイトルの由来はそれもあるし、自分自身があまり人をアテにしない、アテにしちゃいけないという意味の「素通り」でもあります。今、MCバトルがブームと言われているけど、それで得ているプロップスなんて空っぽだぞ、そこをアテにしちゃダメだぞっていう、自分への戒めも含めていますね。
ーー「人をアテにしない」という感覚は昔からあるのですか?
崇勲:それこそ中学生くらいから持っていた感覚かもしれない。仲間内でも「自分のことは自分でケツを拭け」というしきたりがありましたし。『素通り』というタイトルは3年くらい前から考えていたんですけど、ダンジョンとかで名前がバーっと知れ渡っていく現象を見たときでしたね。「次のアルバムタイトルは『素通り』にしよう」って。
ーー個人的には「ラストシーン」が込み上げるものがありました。バックトラックもアルバムの中で異彩を放っているし、歌詞も崇勲さんの死生観が歌われていますよね。
崇勲:トラックメイカーのMichitaさんから、「10分くらいで作ったビートがある」って言われて。聴いてみたらすごく良くて。歌詞は、昨年事故で死んでしまった第三の唇のメンバーの一人について歌っています。彼の通夜に行ったとき、ご遺族が俺の「FLASH」という曲をずっと流してくれていたんですよね。そういうこともあったし、人生で一番笑わせてくれた友人だったので、彼への思いをカタチにして残したいと思っていた時に、このトラックをもらったんです。
ーー「MATCHSTICK」も「死」がテーマの曲ですか?
崇勲:この曲はCHICO CARLITOというラッパーが、先にフックの歌詞をつけて送ってきたんです。しかも内容が、偶然にもその死んだ第三の唇のメンバーへの追悼で。CHICOも彼の通夜に、沖縄から駆けつけるくらい仲が良かったので、奇しくも被ってしまった(笑)。ただ、送られてきたメロディも歌詞もすごく良かったので、なるべく「ラストシーン」とはニュアンスを変えた方向性に、俺の歌詞で調整していきました。同じ人間に向けた曲を2つ並べても仕方ないので(笑)、これはもう少し広い意味での「命」について歌っています。CHICOにダメ出し食らいながら、何度も歌詞を書き直してようやく完成しましたね。
ーー 「Over Time」も、崇勲さんの「遺書」のようにさえ読み取れる歌詞で、一瞬ドキッとしました。
崇勲:これもMichitaさんから送ってもらったビートを使っています。聴いた瞬間に、「これはアルバム最後の曲だな」って思いました。「すごい曲が書けるかもしれない」と。しかも一瞬で歌詞が書けるということが、トラックを聴いてすぐ分かったんですよ。なので、この曲以外のレコーディングが全て終わってから、最後に歌詞を書いてすぐ録ったんです。そういう意味では、ちょっとフリースタイルに近いところはありましたね。
出来上がったトラックをMichitaさんに送ったら、電話がかかってきて。「とても気に入ったよ」という、ありがたい言葉までいただきました。自分でもすごく気に入っている曲ですね。アルバム自体が、この「Over Time」に向けての壮大な前フリになっているようにも思います。
ーー〈これが最後の詞になるかも 立ち去る準備出来てるかも〉や〈何処に居ても俺は探す 必ず笑う居場所探す〉など、意味深なラインが並んでいますよね。
崇勲:立ち去る準備は常に出来ていますよ、嫌いなラッパー多いし(笑)。クラブとか言っても、しかめっ面のラッパーばかりじゃないですか。「笑っている方が楽しいのにな」って、いつも思いながら見ていたんですよ。「何しに来てるんだろうな、こいつらは」って(笑)。
ーーシリアスに寄りすぎず、常にユーモア精神を持っているのが崇勲さんのアティチュードなんでしょうね。
崇勲:嫌なことがあっても、基本「我慢する」というよりは「受け流す」というか。これ、ネタとして持ち帰ったら地元で笑い話になるぞとか、そうやっていつも考えているんですよね。
ーー「道しるべ」で歌っている、〈不満を抱えろ 震えるだろうけど無くなった時に武器になるまでよ〉という部分がまさにそうですよね。
崇勲:生きていれば、何が起きようが全てが「武器」になると思うんですよね。楽しいことでも、嬉しいことでも、辛いことでもなんでも。
ーー本作を作り終えて、何か新たな展望などは見えてきていますか?
崇勲:いや、何にもなくて。とりあえず日本一周したいです(笑)。あと、作り終えた時はやりきった感があったんですけど、そこからこの数カ月の間でまたストレスがちょっとずつ溜まってきているので、まだまだ曲は作れそうだなって思っています。(黒田隆憲)