井上陽水50周年、日本の音楽シーンで活躍し続ける感性と言葉の鋭さ
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現在、「井上陽水 50周年記念ライブツアー『光陰矢の如し』~少年老い易く 学成り難し~」を開催中の井上陽水。9月1日に迎える50周年に向けて、昨年9年ぶりのシングル『care』をリリースしたことをはじめ、『断絶』などの全スタジオレコーディングアルバムとライブアルバムを配信、今年初頭にはスタジオアルバムのリマスターBOXセット『YOSUI BOX Remastered』をリリースした。50年に渡って音楽シーンの最前線で活躍し、今もなお新たなファンを生み続ける陽水の音楽の魅力とは?
シュールな視点と異国ムード
井上陽水は、フォークソングブームまっただ中の1972年にソロデビューした。1stアルバム『断絶』は、アコースティックギターをメインにしながら歌謡曲の延長と呼べるサウンドと、情感がたっぷり込められた歌詞で叙情派と呼ばれた。同作に収録の「傘がない」は、〈都会では自殺する若者が増えている〉という衝撃的なフレーズから始まることで知られる。どこかで社会を憂いながら、恋人に会いに行くことのほうが大事だと当時の若者の無関心を重ねて歌い、インパクトの強い言葉とシニカルな視点が波紋を広げた。
ロンドンでレコーディングされ、日本初のミリオンヒットを記録した3rdアルバム『氷の世界』は、井上陽水の金字塔と呼べる作品になった。高中正義や細野晴臣など第一線のミュージシャンが数多く参加し、それまでのフォークから一転、グラムロック調やスケールの大きなロックバラードなど多彩な楽曲を収録した。特に表題曲の「氷の世界」は、ブラスセクションを大胆に起用したファンクサウンドのアレンジと、〈こごえてしまうよ 毎日吹雪吹雪 氷の世界〉と、当時の社会の息苦しさを痛烈に歌った歌詞で話題となった。
「傘がない」や「氷の世界」を筆頭に、写真や絵画のように切り取った一コマを、意外な角度で表現するセンスが実に天才的だ。「ゼンマイじかけのカブト虫」など、比喩表現たっぷりの歌詞から、いかにしてメッセージを読み取るかが、ファンにとっての醍醐味にもなっている。曲名だけを取ってみてもハイセンスで、これまでに「プールに泳ぐサーモン」や、「天使 in マガジン」など、曲名だけでどんな歌なのか聴きたくなる。
また異国情緒漂う雰囲気の楽曲も、陽水の音楽の魅力だ。1979年のアルバム『スニーカーダンサー』に収録の「なぜか上海」は、高中正義のメランコリックなギターアレンジが秀逸。田村正和の主演でヒットしたTVドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に起用されてヒットした「リバーサイドホテル」は、外国のクラブに足を踏み入れるような怪しさと背徳感にしびれる。『あやしい夜をまって』に収録の「マリーナ・デル・レイ〜ナイト・メロディー」は、まさしくロサンゼルスの高級ヨットハーバーを歌った楽曲。現実でありながら、どこか夢の中にいるような感覚で表現される陽水の歌の世界観は、むしろ日本ではない、見知らぬ異国のシチュエーションがマッチする。
常に新しいものと交わることで保たれる感性
音楽ビジネスに対しても積極的だった。1975年には、吉田拓郎、泉谷しげる、小室等らと共に新たなレコード会社「フォーライフ・レコード」を設立して、音楽シーンの発展に大きく寄与した。アーティストがレコード会社を設立するという行為は、音楽ビジネスを改めて考え直す機会となり、現在あるアーティスト主導の音楽制作へと業界全体がかじを切っていくきっかけになったと言える。
多彩な歌手やアーティストに楽曲提供し、ことごとくヒットに導いた“ヒット請負人”としての側面もある。80年には山口百恵のラストアルバム『This is my trial』に、ムーディーで大人の魅力に溢れた「Crazy Love」を提供して彼女の引退に花を添えた。82年には沢田研二のアルバム『MIS CAST』の全曲で作詞作曲を手がけ、翌年には陽水のバックバンドを経てデビューした安全地帯の「ワインレッドの心」の作詞を担当。安全地帯は同曲で自身初のチャート1位を獲得している。1984年には中森明菜に「飾りじゃないのよ涙は」を提供。中森の影のあるキャラクターとも相まって、彼女の三本指に入るヒット曲となり、それを生み出した井上陽水の名前を歌謡界に刻みつけた。また同年には、提供曲をセルフカバーした作品『9.5カラット』をリリースして、『氷の世界』に続くミリオンヒットになっている。
名曲「少年時代」が生まれたのは1990年だ。映画『少年時代』のために書き下ろされた楽曲で、夏の終わりの名残惜しさを感じさせるサウンドとノスタルジックな情景が浮かぶ歌詞が評判を呼び、ミリオンヒットとなって陽水を代表する1曲になった。また本作は〈風あざみ〉という、いかにもありそうだが実は存在しない、植物の名前が出てくることでも知られ、作詞力の高さを語る際に、必ず口上に上がるほどの話題性も誇っている。また「少年時代」を収録したアルバム『ハンサムボーイ』にはニュース番組『筑紫哲也NEWS23』のために書き下ろされた「最後のニュース」も収録。初期の鋭い社会性とノスタルジーを両立させた作品として、同作は今もなお人気が高い。
この90年代は、日産セフィーロのCMに出演し「お元気ですか」というセリフが話題になった他、自身も出演したサントリーのCMソング「いっそセレナーデ」がヒット。メディアにも登場するようになり、くせっ毛の髪型とサングラスというスタイルが浸透。ひょうひょうとしたキャラクターでタレント性も発揮した。その人柄こそが、陽水の音楽性を如実に表していたと言える。さらに1996年には奥田民生と組んで、PUFFYの「アジアの純真」や「渚にまつわるエトセトラ」などを手がけてヒットに導き、その後“井上陽水奥田民生”を結成して2枚のアルバムをリリース。常に新しいものと交わることで、さらに感性が磨かれていったと言える。
井上陽水を誰かに紹介する時、誰々っぽいや何々風など、別の何かに例えることが難しく、うまく説明できなくてもどかしくなることがある。しかしそれこそがオリジナリティの証であり、井上陽水が井上陽水たる所以だろう。常に斜めの角度から社会を見つめ、自身の信じる芸術性を追い求めてきた50年。どの曲も、今聴いても斬新で心にストレートに響いて、唯一無二のセンスは変わらず鋭さを増している。昨年リリースした「care」は、言葉遊びのセンスや、夏の終わりの切なさなど、実に陽水らしさが溢れている。その“らしさ”を50年ブレずに保ち続けてきた、井上陽水の存在が奇跡だ。
■榑林史章
「THE BEST☆HIT」の編集を経て音楽ライターに。オールジャンルに対応し、これまでにインタビューした本数は、延べ4,000本以上。日本工学院専門学校ミュージックカレッジで講師も務めている。