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リズムから考えるJ-POP史 第6回:Base Ball Bearから検証する、ロックにおける4つ打ちの原点

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 2000年代以降、日本国内のロックで定番となったリズムがある。4つ打ちだ。四分音符を刻むキックドラムと、偶数拍で鳴らされるスネアドラム、そしてキックドラムの拍裏を埋めるハイハットがその特徴。「ドッチードッチー」という具合に、力強さとスピード感をあわせもったサウンドになる。4つ打ちとは言うものの、基本的には16分音符を最小単位とする16ビートに属する。注意したいのは、ハウスやテクノなどダンスミュージックにおける4つ打ちとロックにおける4つ打ちは違うということだ。ダンスミュージックにおける4つ打ちはジャンルを問わず共有されるリズムのパターンに過ぎないが、日本のロックでは高速なBPMとキャッチーなリフを主体とした1つのジャンルを形作っている。

(関連:パスピエが提示する、リズムの“新モード”とは?「『四つ打ちの中で新たな解釈を生み出さないと』と危機感が生まれた」

 2010年代のヒット曲にはこの4つ打ちを踏襲したものがしばしば見られる。たとえばゲスの極み乙女。の「私以外私じゃないの」(2015年)ではシンコペーションを含むファンキーなビートを刻む平歌を経て、サビで高揚感を煽るように4つ打ちが用いられている。ほか、4つ打ちの代表的な楽曲としてはKANA-BOON「ないものねだり」(2013年)やフレデリック「オドループ」(2014年)がある。BPMを確認しておくと、前者のKANA-BOONの楽曲はおよそ175、フレデリックの楽曲はおよそ172。極めてハイスピードだ。

 2010年代初頭、この4つ打ちは良かれ悪しかれホットなトピックだった。というのも、この流行によってロックバンドのリズムが単調になった、という見方が増えてきたからだ。しかし、未だにこのサウンドは鳴り続け、人々を惹きつけている。本稿では、日本の特定のバンドたちに根付いたこのジャンルについて検討してみたい。

■2000年代のロックと4つ打ち

 独自に進化し、定型化した4つ打ちの起源を辿ることは難しい。あえてその系譜にひとつの点をおくとしたら、Base Ball Bear(以下、BBB)をはじめとした2000年代半ばにデビューした世代のロックバンドの一群が挙げられるだろう。実際、BBBのギターボーカルである小出祐介は、2014年のインタビューで次のように語っている。

 今のギター・ロックの主流になってる、テンポが速くて4つ打ちって、あれ最初にやり始めたのは俺たちじゃね? ってちょっと思ったんですよ。もちろん、ほかにも何組かいると思うけど、間違いなくああいうアプローチをひとつの方法論としてバンドの売りにしたのは僕らだし。「ELECTRIC SUMMER」を出したときにああいう曲ってなかったから。
(「M-ON!MUSIC」)

 しかし、こうした認識はどの程度妥当なのか。2000年代の状況を振り返りつつ検証してみよう。

 まず、2000年代に入ると、くるりやSUPERCARなど90年代末にデビューしたロックバンドが相次いでダンスミュージックへ接近した。くるり『TEAM ROCK』(2001年)やSUPERCAR『Futurama』(2000年)を皮切りに、ロックバンドとダンスミュージックが融合する機運が生まれていたのだ。

 続いてASIAN KUNG-FU GENERATION(以降、AKG)による2003年のシングル「君という花」は、BPMこそ133とそこまで速くないものの、ロックバンドが打ち込みではなく生演奏で4つ打ちに挑戦する新しい流れを切り拓いた。

 バンドにとってもこの曲の存在は大きかった。AKGのドラマー、伊地知潔は2013年のデビュー10周年記念ムックで、「君という花」を思い入れのある楽曲ベスト3に選出。「4つ打ちのダンスビートを最初に取り入れた曲。当時は発明だと思ってました。」というコメントを寄せている(『ASIAN KUNG-FU GENERATION THE MEMORIES 2003-2013』ぴあ株式会社、2013年、p.110)。また、2012年のインタビューで、ギターボーカルの後藤正文は「君という花」と「ループ&ループ」の2つを指して、「ああいう和のような、アジアっぽいメロディに4つのキックが乗ってくると、日本人のいろんなとこのツボを押す曲だなと思うけどね、今から思うとね。絶対にフェスとかでやって盛り上がんない訳ない要素しかない!」と述懐している(『ROCKIN’ON JAPAN』2012年2月号、p.38)。

■Base Ball Bearが作った4つ打ちの定型
 奇しくも2003年は、BBBがインディーズデビューを果たした年。BBBはミニアルバム『夕方ジェネレーション』(2003年)に収録されている「SAYONARA-NOSTALGIA」ですでに4つ打ちを取り入れている。今から振り返ると、「君という花」と共に、時代と共振しながら後の4つ打ちの流行への布石を打っているかのようだ。

 BBBの4つ打ちに対する功績のひとつはBPMの高速化だ。1stシングル「ELECTRIC SUMMER」(2006年)ではBPMはおよそ146。また、『バンドBについて』(2006年)収録の人気曲「CRAZY FOR YOUの季節」はBPMが162と、2010年代の4つ打ちにかなり近づいている。その後も4つ打ちはいわば彼らのトレードマークのように繰り返し用いられ、「最初にやり始めたのは俺たちじゃね?」というのもなかなか妥当であるように思える。

 ただし、「BPMの速い4つ打ちのビート」というのであれば、同世代ではフジファブリック、少し先行してSPARTA LOCALSなどがいたことも忘れてはいけない。フジファブリックの2005年のシングル「銀河」はBPMがおよそ147で、「ELECTRIC SUMMER」と遜色ない。SPARTA LOCALSは2ndアルバム『セコンドファンファーレ』(2003年)に収録の「黄金WAVE」が躍動感あふれる4つ打ちを展開しているし、続く2003年のシングル曲「ピース」(2004年の3rdアルバム『SUN SUN SUN』にリミックスが収録)はBPMが160を越えるダンサブルな4つ打ちロックだ。

 これら2バンドはレパートリー全体に占める割合ではBase Ball Bearほどとは言えないかもしれないが、十分に4つ打ちの元祖として位置づける資格はある。しかし、フジファブリックは2009年に主なソングライターでフロントマンであった志村正彦の急逝を経てバンドの体制を変えることになり、またSPARTA LOCALSも2009年に解散(2016年に再結成)してしまったために、2010年代の4つ打ちの隆盛とは切り離されているのかもしれない。

■SUPERCARやNUMBER GIRL、XTCがBBBに与えた影響
 それでは、BBBによる4つ打ちはどのような背景から生まれたのか。さまざまな影響が考えられる中で特筆できるのは、XTCなどニューウェイブのロックバンドからの影響と、SUPERCARやNUMBER GIRLといった一世代前のバンドだ。どちらも小出をはじめとしたBBBのメンバーが影響を強く公言している。

 示唆的なのは、2006年のミニアルバム『GIRL FRIEND』に収録されている「BLACK SEA」だ。BPMこそさほど速くないものの4つ打ちのビートで構成されているこの曲、タイトルは明らかにXTCの4枚目のアルバム『Black Sea』からの引用だ。『Black Sea』に収録された「Living Through Another Cuba」はXTCの楽曲のなかでもとりわけダンサブルな4つ打ちのビートが特徴。このように、メンバーのアンディ・パートリッジの意向でライブ活動をやめる以前のXTCには、フィジカルなビートと荒々しい演奏で4つ打ちを奏でるレパートリーもあり、BBBの4つ打ちの原点のひとつと考えられる。

 一方、BBBのバンドヒストリーを紐解けば、SUPERCARとNUMBER GIRLからの影響が絶大だったことは伺える。TBSラジオのかつての人気番組『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』で小出は「自分のアルバムが出るのになんですが、改めてナンバーガールについて語ろう特集」のプレゼンターを務めた。自らの半生とNUMBER GIRLの歴史を並行して語る迷企画ながら、いかにNUMBER GIRLというバンドの存在が大きかったかが伺えるものだ。また、このなかでも言及されているように、BBBの元になったバンドはSUPERCARのコピーバンドだった。

 SUPERCARは前述の通り2000年代の幕開けにダンスミュージックへの接近を見せたロックバンドの代表格。対してNUMBER GIRLにはいわゆる4つ打ちの印象が薄いかもしれない。しかし、メジャー2作目の『SAPPUKEI』(2000年)以降、The Pop GroupなどのUKのポストパンク~ニューウェイブを引き継いだサウンドへと傾倒した結果、4つ打ちを要所にフィーチャーした楽曲をいくらか残している。『SAPPUKEI』収録の「SASU-YOU」、『NUM-HEAVYMETALLIC』(2002年)収録の「NUM-AMI-DABUTZ」がその例だ。この2バンドから4つ打ちへのインスピレーションを得た可能性は高い。

■2000年代、4つ打ちが可能性だった時代
 ここまで、BBBを主軸として2000年代の4つ打ち事情を追ってきたが、ひとつ大きな指摘をしておきたい。もし「BPMの速さ」という要件を外せば、2000年代は4つ打ち百花繚乱とも言うべき時代だったのだ、ということだ。

 たとえば、フルカワユタカが率いるDOPING PANDAはダンスミュージックからの影響を公言し、ロックとダンスの融合を模索した重要なバンドだ。加えて、前述のSPARTA LOCALS、フジファブリック、サカナクション、avengers in sci-fi、やや世代を下って8otto、the telephonesなど、多くのバンドが自分たちなりの4つ打ちに挑戦していた。また、エクストリームなリズムの展開を見せる作風で知られる凛として時雨も要所要所に4つ打ちを用いているし、同じく9mm Parabellum BulletのメジャーデビューEPの表題曲「Discommunication」は4つ打ちだ。

 この状況を考えると、「あれ最初にやり始めたのは俺たちじゃね?」という小出の発言は、あくまできわめて狭い意味での4つ打ちに限定されると捉えるべきだろう。とはいえその特殊な4つ打ちが2010年代の日本のロックを特徴づけるものになったのだから、重要性が減じるわけではない。

 また、2000年代はロックバンドの側からだけではなく、ダンスミュージックのDJやプロデューサーの側から見ても4つ打ちのロックが魅力的に映った時代だった。80年代のニューウェイブを現代的なダンスミュージックの装いでリバイバルさせた2000年代初頭のエレクトロクラッシュや、同じく2000年代後半に流行したディスコやニューウェイブのアグレッシブな進化版と言えるフレンチエレクトロの流行によって、ロックなダンスサウンドが急増したのだ。

 2000年代、ダンスミュージックとバンドサウンドが双方から歩み寄っていった交錯点として4つ打ちはあった。トレンドの呼び名やプレイヤーは入れ替わりつつも、この点は一貫している。

■パンクという母体
 興味深いことに、日本でこうしたロックとダンスの融合の母体となったのは、メロコアを中心としたパンクシーンだった。そもそも2000年代初頭、バンドを始めようという若者にとって、Hi-STANDARDを代表とするメロコアブームから、続いての青春パンクブームの影響は大きかった。バンドの絶対数が多い中、各自が独自の音楽を追求した結果、ユニークな取り組みも生まれやすかったのだろう。

 先ほど名前を挙げたDOPING PANDAは、まさにこの系譜を体現するバンドだった。彼らはもともとHi-STANDARDを中心とするDIYなフェスシーン、『AIR JAM』の影響下にいた。『Dream is not over』(2000年)や『Performation』(2001年)といった初期のEPやアルバムは、英語詞でメロディアスなパンクロックを展開する、まさにAIR JAM世代の作品だ。しかし、徐々にシーンに息苦しさを覚えはじめたころ、新たな可能性としてハウスやテクノといったダンスミュージックを知り大胆に音楽性を転換した。ギターボーカルのフルカワユタカは2005年のインタビューで次のように語っている。

古川:8ビートでパンクをやるってことに見切りをつけてたんだと思う。実際に〈エアージャム〉の00年の最後のライヴも観に行ってないし。いっぽうで、ちょうどダフト・パンクとかタヒチ80とかがガツンと流行った時期でもあって。で、ハードロックからパンクにすぐに鞍替えできたんだから、今度も素直にやりたいことやっていこうかなと。でもライヴ・ハウスでロックをやることはいまでも好きだし、まあ表現方法が変わったってきたって[原文ママ]ことだけなのかもしれないけれど。
(『remix』2005年6月号、p.165)

 こうしたメロコアからダンスロックに至る系譜は、いま4つ打ちを巡って交わされる議論からはややオミットされる傾向がある。『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』などの大型夏フェスに文脈を限定した「フェスロック」というくくりが、とりわけその傾向を加速させているかもしれない。しかし、ここまで振り返ってきたように、4つ打ちや「フェスロック」というものは、このサウンド、このリズムが本来備えていたポテンシャルのごく一端に過ぎない。柴那典は2010年代以降の4つ打ちを「邦楽主体のリスナーが増えたシーンの『ガラパゴス化』とリンクした現象」とまとめるが、その実は「ロックバンドの他ジャンルに対するガラパゴス化」ではないだろうか。日本という地理的な条件のみならず、ロックというジャンルや、その周辺の語りによって、2000年代に生まれた異ジャンル混交の機運がスポイルされてしまった。そのように思える。(imdkm)