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アーティストの音楽履歴書 第3回 大槻ケンヂのルーツをたどる

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大槻ケンヂの音楽履歴書

毎回1人のアーティストの“音楽遍歴”を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにする本企画。3回目は、昨年自身が率いるバンド筋肉少女帯がメジャーデビュー30周年を迎えた大槻ケンヂ(筋肉少女帯 / 特撮)に話を聞いた。

「レッツゴー!! ライダーキック」をジャケ買い

最初に親にねだって買ってもらったドーナツ盤は、「仮面ライダー」のテーマ曲「レッツゴー!! ライダーキック」かなあ。仮面ライダーが写っているジャケットにとにかく衝撃を受けて……番組だと藤岡弘、さん版が使われているのに、そのレコードで歌っていたのは子門真人さんだったので(*)、幼心に「あれ!?」って(笑)。

そのあとでよく覚えているのは、小椋佳さんのライブ映像をNHKで観たこと。たぶん小学3年生くらいです。歌詞が強烈でいい歌ばかりだなあと思って、「遠ざかる風景」(1976年作)というライブ盤を買ってもらいました。「めまい」という曲が大好きだったんだけど、今聴くととてもオトナな恋の歌で、相当渋い趣味(笑)。

*同曲は子門真人の旧芸名、藤浩一名義で1971年にリリースされた。本シングルは、初回プレス盤では番組で使用されている藤岡弘、歌唱版が、2ndプレス以降には藤浩一版が収録されるという変則的なリリース形態だった。

井上陽水の歌詞に衝撃

ポリドール時代の初期シングル曲を集めた「ユア・スウィート陽水」(78年発表)っていうLPを聴いて、歌詞にものすごい衝撃を受けたんです。これはとてつもない人だ……と。あとになって分かるんですが、編曲の星勝さんはじめ、小椋佳さんと制作陣が被っていたりもするんですよね。

洋楽との出会いはKISS

その頃洋楽のアーティストをテレビで目にすることはほとんどなかったんですけど、Kissの来日公演の様子をテレビで観てロックに開眼しました。僕と兄貴で中野のレコード屋に行って、それぞれ「地獄の軍団」と「地獄のロックファイヤー」(いずれも76年)を買いました。Kissは見た目も含めて子供にもわかりやすかったんでしょうね。ジャケットからは激烈なヘヴィメタルのような音楽を想像していたのに、レコードで聴いてみると音が軽くてびっくりしました(笑)。

プログレッシブロック名盤を貸し借り

筋肉少女帯でずっと一緒の内田(雄一郎)くんに、中学時代からいろいろレコードを貸してもらっていました。中でもハマったのがプログレ。「音楽はエモーションだ!」と頭から思い込んでいたし、超絶プレイを聴くというよりその独得な世界観に惹かれたんだと思います。Emerson, Lake & Palmerの「Tarkus」(71年)も、あのダブルジャケットに描かれた壮大な物語込みで味わっていましたね。今聴けばどのバンドもバカテクでそれも魅力だということがよくわかるんですけどね。King Crimsonは今でも大好きで、去年も広島まで追いかけて観に行きました。

YMOからパンク、ニューウェイブへ

同じ頃、中野の電気屋さんでYellow Magic Orchestraの1stアルバム(「Yellow Magic Orchestra」78年)がかかっていて衝撃を受けて。テクノなんてそれまで全然知らないから、何かとんでもないことがゼロから始まっていると思いました。その頃にちょうどパンクやニューウェイブも日本に入ってきて、ヒカシュー、チャクラ、INU、THE STALINとか、すごくカッコいいバンドがたくさん出てきてよく聴きました。知的で前衛的な雰囲気をパンクやニューウェイブに取り込んでいる人たちが好きでした。

その頃はハードロックはもう古いぜ、みたいな風潮があって。でも、結局一方でDeep Purpleとか聴いて興奮していたり(笑)。筋肉少女帯の初ライブも同じ頃だと思うんですけど、コピーしたのがRainbowとヒカシューとPANTA & HALですからね(笑)。めちゃくちゃな組み合わせ。あ、でも今とやってることは同じといえば同じか(笑)。

強烈なライブハウスシーン

いやあ、80年当時はとにかくヤバかった。渋谷・屋根裏が当時ビルの3階にあったんですけど、隣のビルとの隙間にギグ中のパンクスに殺されたお客さんの遺体が山のように積まれていてもうすぐ屋根裏の階まで届いていしまうらしいという噂があって、それを本気で信じてましたからね(笑)。僕はおとなしくてなるべく近付かないようにしていましたけど。

当時よくライブを観たバンドは田口トモロヲさんのばちかぶり。突如ファンクを取り入れたりして、カッコよかったなあ。ZELDAもカッコよかったし、オレンヂチューブってバンドとか。今思うと当時のインディーズはいいバンドがたくさんいましたね。

バンドブーム~メジャーデビュー

80年代後半のバンドブームの勢いは本当にすごかった。そのおかげで筋肉少女帯もなんとなくメジャーデビューしてしまって(笑)。けど、その頃はとにかく自分たちのことで精一杯で他人の音楽を聴くってことがまったくなかったですね。当時デビューした洋楽の有名バンドもほとんど聴くことがなかった。Red Hot Chili Peppersなんて今では「FUJI ROCK FESTIVAL」では大トリで、来日が騒がれるくらい超ビッグですけど、そのあたりのバンドが出てきてからの情報がすっぽり抜け落ちてるから、感覚としては「昨日今日出てきたばっかりの後輩でしょ?」って感じなんです(笑)。

アニソンシーンの熱気に出会う

最初にアニソンを歌ったのは「コボちゃん」のオープニングだったかな。それから99年の筋少の活動休止があって、2006年の「N・H・Kにようこそ!」のエンディングをきっかけに再始動していく頃からまたアニメ音楽の仕事もやらせてもらうようになって、15年には「うしおとおら」に楽曲提供したり。そこでアニソンシーンのスケールと、演者の人たちのクオリティ、オーディエンスの熱気にものすごく驚きました。16年には「Animelo Summer Live」にも出させてもらったんですけど、お客さんが4時間ぶっ通しで「うおーっ」て盛り上がってて、ぶったまげましたね。感動した。ずっとロックの世界で生きてきたから、まったく違う世界を知ることができました。

若手バンドから刺激

去年一緒にアルバムを作ったオワリカラを始めとして、若手からすごく刺激を受けています。えんそくっていうバンドが筋肉少女帯をカバーしてくれているのも面白かった。僕の10倍はちゃんとしてたし、そもそも歌詞を覚えているのがえらい。僕は覚えてないから(笑)。あとは、NoGoDも素晴らしいし、最近一緒にやったバンドだと挫・人間とか。演奏はもちろん、楽屋でインターネット界隈の面白い話をいろいろ教えてもらったり、若いバンドと対バンするのは、本当に面白いですね。みんないいですよ。

大槻ケンヂ

1982年にロックバンド筋肉少年少女隊結成。その後、筋肉少女帯に改名しインディーズで活動し、88年にメジャーデビュー。99年筋肉少女帯を脱退し、特撮を結成する。2006年には筋肉少女帯に復帰し、現在は特撮と同時に活動中。ほかにも、大槻ケンヂと絶望少女達、電車などほか、多数のユニットや引き語りライブなどの活動を行っている。音楽活動のほかにも小説やエッセイ、作詞などの執筆活動や、テレビ、ラジオ、映画出演など多方面で活躍中。小説家としては、「くるぐる使い」「のの子の復讐ジクジク」で2年連続星雲賞を受賞。「グミ・チョコレート・パイン」など、代表作が多数映画化されている。

取材・文 / 柴崎祐二