森山直太朗がたどり着いた新たな境地 柴那典による『人間の森』評
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とても不思議な空間だった。行われているのは確かにコンサートだし、その中心にあるのは間違いなく森山直太朗の歌声なのだが、なんだかそれだけでは片付けられないものがある感じ。まだ言語化されていない「新しいアートの萌芽」みたいなものがうごめいている感じ。
森山直太朗による全国ツアー「森山直太朗 コンサートツアー2018~19『人間の森』」の最終公演が、6月2日、東京・NHKホールで行われた。昨年8月にリリースされた最新アルバム『822』を引っさげて、昨年10月からロングスパンで行われてきたツアーのファイナル公演だ。
この記事はそのライブレポートということになるのだが、セットリストをもとに演出や曲順やMCで喋った言葉を連ねていく通常のレポート記事の体裁だと、僕の感じた「新しいアートの萌芽」のようなものににじり寄れないような気がする。なので、ちょっと違った書き方で、あのステージにあった独自性を考察していきたい。
まず大前提として書いておかないといけないのは、彼のファンやリスナーならおそらく共有している事実なのだが「森山直太朗」というのは、歌手であり、一個人であると同時に、いわば「クリエイティブユニット」としての成り立ちを持っている、ということ。
それはデビュー以来20年近くずっと変わらない。彼の楽曲の共同制作者となっているのは詩人の御徒町凧(おかちまち・かいと)。高校のサッカー部時代からの盟友で、デビューを経た後も森山直太朗と御徒町凧は常に二人三脚で進んできた。デビュー当初は歌詞のみだったが、2005年以降は作曲も共作名義となっている。
御徒町凧は森山直太朗の個人事務所であるセツナインターナショナルの代表も務め、ここ最近のツアーでは総合演出もつとめている。さらに近年では、佐内正史とタッグを組んだ写真詩集『Summer of the DEAD』を刊行したり、坂本昌行、長野博、井ノ原快彦が出演する「TWENTIETH TRIANGLE TOUR vol.2『カノトイハナサガモノラ』」の脚本と演出を手掛けるなど、その表現領域は大きく広がっている。
だからこそ、ここ最近の「クリエイティブユニット=森山直太朗」のステージは、「詩人=御徒町凧」の想像力と「歌い手=森山直太朗」の身体が交わる総合芸術として成立しているのだと思う。
そして、そこには伏線もある。それがここ10年以上にわたって森山直太朗によって繰り広げられた劇場公演だった。
2005年には初の本格的な劇場公演『森の人』が行われ、その後も2012年に『とある物語』、2017年に『あの城』が上演されている。こちらの作・演出も御徒町凧が手掛けている。そこで展開されているのは、音楽と演劇を融合させた独自のステージだ。筆者は『あの城』を観たのだが、そこで感じ取ったのは、ミュージシャンとして歌うことや楽器を奏でることと、役者として舞台の上で演技することが、シームレスにつながっているような身体表現だった。
『人間の森』にも、その感覚は引き継がれていた。
前回のツアー『絶対、大丈夫』から『あの城』そして、今回の『人間の森』へ、バンドマスターをつとめた河野圭(Piano)を筆頭に、西海孝(Guitar)、朝倉真司(Drums/Percussion)、須原杏(Violin)、林田順平(Cello)など多くのバンドメンバーが重なっているのも、その要因の一つだろう。それらの経験を経て、役者と演奏者の境界線が溶けてきている感がある。
コンサートは開演前から始まっている。開場して数十分経った頃から、ステージにメンバーが徐々に集まり、サウンドチェックや調整を始める。その時に鳴らす音が徐々に即興演奏としてアンサンブルを形作っていく。開演時刻を迎え、そのアンビエントに加わるように登場した森山直太朗が声を出し、それが1曲目「夏の終わり」につながるというオープニングだ。
コンサートの構成は第1部と第2部のふたつからなる。前半のステージには、舞台美術家・秋山光洋が手掛けた大きな樹のようなオブジェが存在感を放っている。大量の古着から作られた、どことなく古代の森を思わせるようなセットだ。一方、第2部はビル群を思わせるLEDをバックに、レーザー照明を配した都会的な演出が繰り広げられる。
端的に言うと、こうしたステージ演出は「演劇っぽい」。とはいえ、コンサートはコンサートだ。別に演技や決められた台詞があったりするわけではない。シアトリカルな展開があったりするわけでもない。それでも、ステージの上で繰り広げられていたのものを通して筆者が感じたのは、たしかに「演劇を演劇たらしめているもの」「劇団を劇団たらしめているもの」を踏まえた音楽表現だった。
それはなにか。一つ言えるのは、探求、というポイントかもしれない。舞台公演でも、役者は単に舞台の上で脚本に書かれた台詞を喋っているわけではない。筋書きは同じでも、表現は毎回変わる。『人間の森』は、そういうところに焦点を当ててぐーっと拡大したコンサートツアーのように思える。単なるエンターテインメントではなく、ステージの裏側に「何か新しいことをやってみたい」という実験精神が息づいている。しかも、それをメンバー全員が共有している。だから、ステージに立つのは「森山直太朗とそのバックバンド」ではなく、総合演出の御徒町凧率いる「劇団・森山直太朗」もしくは「楽団・森山直太朗」という出で立ちになる。
5月26日にWOWOWで放映された「森山直太朗『人間の森』ドキュメンタリー」は、インタビューや舞台裏への密着を通してそうしたコンサートツアーのエッセンスを切り取った、とても興味深い映像作品となっていた。
その冒頭で、森山直太朗はこう告げている。
「ラストスパートに入った今でも、『人間の森』とは何なのか、そして、このツアーが今後僕をどこに連れていってくれるのか、いまだわからないままです」
番組の中でも、たびたび森山直太朗は、そしてメンバーたちは「わからない」と繰り返す。
そうした半年にわたる旅を経て、たどり着いたのが6月2日のNHKホールのファイナル公演だった。
観客席まで森山直太朗が降りて歌ったり、ツアー直前にできたという新曲「すぐそこにnew days」では即興の掛け合いがあったり、様々な瞬間を経た本編は「群青」で終了。アンコールに「さくら(独唱)」と「時代は変わる」を歌った森山直太朗は、「もう1曲やらない?」とメンバーを呼び戻す。そうして「どこもかしこも駐車場」を歌う前に、彼はこんな風に告げた。
「ツアーが始まったときは『人間の森』を“おっかない場所だな”と思っていたんだけど、今はふるさとみたいな場所になりました。この先、迷ったり、息詰まったときは、『人間の森』を思い出します」
メンバー全員が舞台を降り、客席の照明が付いた後も、拍手が鳴り止むことはなかった。再びステージに登場した森山直太朗が最後に弾き語りで「君は五番目の季節」を歌い上げ、ライブは終了。
おそらく、あの場に居た人は感じ取っていただろう。言葉にするのは、なかなか難しい。でも、そこには歌い手として、表現者として、森山直太朗がたどり着いた新たな境地がたしかにあった。最後に巻き起こった大きな歓声は、そこへの賞賛でもあったのだろうと思う。
■柴 那典
1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンを経て独立。ブログ「日々の音色とことば:」/Twitter