田原俊彦、ジャニー喜多川社長への感謝とデビュー40周年の思い語る「大切な第二の親父みたいな方」
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田原俊彦が、本日6月30日に豊洲PITで『田原俊彦ニューシングル リリースパーティ2019 ~ミニライブ&握手会~』を開催。開演前、マスコミ向けに囲み取材を開いた。
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デビュー40周年を迎えた田原。6月26日にリリースされた75枚目のシングル『好きになってしまいそうだよ』は、作曲・都志見隆、作詞・松井五郎の王道コンビが手がけた大人の優しさが溢れるミディアムソング。2人は昭和、平成、そして令和と3つの時代を共に駆け抜けてきたコンビであり、多くの節目の楽曲も担当してきた信頼するソングライターだ。
同時に、田原は今年でジャニーズを卒業して25年の月日が経つ。テレビ局のカメラに詰め寄りながら1枚目シングル『哀愁でいと』から15枚目シングル『さらば‥夏』まで、順にタイトル名を言っていく。田原は15歳の夏にジャニーズ事務所へ直接出向き、ジャニー喜多川社長に直談判して、入所が認められた。当時のジャニー社長の第一印象を「ロンドンブーツを履いたこの方がジャニーさんなんだっていう、衝撃がありましたね。僕ぐらい身長があるのに、靴脱いだら急に15センチぐらい背が縮んじゃって(笑)」と冗談交じりに振り返る。
その後、田原は近藤真彦、野村義男と共にたのきんトリオを結成し、歌手デビュー。そこにはジャニー社長の厳しい指導とドラマ出演という大きなきっかけがあった。「15歳から僕が(ジャニーズを)卒業する33歳まで18年間、側にいてくれたんで。あの時、ジャニーさんがそういうパスポートをくれて、レッスンに通うことになって。レッスンはそれなりにきつかったですけど、『3年B組金八先生』というドラマに巡り合えて、それをチャンスにして、『よし!』って歌手活動が始まって」とデビューまでの経緯を話し、改めてジャニー社長について「日本一のクリエイターですから、ステージのトーク、曲並びとか、音の始まり、切れ目。すごく事細かに見てましたね」とその手腕を褒め称える。
「……なんでジャニーさんのことばっかり聞く!」と記者にツッコミを入れながらも、「僕の中では感謝しかないですし、25年経って58歳になった僕が今もステージに立っていられるのもジャニーさんのおかげだなと思っているので。実の親父は僕が小学1年生の時に亡くなったんですけど、そういう意味ではね、僕の大切な第二の親父みたいな方でしたんで。たくさん思い出はあります」と真剣な眼差しでジャニー社長への思いを語る田原。
ここで記者がジャニー社長が病院に緊急搬送されたことに触れると、「あの方は日本の音楽シーンに絶対必要な方ですし。ここまでポップシーンが盛り上がったのは、ジャニー喜多川の影響が大きいですし。これが途絶えてしまうのは日本のエンターテインメントの損失だと思うので、1日でも早く元気になって、またお会いしたいなと思います」と現在の心情を明かした。
会見後半では、「音楽番組について、今だから言えることはなにかあります?」という質問に、「それは言えないことじゃないよ! 俺が(松田)聖子ちゃんと何したっていいじゃないか! もう、時効だよ! (中森)明菜ー!」と80年代に音楽番組で共演したトップアイドルの名前を叫ぶ一幕も。この日も披露したトレードマークの足上げについて「何歳ぐらいまで上げられますか?」と聞かれると、「あと5年は余裕でいけるなっていう。その後ですよ。63歳から68歳までの、50周年迎えるまでの5年はどうかなっていうのは、僕も多少不安はあります」と述べる。
常にトップでいることの難しさを語った田原は最後に「田原俊彦らしさ、僕のブランドは絶やさないようにやってきたつもりだし、これからもコンサート、ディナーショーがあります。その時に、いつもの笑えるトシちゃんだって言ってもらえるような存在でいたいと思うんで。ファンの方に感謝しかない」とファンへのメッセージを伝えた。(渡辺彰浩)