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イギリスの巨匠マイク・リーが新作、そして盟友ケン・ローチを語る

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マイク・リー監督(写真右) (C) Amazon Content Services LLC, Film4 a division of Channel Four Television Corporation and The British Film Institute 2018.

カンヌ国際映画祭パルムドールに輝く『秘密と嘘』やヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した『ヴェラ・ドレイク』などで知られるイギリスの巨匠マイク・リー監督。寡作ながら発表する作品が常に世界的な評価を受ける監督が、新作『ピータールー マンチェスターの悲劇』では1819年にイギリスで起きた虐殺事件を扱った。なぜ、いま200年前の史実に目を向けたのか? リー監督が電話インタビューに応じてくれた。

今回、彼が主題にした“ピータールーの虐殺”は、1819年8月16日にイギリス・マンチェスター、セント・ピーターズ・フィールドで起きた。この日、同地の聖ピーターズ広場では、経済の悪化で苦境にあえぐ労働者たちを対象にした集会が開かれた。当日の主は、カリスマ的な活動家として名をはせていたヘンリー・ハントの演説。それもあって6万人をこえる労働者たちが広場に集まったという。

ただ、あくまで参加したのは市井の人々で武器なども持ってはいない。労働者にも選挙権などを求める、平和的なデモでしかなかった。ところがそこにサーベルを振り上げた義勇軍とライフル武装した軍隊が乱入。市民に多大な犠牲者が出た。

リー監督自身、マンチェスター出身ながら、この事件のことをあまり知らなかったという。「マンチェスターで育ってきたけど、ほんとうにあまり知らなかったんだ。もちろん、こういう事件があったことは聞いていたんだけど、詳細については曖昧な形でしかしらなかったんだよ」

事の重大さからすると教科書に載ってても不思議ではないのだが? 「教えている学校もある。でも、教えていない学校もある。おっしゃる通り、イギリス中の学校で教えられるべき、または教科書で説明されていないといけない事件だと思う。でも、実際はそうなっていないんだ」

ここにこそ、実は自身が描く理由があったという。「イギリスの学校では、たとえばヘンリー8世には奥さんは何人いたかとか、何年にはこんなことがあったとか習うわけです。ただ、イギリスの体制にとっての汚点はあまり深く触れられない。たとえば、イギリスはインドを植民地にしていたことは触れられる。でも、インドに対して自分たちがどれほどひどいことをしたかは教えられない。ただ、これはイギリスに限ったことではないんじゃないかな。自国に都合の悪いことというのはとかく目をつぶってしまうものだ。だからこそ、この史実を描こうと思ったんだ」

これだけの史実をまとめるのはそうとうな困難だったことは想像に難くない。「このプロジェクトは2014年にスタートした。まず最初の段階はリサーチ。この事件を様々な角度から調査した。これに2年半の時間が費やされた。それからキャスティングにとりかかって、ここにも多くの時間がかかった。そのあと、ご存知かもしれないけど、私はいわゆるスタンダードな脚本というものを作らない。俳優たちに実際に演じさせて、リハーサルをしながら脚本を作っていく。この作業を経ての脚本を作っていく過程に半年かかった。そして16週間の撮影を経て、ポストプロダクションに3、4カ月ぐらい。毎回のことだけど映画作りというのは時間がかかるんだよ。ただ、今回はリサーチには相当な綿密さと詳細さが求めたから、時間はかかったね」

作品を見てどうしても感じてしまうのは無力感。権力者が弱者を圧し潰す社会構造は今も昔も変わらない。その事実に愕然とするが、リー監督はどう向き合っていたのだろう? 「さっき、このプロジェクトは2014年に始まったといったけど、そのときは、ピータールーの虐殺を描いて、ここまで既視感を覚えるような社会状況になっているとは想像していなかった。ほんとうに今、世界は極右やナショナリズムの台頭で、どんどん悪い方向へ進んでいる。寛容な社会とは程遠い。私自身、無力感にさいなまれているよ。ただ、それでも前を向かないといけない。自分たちに何ができるのか?それを問い続けなければならない」

また、許しがたい“怒り”が作品に充満している。「私自身、虐殺そのものにも、治安判事たちをはじめとした権力側にいる人間たちの怒りを感じている。彼らの行為は許しがたい。それが映っているんじゃないかな。それにしても、この事件の顛末を見ていると、権力を持つ者には正気はないのかと思うよね」

先ほど触れたように、リー監督は、いわゆる脚本を最初は用意しない。俳優とのリハーサルを重ねる中で脚本を作り上げていく。このスタイルを変えようとは思わないのだろうか? 「その質問は彫刻家に油絵をなんで描かないのか?といっているようなものだよ(苦笑)。このスタイルは私がデビューから続けてきたアートであり、技であり、手法だ。私は脚本家であり、映画作家。両方の役割をしながら、いつも思うのは俳優たちの可能性なんだ。彼らには無限の可能性がある。私が自宅でひとり考えて書いたことよりも、俳優に演じてもらって出てくるアイデアのほうが信じられないぐらいすばらしいものが生まれてくる。それがわかっているからね。新しいやり方を模索するのははっきり言って時間の無駄。これからもたぶんこのスタイルでいくと思うよ」

気づけば彼も70代の半ばを超えた。歳が近いイギリスの巨匠といえば、ケン・ローチ、スティーヴン・フリアーズがいる。3人は同じBBCテレビ出身でもある。「ふたりはいい友人で盟友だ。ケン・ローチは紛れもなく世界的な巨匠であり、社会の現状に常にアプローチして、鋭いメッセージを発する作品を発表している。ある意味、彼はいま世界の何をみるべきか、何を知るべきか、何について考えればいいか、その方向を明確に示してくれる映画人といっていいだろう。

一方、僕は彼よりももっとワイドでオープンというかな。ある問題を提示することで、いろいろなことを考えるきっかけを与えたいと思っている。そういうタイプの作家だと思う。対してフリアーズは僕とローチの折衷というかな。ある問題があったら、こういう解釈があると、新たな視点や発見を提示するタイプだと思う。僕らがBBCテレビにいた1970~80年代初頭というのは、すばらしい時代で。すごく自由で政治や社会的なことに批判をするような作品も作れた。映画でもできないことがBBCのテレビではできたんだ。すごくこれは私たちにとってラッキーだった。たぶん3人とも自身の基礎になっているんじゃないかな」

『ピータールー マンチェスターの悲劇』
公開中

取材・文:水上賢治

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