エンジニアが明かすあのサウンドの正体 第2回 米津玄師、宇多田ヒカル、Official髭男dismらを手がける小森雅仁の仕事術(後編)
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小森雅仁
誰よりもアーティストの近くでサウンドと向き合い、アーティストの表現したいことを理解し、それを実現しているエンジニアにスポットを当て、彼らの視点でアーティストの楽曲について語ってもらうこの連載。今回は米津玄師、小袋成彬、Yaffle、Official髭男dism、高岩遼、世武裕子、宇多田ヒカルらの作品に携わる小森雅仁へのインタビュー後編をお届けする。宇多田が2018年に開催したライブでは、客席の歓声を録るためだけに30本のマイクを用意していたことなど、知られざるエピソードをたくさん明かしてくれた。
CDと同じキックをライブで再現
──宇多田ヒカルさんが2018年に開催したライブ「Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018」ではいろいろと実験的な手法を試したと聞いたんですけれども。
そうですね、僕は録音 / ミックスエンジニアとして参加させていただいたんですけど、お客さんから見てわからないような仕掛けは、楽器チームでも録音チームでもいろいろやりました。楽器チームがやったことの1つとして、ドラムのトリガーシステムがあります。ドラムトリガーというのは、ドラムを叩いたときにアタックをセンサーで検知して、生ドラムの音の代わりに打ち込みの音を鳴らすためのツール。例えば「Play A Love Song」という曲はオリジナルではタムは生ですけど、キックやスネアは完全に打ち込みなんですね。こういう曲をライブでやるときは、録音されたトラックを再生しながら、そこに生音を重ねるという手法をよくやるんですけど、今回はトリガーを使ったんです。生ドラムのキックをボンって踏んだときに、センサーが検知してオリジナル曲のキックと同じ音源が鳴るようになっていて。こうすることで、演奏のグルーヴ自体は人力、だけど、音色はCDとまったく同じ音で演奏できるんですね。もちろんライブでは「花束を君に」など完全に生音の曲もありますし、トリガーを使うにしても「Play A Love Song」と「Automatic」では違う音色を使ったりと、かなり細かく切り替えています。音声信号は生の音とトリガーの音が同時に来ているので、ライブ映像作品のミックスでは曲ごとにその辺のバランスを取っていく感じですね。Blu-rayやDVD、ストリーミングなどで聴いたら感じていただけるんじゃないかと思います(2019年6月にライブ映像作品「Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018」が発売。Netflixでも配信)。
──小森さんは世代的に、キックの音が生音ではなくて、重心を低くする加工をするようになってから育ったと思うんです。そういう音って、例えばライブのときにキックを普通に生で鳴らしても、音源と同じ音にはならないですよね。ライブでも音源のサウンドを表現するために使っている手法の1つがドラムトリガーの利用だと思うんですが、ほかに生音を録ったりミックスしたりする中で使っている特殊なテクニックはありますか?
裏技というほど特別なものではないですけど、YAMAHA Sub-Kickという低音収録用のマイクを使うことはありますね。ドラマーとコミュニケーションを取りながらではありますけど、ドラムって出音でほぼ決まっちゃうので。あとは、キックとかスネアとかをパートごとに別録りしちゃうこともあります。
──別録りすることもあるんですね。
はい。あえてパーツごとに録って切り貼りするときもあるんですけど、そういうときは生ドラムの雰囲気がほしいんじゃなくて、グリッドにカッチリと沿った、打ち込みのようなサウンドを生ドラムのサウンドでやりたいケースが多いですね。ドラムをマイクでレコーディングすると、例えばキックを狙ったマイクにもスネアの音が入り込んでしまうんですけど、この場合マイクのかぶりがなくなるので、音作りの制約も減りますし。ただ、自分から別録りでやらせてくれと言うことはほとんどなくて、アーティストから提案されるほうが多いですね。AメロBメロは揺らぎのあるグルーヴで、サビはカッチリなビートにして変化を出すとか、そういうアレンジにしたいときにやりますね。
歓声を録るだけでマイク30本
──宇多田さんのライブの現場には、録音用の機材もいろいろステージに持ち込んだという話を聞いたんですが。
はい、わがままを言わせてもらって、普通ステージ上には置かないマイクも用意してもらいました。例えばアコースティックギターって、ハウリングの問題もあるのでライブだとほぼラインで収音するんですけど、ライブ盤用の録音をするためだけにアコギにクリップマイクを付けさせてもらって。やっぱりラインの音はラインの音でしかないので、それをスタジオ録音のような音にしたくて。ライブPAという意味では必要がないんですけど、駄々をこねて導入させてもらいました。
──マイクとラインでは、録った音の空気感が全然違いますよね。
そうなんですよね。あとはお客さんの歓声を収録する際もこだわっていて。通常は動線の問題や演出の都合で、マイクを天井から吊って上から狙うか、2階席の手すりに取り付けて遠くから狙うことが多いんですね。そうするとヘッドフォンで聴いたときに、ホール感というか会場の広さは演出できるんですけど、お客さんの声も遠くなってしまうから臨場感が得られないんですよ。なので、今回PZMという壁などに貼り付けるタイプのマイクを客席にいっぱい仕込みました。それを遠くから狙ったマイクの音声と混ぜて、ホールの広さと自分も客席にいるような臨場感を同時に味わってもらえるようにミックスして。客席の中に仕込んでいるので、お客さんがしゃべっている声とかもクリアに入っちゃって、使える部分を探して後処理で組み立てるのが大変でしたけどね。ライブ中に「ちょっとすみません」と言ってマイクの位置を変えるわけにはいかないので、とにかくたくさん用意して……オーディエンス用だけで遠近合わせてマイク30本くらい使いました。
──お客さんの歓声を録るだけで30基は膨大ですね! そうなると、楽器を含めたトラック数は全部で何trくらいになったんですか?
楽器の録音だけで96trくらいですね。ミックスの段階ではもっと増えてます。キーボーディストは同じ楽器を使っていても、曲によってどんどん音色が変わるので。ミックスする際は音色ごとに新しいトラックを作ってエフェクト処理していったので、最終的には膨大なトラック数になりましたね。
──それだけ立てたマイクはPAさんにとってはまったく必要ないと思うんですが、音声信号の受け渡しはどうやって行っていたんですか?
最近のコンパクトなシステムだと、会場にあるデジタルミキサーから、デジタルのまま信号をもらうことが増えてますよね。そのほうが機材も予算もコンパクトで済むし。ただそれだと“流し込み”みたいな感じで、こっちではまったく音に触れないので、今回はPA卓に入る前に信号を分岐してもらって、音声中継車の中にあるアナログミキサーで受ける、古典的なやり方で録音しています。
コンプが要らない宇多田ヒカル
──宇多田さんのボーカルレコーディングをする中で、エンジニア目線で気付いたことなどがあれば教えてください。
一般的にはボーカルの音量にばらつきがあると歌詞が聴きにくくなるので、コンプレッサーという機材で音の大小を少し慣らしてレコーディングすることが多いのですが、宇多田さんの場合は自分で声量をものすごくコントロールして歌うので、そもそもかける必要がないんですよね。
──コンプをまったくかけないと、Aメロはボーカルが小さいのにサビでバーンと大きくなって、その結果音が歪んでしまう危険がありそうですが。
宇多田さんはAメロで静かなトーンで歌っていても、声量は大きいんですよ。なのでサビでレベルが突き抜けるほど大きくなるということもなく一定の音量でくるので、エンジニア的には録りやすくて本当に助かりますね。
──マイクに同じ音量で入ってくるということは、昔ながらのボーカリストのように、歌っている途中でマイクに角度を付けたり、体をそらして距離を取ったりして歌っているんでしょうか?
宇多田さんに関してはすごく動いている感じはしないので、純粋に声の出し方で調整しているんだと思いますね。
──ちなみに宇多田さんの歌録りには、どのような機材を使っているんでしょう? 個人的には「NHK紅白歌合戦」に出演したときにも使っていたTELEFUNKEN ELA M251のイメージが強いですが。
基本的には本人私物のELA M251を使っていて、ほとんどそれで録音していますが、曲によって違うマイクを提案することもあります。プリアンプはNEVE 1073を使うことが多いです。ELA M251は高域の抜けがよいエアリーな音のマイクなので、中域の張りや艶が欲しくなるんですね。なので中域を補うためにNEVE 1073との組み合わせで使っています。マイクもそれぞれキャラクターがあれば、プリアンプにも個性があるので、この2つを組み合わせることによって欲しい音を作ってます。
──ほかに歌録り用でお気に入りの機材はありしますか?
スタジオにNEVEがあれば使うこともありますし、NEVEの創設者であるルパート・ニーヴ氏が立ち上げた新しいブランド、RUPERT NEVE DESIGNS製のプリアンプを持っているので、それを使うこともあります。ハイファイ系の音が欲しいときにはMILLENIAを使うこともありますし。特にどれがお気に入りというのはなくて、あくまでボーカリストの声や曲に合った機材をその都度選んでいます。
理想のエンジニア像
──小森さんはアシスタントエンジニア時代も含めてたくさんのエンジニアの方の仕事を見てきたと思いますが、印象に残っている人はいますか?
宇多田さんの「Fantome」(2016年9月発売。「Fantome」の「o」はサーカムフレックス付きが正式表記)のレコーディングでロンドンに行き、スティーヴ・フィッツモーリスの仕事ぶりを見たのが一番印象的でした。エンジニアリング自体はオーセンティックなんですけど、完成形を見据えて、最初からそれに近い音でちゃんと録るということを徹底していて。すごく仕事が丁寧で、例えばドラマーがドラムセットに座った時点でもうマイクのセッティングは済ませてあるんですよ。事前にアシスタントに叩かせてレベルとかフェイズとか全部合わせてあって。
──日本だとドラマーが来てから調整しますもんね。
そうですね。日本の場合、ドラマーの方が自分のドラムセットを持ってくるのに対し、向こうはスタジオに備え付けのドラムで録るという違いにもよるとは思うんですけど。でもセッション自体も時間がゆっくり流れていて、1つひとつの仕事が本当に丁寧でしたね。
──小森さん自身はほかのエンジニアをチェックをするほうですか? またその人のやってることを参考にすることはありますか?
好きなエンジニアはたくさんいるので、その人たちのミックスは常にチェックしてますね。ヒットチャートにたくさん曲を送り込んでいるような人だとマニー・マロクィンや、ブルーノ・マーズやアリアナ・グランデをやってるセルバン・ゲニアなど。個性的なところではトム・エルムハーストも好きですね。そういう人たちの作品を聴いて、どうやったらこういう音になるんだろうと試行錯誤することもあれば、最近はネットに動画が上がってることもあるのでそれを観たりして。あと、チャド・ブレイクが使ってる歪み系のエフェクターは必ず買うという自分ルールがあります(笑)。
──ご自身ではどんなエンジニアになっていきたいですか?
今挙げた中だと2つのタイプがあって、マニー・マロクィンは楽曲やアーティストによってサウンドをガラッと変えて、でもどれもすごくいい音してるというタイプ。逆にトム・エルムハーストは自分のカラーを持っていて作品にも彼自身の音が表れるタイプ。どっちもできたらカッコいいなというのが理想なので、シチュエーションに応じて両方できるようなエンジニアになりたいですね。
小森雅仁
1985年2月生まれ。バーディハウスを経てフリーランスのレコーディングエンジニアに。米津玄師、小袋成彬、Yaffle、Official髭男dism、高岩遼、iri、世武裕子といったアーティストのミックスを手がけるほか、宇多田ヒカルの作品ではボーカルレコーディングを担当している。
取材・文 / 中村公輔 撮影 / 星野耕作