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『同期のサクラ』&『ミス・ジコチョー』キーワードは“忖度” 令和のスカッと系ヒロインが伝えるもの

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 『同期のサクラ』(日本テレビ系)で高畑充希が演じる主人公・北野サクラ。故郷の島に橋を架けるという夢を抱いて大手ゼネコンに入社したサクラは、ストレートな言動で周囲との軋轢を生むが、その純粋な熱意で周囲の人々を動かしていく。

参考:『同期のサクラ』自暴自棄となり全てを失った高畑充希 じいちゃんの“最後の言葉”にどう応えるのか

 『ミス・ジコチョー~天才・天ノ教授の調査ファイル~』(NHK総合)の天ノ真奈子(松雪泰子)は「私、失敗しちゃった」が決め台詞の工学部教授。マイペースで「失敗」が大好物という性格で周囲をイラつかせつつも、事故調査委員として企業の不正や医療事故の真相を明らかにする。

 今期ドラマのヒロイン2人の共通点は忖度しないこと。「忖度」とは「他人の気持ちを推し量ること」を意味する。空気を読んで行動することが求められる日本社会だが、忖度が話題になって以降、会社や人間関係のあり方も見直されつつある。そんな風潮を反映してか、ドラマにも従来にはない主人公が次々と登場。最近では『これは経費で落ちません!』(NHK総合)や『わたし、定時で帰ります。』(TBS系)で、職場のしがらみや慣習にNOを突き付ける女性が注目を集めた。

 型破りなヒロインが登場するドラマといえば、『ドクターX』シリーズ(テレビ朝日系)の大門未知子(米倉涼子)や『花咲舞が黙ってない』(日本テレビ系)の花咲舞(杏)がよく知られる。いわゆる「スカッと系ヒロイン」の彼女たちを時代の要請と言うことは比較的容易だ。不祥事が相次ぐ日本列島で、本音で語る役割を男性でなくフレッシュなヒロインに担わせたと考えることもできるだろう。サクラと真奈子も彼女たちの系譜に連なる存在だ。ただ、女版「水戸黄門」のような大門未知子や、会社組織の一員として職務にまい進する花咲舞に比べると、その「スカッと」ぶりは異なるベクトルを向いている。

 1話で1年を描く『同期のサクラ』でサクラたち同期が花村建設に入社するのは2009年。リーマンショックの影響で株価がバブル崩壊後最安値を記録した直後であり、東日本大震災の2年前で「忖度」という言葉も広く知られていない時期だ。入社式でサクラは社長(西岡徳馬)のスピーチに意見を述べ、新人研修でも他の班が社長のご機嫌取りをしていることを指摘したことで、入社早々人事部預かりになってしまう。その後も忖度なく行動した結果、窓際部署への異動や関連会社出向を命じられ、あげくの果てに故郷の島に橋を架ける夢を断念することになる。

 組織のしがらみを前に自らの信念に従って敗れるサクラの姿を見ていると、忖度するほうが正解と考えそうになる。しかし、『同期のサクラ』が本当に伝えたいことは別のところにある。サクラの夢は3つあるが、故郷の島に橋を架ける以外の2つは「一生信じ合える仲間をつくること」、「その仲間とたくさんの人を幸せにする建物をつくること」だった。第7話で、故郷の島民にサクラは「2番目の夢はかないました。3番目の夢はいつかかなうと思います」と語る。当初、杓子定規なサクラをうっとうしがっていた同期たちは、いつの間にかサクラを誰よりも理解する仲間になっていた。それはサクラが忖度なく彼らに向き合い相手のために心を開いてきたから。情報過多でうわべだけの関係になりがちな現代において、もっとも得ることが難しい「信じ合える仲間」をサクラは手にしていたのだ。

 『ミス・ジコチョー』で真奈子の忖度しない姿勢は、徹底して真実究明に向けられている。真奈子が失敗を愛するのは、そこに成功の種があることを経験的に知っているためだ。必然的に真奈子の思考は未来を向く。第3話で、真奈子は助手の野津田(堀井新太)に自身の代理として事故調査委員会に出席するよう依頼する。他の委員は、野津田が提案した仮説を「君はあくまでアシスタント」と言って取り上げようとしないが、真奈子は「彼に一任した」と全面的に承認。その裏には、野津田に、かつて勤めていた空調機械メーカーでの失敗を自らの手で挽回させようとする意図があった。

 事故のほとんどはヒューマンエラーに起因すると言われる。その原因を見過ごしたり、隠ぺいするのは人間だ。忖度しない真奈子の態度の根底には、「機械も人間も失敗をゼロにはできない」という考えがある。「失敗を認めず頭ごなしに非難するのではなく、失敗から回復できる力や環境をつくることが大きな失敗を防ぐ」という言葉には、どうすれば人間同士が共存していけるかという問題意識がある。

 サクラや真奈子が示しているのは、単純な正義や公平感の先にあるものだ。「私、失敗しないので」という大門未知子に対して、真奈子は失敗から得られるものに目を向け、忖度しないサクラは一生ものの友情を手にする。巨悪をぶった切るだけでは本当の問題は解決しないし、いくら組織を変えても自分の周りに目をやれば何ひとつ変わっていないという現実を振り返ったとき、何が本当に大事かという本質的な価値観に目をやっているのだ。令和の「スカッと系ヒロイン」に私たちが共感してしまうのは、そのまっすぐな視線の奥に人間に対する眼差しを見ているからではないだろうか?

※西岡徳馬の「徳」は旧字体が正式表記

■石河コウヘイ
エンタメライター、「じっちゃんの名にかけて」。東京辺境で音楽やドラマについての文章を書いています。