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中森明夫が『あまちゃん』を徹底解説 NHK朝ドラ初のアイドルドラマはなぜ大成功したのか?

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リアルサウンド

 80年代より活躍するアイドル評論の第一人者・中森明夫氏は、ドラマ『あまちゃん』にいち早く反応し、批評性に富んだツイートを連日行って大きな話題を呼んだ。『あまちゃん』を“NHK朝ドラ初のアイドルドラマ”と評する中森氏は、同作をアイドル史の中にどう位置づけるのか。ヒロイン天野アキを演じた能年玲奈に、どのような可能性を見出したのか。さらには、80年代を代表するアイドルだった小泉今日子や薬師丸ひろ子への評価や、当代一のグループアイドルAKB48と『あまちゃん』の関係は――。リアルサウンドでは、聞き手に気鋭のアイドル専門ライターの岡島紳士氏を迎え、3回にわけてインタビューを掲載する。

――『あまちゃん』が最終回を迎えたばかりということで、まずはざっくりとした感想から聞いていきたいのですが、そもそも中森さんが観始めたきっかけとは?

中森:もちろん能年玲奈です。アイドルブームが盛り上がっている中で、昨年末に「次にブレイクする女性タレント」というテーマの取材がものすごく来て。代表的なのが『女性自身』の正月号だったのですが、そこで1位に能年玲奈を推したんですよ。ちなみに、2位が橋本愛、5位が有村架純だったので、“預言者”なんて言われてます(笑)。いずれにしても、僕は能年玲奈が目当てだったから、『あまちゃん』が数字をとれなくても、全然よかったんですけどね。

――僕も去年初めに雑誌のブレイクアイドル企画で能年玲奈、剛力彩芽、三吉彩花らの名前を挙げていました。

中森:いまでこそ、みんな「『あまちゃん』はヒットすると分かっていた」なんて言いますけど、そんなことないと思うんですよね。NHK連続テレビ小説の前作『純と愛』だって、脚本を『家政婦のミタ』の遊川和彦さんが手がけ、主演の夏菜もフレッシュな魅力で話題になった。それでもひどく不評だったんです。宮藤官九郎にとってはアウェイな状態からのスタートになったし、もともと夜のサブカルドラマで徐々に人気を広げていくようなタイプの人だから、実際は「日本中のお年寄りが観るような保守的な枠で、なにができるんだ?」と懐疑的な人が多かったと思います。

 ところが、僕のようにキャストが目当ての人、あるいは小泉今日子など80年代アイドルが好きな人だけじゃなく、想像以上に多くの人が楽しむようになって、数字はうなぎのぼり。これだけ話題を呼んだ朝ドラって、前代未聞なんじゃないですか。

――中森さん自身は、どこで「このドラマは来る!」と確信しましたか?

中森:前半で、地元の美少女・足立ユイちゃん(橋本愛)がトンネルに向かって「アイドルになりたい!」と叫んだところですね。主役の天野アキ(能年玲奈)が東京に行ってアイドルになる……という展開は分かる。ただ、それだけではあくまで朝ドラの範疇だったでしょう。地元の美少女・ユイちゃんがバンと叫んだところで、初めて「これはアイドルのドラマなんだ」と確信したんです。

――そうですね。あのシーンでアイドルというモチーフが物語に深く根を張って、がぜん面白くなったと思います。あらためて、『あまちゃん』をアイドルドラマとして分析すると、どこが優れていたのでしょうか?

20131008-nakamori-02.JPG能年玲奈の魅力を熱く語る中森明夫氏

中森:まず非常に面白いと思ったのは、小泉今日子・薬師丸ひろ子という80年代を代表する2大アイドルの初共演。そして、いま一番フレッシュなアイドル女優である能年玲奈・橋本愛と、「2世代のアイドル」が出演し、幅広い層に訴えたことです。「なんてったってアイドル」でアイドルの代名詞になった小泉今日子が、“アイドルになれなかった主婦(天野アキの母、春子)”としてキャスティングされているのも面白い。「なぜ彼女がアイドルになれなかったのか」という謎が物語を引っ張っていく。薬師丸ひろ子が演じる鈴鹿ひろ美の影武者歌手だったというのが分かってきて、それがアキの出生にもつながっているという構造も秀逸です。

 もうひとつ大きいのは、春子の若いころのエピソードです。有村架純ちゃんが演じていて、これがかつてのキョンキョンにそっくり。彼女は影武者ではなく「潮騒のメモリー」を自分名義で出させてほしいと願い出るが、結局は挫折し、アイドルへの夢を完全に絶たれてしまう。そして、その回が放送された日に、現実に天野春子名義で、小泉今日子が歌う『潮騒のメモリー』がリリースされるという発表がありました。ドラマの中で叶わなかった彼女の夢が、現実で実現する。この曲は着うた配信で多くのアイドルをおさえて2週連続1位になったし、作中に出てくるGMT47の『暦の上ではディセンバー』はベイビーレイズが“影武者”として歌ってヒット。これらの曲を収録した『あまちゃん歌のアルバム』は、NHK朝ドラ関連のアルバムとして初めて、オリコン週間ランキングで1位になりました。アイドルをテーマにしたドラマからフェイクアイドルが次々と登場し、現実でヒットを飛ばす――ここが一番画期的なところでした。

――これまでも、ドラマの役名でCDがリリースされることはありました。

中森:菅野美穂が蓮井朱夏名義でリリースした「ZOO ~愛をください~」(フジテレビ系ドラマ『愛をください』)、沢尻エリカがKaoru Amane名義でリリースした「タイヨウのうた」(TBS系ドラマ『タイヨウのうた』)などがそうですね。ただ、ひとつのドラマからこれだけ多くの曲が生まれて、紅白歌合戦の1コーナーができてしまいそうなほどのムーブメントを起こしたのは『あまちゃん』だけです。ドラマから生まれたフェイクアイドルの曲を普通に街の女の子たちが歌っているというのは、スゴいことですよ。

――そもそも、アイドルをテーマにしたドラマでヒットしたものは、これまでにあったとお考えですか?

中森:中山美穂主演の『ママはアイドル』(1987年、TBS系)は変則的な内容だし、平山あやが主演した深夜ドラマ『はるか17』(テレビ朝日系、2005年)は、原作のコミックで描かれている枕営業みたいな裏の部分を描き切れず、リアリティがなかった。『IDOLM@STER』をはじめ、アニメやゲームではヒット作があるものの、実写ドラマの成功例はなかったんです。それが、NHKの朝ドラでこれだけ大成功するというのは、単純に驚きです。

――『あまちゃん』のヒットを受けて、これから類似した作品も出て来るかもしれません。

中森:アイドルシーンの盛り上がりにもつながるでしょうし、僕は大歓迎ですね。僕にもアイドル小説を書きませんか、という依頼が来ているし、『桐島部活やめるってよ』の朝井リョウさんは実際に執筆中だそう。『あまちゃん』がアイドルコンテンツの幅を広げる作品になったことは間違いありません。

――あらためて『あまちゃん』がここまで成功した理由を分析すると、どうなりますか?

中森:ひとつ言えるのは、アイドルドラマというジャンルとして“機が熟していた”ということがあると思います。アイドルにはさまざまな定義がありますが、70年代の南沙織から始まったと考えると、40年という歴史の厚みができている。実際、僕らのように70年代のアイドルを見てきた世代は50代になり、社会の中核層になっています。そう考えると、朝ドラでテーマになってもおかしくない。

――なるほど。『あまちゃん』では、さらに多くの世代が楽しめるように3世代にわたる物語にするという工夫も見られますね。

中森:また、このドラマでは1984年という年がキーになっています。オープニングで春子がアイドルになるために家出をした年で、84年で時間が止まった春子の部屋に、アキが住むことになる。そこには松田聖子や吉川晃司のポスター、なめ猫なんかも飾ってある。まさに宮藤さんの青春時代で、同時を見てきた世代からすると本当に懐かしく思えます。アイドル史に位置づけるなら、その後の90年代はまさに冬の時代で、モーニング娘。が登場するまではアイドルシーンはパッとしなかった。そのモー娘。が失速し、ゼロ年代の終わりにAKB48やPerfume、ももいろクローバーが出てきて、再び盛り上がり始めたという流れです。

 アキちゃんやユイちゃんがどうやってアイドルになっていくかというと、鉄道オタク・アイドルオタクが彼女たちを発見し、インターネットに発表することから始まります。ローカルアイドルがネットでファンを獲得していくというのは、実際に90年代の半ばくらいからあって、ここ10年くらいの“地元アイドルブーム”をリアルに落としこんでいる。もちろん、岩手県の「かわいすぎる海女」として、大向美咲さんが地元アイドル的にブレイクしたことも踏まえています。歌謡番組全盛の80年代から、インターネットで地方も巻き込んだ現在のアイドルブームまで、この30年くらいの動きをすべて取り込んでいるのは、たいしたものです。宮藤さんは2年前までAKBのメンバーをひとりも知らなかったという人だから、アイドルについて相当勉強したんだと思います。

――『あまちゃん』ってディティールの甘い部分がわりとあると思います。僕の立場的には現状のアイドルを描くのにSNSが使われてないとか、アイドルオタクの描写が80年代でストップしているとか。ただそんなディティールはドラマの本質には全く関係なくて。「能年玲奈が可愛い!」ということだけが本質だと、僕は本気で思っています。そして中森さんも、単純に“能年玲奈のかわいさ”が、『あまちゃん』が成功した大きな要因だと考えています。これにつながりそうな話として、中森さんは「多くの人が“アイドル映画の見方”を分かっていない」とも指摘していますね。

中森:僕はかわいい女の子が出ている映画を観るのが趣味で、『サブラ』(2010年に休刊)という雑誌で3年近く「美少女映画館」という連載をしていました。第一回目に取り上げたのは夏帆が主演を務めた『天然コケッコー』(2007年)。新宿武蔵野館で観たのですが、ロビーに映画評の切り抜きが貼ってあって、それを読むと朝日新聞の沢木耕太郎さん、日経新聞の中条省平さんなどが「大きな事件が起こるわけではないが、それがいい。かけがえのない日常と自然の中での輝きが……」みたいなことを書いていた。本当に愕然としました。えっ、夏帆がかわいいって書いてないじゃん!?って(笑)。何も起こらない日常? はあ? 夏帆がかわいいのは大事件でしょう。そこに、わざわざ映画館に行って金を払って観る価値があるんだから。

――スクリーンの大画面で夏帆を観る。

中森:小さな村に住む主人公の右田そよ(夏帆)と、東京から転校してきた大沢広海(岡田正大)の恋愛が軸になった話なんですけど、この作品はまさしく夏帆をかわいく見せる「少女映画」です。学校は少女をかわいく見せるための装置であり、夏帆は卒業式の日、黒板にキスをする。これは夏帆と岡田将生のラブストーリーじゃなくて、学校とのラブストーリーなんです。男が映画館の暗闇の中でじっと見つめていているわれわれだけが、そのキスを受け止める権利がある……そんなことを書きました(笑)。

 『恋空』(2007年)も見事なまでの「少女映画」ですね。ケータイ小説らしく、新垣結衣演じる田原美嘉が三浦春馬演じる彼氏の元カノの知り合いにレイプされたり、最終的には彼氏自身ががんで死んでしまったりと大きなことがたくさん起こる。映画はガッキーが電車に乗って旅をしているシーンで始まり、そこから回想に入って、再び電車に戻るという構成で、最後にミスチルの「旅立ちの唄」が流れるんですけど、彼女が電車を降りると、家族が迎えに来ている。つまり、どこにも旅立っていないんですよ。どんなにひどいことがあっても、決してガッキーに傷がつかない。でも、ガッキーがガッキーとして出演したいい映画って、これ以外にあまり思いつかないんですよね。

――そして、『あまちゃん』もその流れにあると。

中森:ゼロ年代の少女映画は、宮崎あおいと蒼井優から始まり、長澤まさみの『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)、沢尻エリカの『パッチギ!』(2005年)などがあって、『フラガール』(2006年)あたりがピークだった。この世代がアイドル映画から卒業して、この数年でやっと出てきたのが『桐島部活やめるってよ』(2012年)の橋本愛であり、能年玲奈なんです。そこで生まれたのが『あまちゃん』だった。

――GMTの子もそうだし、『あまちゃん』は期待の“若手女優大集合”な作品でもありますね。舞台装置が能年玲奈をかわいく見せるために存在しているのも、「アイドル映画、アイドルドラマ」的です。

中森:能年玲奈もいいですけど、橋本愛との組み合わせですよね。東日本大震災がどう描かれるか、というのも視聴者の関心事になりましたが、作中で震災に遭うのは東京にいるアキ――能年玲奈でなく、ユイ――橋本愛だった。宮藤さんもそうとう悩んだそうですが、被災地の様子はほとんど描かれていない。唯一の描写は、列車がトンネルの中で止まり、ユイちゃんがトンネルから出て、震災の惨状を目撃するシーン。あれはドラマ史に残る名シーンだと思います。実際に何が起こっているかは描かれないが、橋本愛という少女の瞳の中には震災が映っている。この演出は本当にスゴい。

 震災をきっかけにユイちゃんは決定的に変わりますが、アキちゃんは変わりません。変わらないし、変わってはいけない――それが、宮藤さんが持っているアイドル観なんじゃないかと思いました。

20131008-nakamori-03.JPG左・岡島紳士氏/右・中森明夫氏

――そのアイドル観は、中森さんにとっても納得の行くものですか?

中森:ひとつの考え方だと思うし、それを貫いたのは立派だと思います。女の子の成長記であるNHKの朝ドラで、変わらないヒロインという新しいスタイルを作ったのもスゴい。ただ僕は、宮藤官九郎ではなく能年玲奈を見ているので、彼女自身の変化に注目しています。杉本哲太さんが、1ヶ月ほどのインターバルのあと、能年玲奈にあったら、「顔が変わっていた」と言う。実際、初回から観直してみると変化が分かります。年齢的に変わりやすいということもあるし、それ以上に、彼女は急速に女優としての変化を身につけている。変わらない女の子のドラマなのに、能年玲奈自身は変わってしまっているんです。続編のためのラストを書き換えさせられた、なんて話もありますけど、『あまちゃん2』はなくてもいいんじゃないか、というのが僕の考えです。
第2回「国民作家の地位は、宮崎駿から宮藤官九郎へ」中森明夫が論じる『あまちゃん』の震災描写に続く
(インタビュアー=岡島紳士/写真・文=編集部)