衝撃の訃報から4年 今こそ振り返る、加藤和彦の功績
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2009年10月、「加藤和彦、軽井沢のホテルで自死」というニュースが日本中に流れてから、そろそろ4年の年月が経つ。「世の中は音楽なんて必要としていないし、私にも今は必要もない。創りたくもなくなってしまった。死にたいというより、むしろ生きていたくない」。遺書に残されていたそんな加藤の言葉は、しかし同じ遺書の最後に記されていた「どうか、お願いだから騒がないで頂きたいし、詮索もしないで欲しい。ただ、消えたいだけなのだから…」という言葉を尊重してのことだろうか、現在に至るまで深く検証されてこなかったように思う。

本書『エゴ~加藤和彦、加藤和彦を語る』(SPACE SHOWER BOOks) は、死後にいくつか刊行された追悼本や研究本とは違って、今から20年前の1993年、単行本の刊行のために数度にわたって行われた約10万字のインタビューをまとめたものだ。結局その単行本は、加藤が当時の妻である安井かずみの看護に専念するため、そしてそれによって当時予定されていたセルフ・カバー・アルバムの企画が中止されたため、連鎖的に制作が中断されたままになっていた。
昨年3月にNHKで放映された、安井かずみの闘病生活を題材としたドラマ『優雅な生活が最高の復讐である』(NHK BS)。今年2月に刊行されてロングセラーとなっている、『安井かずみがいた時代』(著・島崎今日子/集英社)。自殺の衝撃から時間が経過することによって、音楽家・加藤和彦の功績がフラットに語られるようになることを期待していたが、逆に時間が経てば経つほど私人・加藤和彦の方に焦点が当てられる(しかも安井かずみの脇役として)機会が増えてきた。そんな中、本書が20年の時を超えて刊行されたことの意義は決して小さくない。
アメリカ文化に囲まれていた少年時代、ザ・フォーク・クルセダーズでのメガサクセス、現地で浴びたヒッピー文化の洗礼、サディスティック・ミカ・バンドの内幕、ソロアルバムの制作秘話。そして、同時代を生きてきたはっぴぃえんどやYMOの面々との、本人にしか語り得ない関係とその距離感。ある時代までの加藤は、彼らの常に一歩先にいた。しかし、彼の根っからの自由な精神が、音楽家として同じ場所にずっと留まることを許さなかったのだ。本書を読めば、次世代の音楽ファンの間ではっぴぃえんどやYMOのことが言及される頻度に比べて、いかに加藤和彦の功績がないがしろにされてきたかに気づくだろう。
インディペンデントな活動、自主レーベルの設立、ライブにおける本格的なPAの導入といった当時の日本の音楽シーンにおける革命的な出来事から、レコードのクレジット表記の仕方やレコーディングスタジオのブロック(同じスタジオを長期間おさえること)まで。音楽そのものだけでなく、音楽活動の形態においても、加藤和彦は真のパイオニアだった。それと同時に、過去の成功体験やメンバーとの関係に驚くほど無頓着な音楽家でもあった。その無頓着さが、後年の不遇時代につながってしまったのかもしれないが。
「僕は自分の中の日本人とかないの。喪失じゃなくてもとからないの〜だから、はっぴいえんどが日本的テーマを選ぶのと、僕ら(ミカ・バンド)がわざと日本的テーマを選ぶっていうのは、一見同じだけど、実はまるで裏返し」。
70年代初頭に巻き起こった内田裕也(本書にも登場する)とはっぴぃえんどの日本語ロック論争については、現在もしばしば振り返られることがあるが、その両極の真ん中に加藤和彦という大きな存在がいたことに、あらためて思いを馳せてしまう一節だった。
■宇野維正
音楽・映画ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌などの編集を経て独立。現在、「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「BRUTUS」「ワールドサッカーダイジェスト」「ナタリー」など、各種メディアで執筆中。Twitter