今や「モテる40代」の代表格!? 斉藤和義が再ブレイクしているワケ
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斉藤和義がデビュー20周年を迎え、例年に増して精力的に活動している。
今年の夏には、初のアリーナツアー「斉藤和義 20th Anniversary Live 1993-2013″20<21″~ これからもヨロチクビ ~」を行った斉藤和義。この秋、10月26日からは「KAZUYOSHI SAITO LIVE TOUR 2013-2014」を開始、全国55都市62公演という、斉藤和義にとっては史上最長、最多公演となるワンマンライヴツアーで、約14万人を動員予定である。10月23日にはニューアルバム『斉藤』と『和義』をリリース、同日には自身初となるエッセイ集『斉藤和義本』も発売される。テレビ出演にも積極的で本日、9月27日に放送の『ミュージックステーション3時間SP』(テレビ朝日)では、奥田民生とセッションし、斉藤和義の代表曲のひとつ「歌うたいのバラッド」を披露する予定だ。
現在47歳で、すでにベテランミュージシャンと呼べる年齢に差し掛かった斉藤和義だが、その勢いは衰えていない。それどころか、最近はメディアへの露出が増加し、新たなファンも獲得しているようである。
いったいなぜ、斉藤和義は今のタイミングで再び上昇気流に乗ったのか。日本のロックミュージシャンに詳しい、音楽ジャーナリストの柴 那典氏はこう分析する。
「斉藤和義さんの人気をさらに加速させたきっかけは、2011年に放送されて大ヒットしたドラマ『家政婦のミタ』(日本テレビ)です。エンディングテーマ『やさしくなりたい』を歌ったことが再ブレイクの一要因であることは確かでしょう。昨年の2012年には紅白歌合戦への初出場も果たしました。もっと根本的な話をすれば、斉藤さんはこれまでもコンスタントにヒット曲を出してきた、マイペースなキャリアのミュージシャンなんですよね。斉藤さんの同年代には、キャリアを重ねて円熟しつつも売れ続けているミュージシャンが多いのですが、例えば奥田民生さんや吉井和哉さん、トータス松本さんなどは、それぞれユニコーンやTHE YELLOW MONKEY、ウルフルズといったバンドを経験して、ソロとしての活動を始めて……という流れを汲んでいて、音楽活動に緩急があります。でも、斉藤さんはそうじゃない。基本的にはギター一本で、大きくスタイルを変えることなく全盛期を更新していくような道を歩んできました。CM曲になった『ずっと好きだった』もそうだし、ミタの『やさしくなりたい』もそうですが、時代ごとに印象的なタイアップを獲得しているのも大きいでしょう」
つまり、最近のブレイクは、ブレずに同じことを続けてきて、全盛期を“更新”したということだろうか。
「創作面での変化も、ファン層を拡大した理由かもしれません。2009年に忌野清志郎さんが亡くなりましたが、斉藤さんはその影響を強く受けていると思われます。2009年に発表した『月が昇れば』というアルバムには「Phoenix」という楽曲が収録されているのですが、それはまさに忌野清志郎さんに捧げられた曲でした。2011年に東日本大震災が起きてからは、自身の楽曲である「ずっと好きだった」を替え歌にした「ずっとウソだった」という反原発ソングを歌っています。これは単に反原発というよりも、忌野清志郎さんが生きていたらどうするか、というのを意識して作った楽曲ではないかと。忌野清志郎さんは反骨精神だけではなくユーモアがあったし、飄々としたキャラクターで沢山の人に慕われてきました。斉藤さんは、その意思を継いでいこうと思っているのかもしれません」
斉藤和義の特徴として、若い世代、とりわけ女性ファンを多く獲得していることが挙げられる。
「言い換えれば、ファンが一緒に歳をとっていないんです。忌野清志郎さんがRCサクセション世代だけではなく、あらゆる層の音楽ファンから愛されたように、これから10年の斉藤和義さんがさらにファン層を広げていく可能性はありますね。新しいアルバムの『斉藤』と『和義』には、そんな斉藤さんの二面性がよく表れています。『斉藤』のほうはシングル曲中心のパブリックなもの、『和義』のほうは、セルフプロデュース曲やコラボ曲を中心とした野心的なもの。そういった斉藤さんの挑戦的な姿勢は、若いリスナーやミュージシャンにとっては“カッコイイ40代”のロールモデルとして映るのではないでしょうか」
飄々とした風貌で作品を作り続けながら、新しいチャレンジを随所に盛り込んでいく。その姿勢が、今の“斉藤和義=40代最強モテミュージシャン説”を生んだのかもしれない。
(文=編集部)