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『シン・ゴジラ』脚本から見えた“もう一つの物語” 『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』徹底考察

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リアルサウンド

 第90回『キネマ旬報』ベストテンが1月10日に発表された。2016年の日本映画ベストワンには『この世界の片隅に』(16年)が選出され、監督賞には同作を監督した片渕須直が選ばれた。ベスト2位に選出された『シン・ゴジラ』(16年)の庵野秀明監督は脚本賞を受賞。片淵監督は『魔女の宅急便』(89年)で演出補を務め、庵野監督は『風の谷のナウシカ』(84年)の原画担当からプロとしてのキャリアをスタートさせたことで知られているが、奇しくも宮﨑駿と縁深い監督たちが、監督賞・脚本賞を受賞したことになる。

 さて、脚本賞を受賞した『シン・ゴジラ』だが、昨年末に発売された製作資料集『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』(株式会社カラー)に脚本が収録されたことで、活字で目にすることができるようになった。しかも、この大冊には関連の図版、関係者インタビューはもとより、複数の初期プロットから、準備稿、決定稿、完成した映画から採録した完成台本なども収録されており、「脚本で読む『シン・ゴジラ』」とでもいった側面から眺めることができる。特に初期に検討されていたプロットからは、アナザー・バージョンの『シン・ゴジラ』が見えてくる。

『シン・ゴジラ』初期プロットに神山健治の存在

「俺はてっきりあれは神山(健治)の脚本だと思ったわけ。あれはちゃんとポリティカルになってるから」

 メールマガジン『押井守の「世界の半分を怒らせる」。 第94号』(2016年9月1日発行)での押井の発言である。“あれ”とは、もちろん神山健治が企画協力とクレジットされた『シン・ゴジラ』のことだ。なるほど、神山が監督・シリーズ構成・脚本を担当した『攻殻機動隊 S.A.C.』で総理大臣、官房長官や自衛軍をはじめ、中国、米露などの国内外情勢、日米安保、核攻撃、原発、首都圏壊滅などを描いてきただけに、『シン・ゴジラ』の脚本に深く関与していると推測しても不思議はない。

 神山が『シン・ゴジラ』で果たした役割は『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』で明らかにされている。掲載されたメモや7万字におよぶ庵野監督ロングインタビューを参照しながら整理すると、2013年6月に東宝のプロデューサーを交えた最初の企画会議の後、庵野は『G作品メモ(第2稿)』を執筆した。「突如、ヒトにはどうにもできない得体の知れない巨大な存在が日常に現れる」という『巨神兵東京に現わる』(12年)のモノローグにも通じる一文から始まるこのメモは、企画意図や簡単なプロットが書かれているが、「主人公は、官邸付きの若手政治家でいきたい」「子供向けは一切考慮しない」といった映画のコンセプトの根幹が既にこの段階で決定されていることが分かる。庵野は「こういうポリティカル・サスペンスの堅い話は、自分で脚本を書くのが難しいだろうと感じた」ので、「知人の中でこういうのが一番得意そうなのは、神山さんだなと思いオファーしました」と明かす。神山は最初から「核兵器でもあるし原発でもある、そんなゴジラをどう扱うかという話はどうか」と提案し、さらにラストは「ゴジラを石棺で閉じ込めてしまう」というアイデアを出してきたという。

 以降、神山のプロットに庵野らの要望が反映されて稿が重ねられていくわけだが、同書掲載の庵野による『G作品プロットメモ』(2013年10月28日付)は、神山版プロット第6稿までの内容に庵野が全体の流れを整理したものなので、初期構想の全体像が見えやすい。

 太平洋日本近海の原子力潜水艦の事故で幕を開け、海中を移動する巨大生物の存在が確認されると同時にその生物が上陸。政府の対応が間に合ない中、ひたすら首都を蹂躙する生物によって首都機能は麻痺。自衛隊の攻撃も刃が立たず、米軍の攻撃に生物は放射線を吐き、広範囲が破壊、汚染される。生物は都心で活動を停止し、立川が臨時政府となる。各国の思惑が見え隠れする中で核攻撃による抹殺か、活動を凍結させる共生共存かの選択が迫られる。主人公が首相代理になるという役職的な違いを除けば、この段階で完成版とほぼ同じ展開に思えるが、まだ巨大不明生物特設災害対策本部チームも登場しない。原潜事故と巨大生物という始まりからして、『ゴジラ』(84年)の同様のシーンを思い出させるが、この時期から精神的には1作目の『ゴジラ』(54年)を継承しつつ、『ゴジラ』(84年)をプロトタイプとして修正リメイクするという方向性が定まっていたことが分かる。

 この大枠に沿って詳細なプロットが更に書き進められることになるが、神山は自身の企画が動き出したのでプロット第8稿目で離脱し、庵野が作業を引き継ぐことになる。この時期に書かれたものが、庵野・神山の連名で署名された『庵野G/プロット改訂版』(2013年12月27日付)として掲載されている。公安と外国人テロリストの攻防、思想家の老人の謎の死から幕を開けるという『攻殻機動隊 S.A.C.』シリーズの監督らしい始まりだ。主人公は内閣官房副長官となっており、父は総理大臣経験者で政界引退後も強い影響力を持つが、2人の父子関係には確執がある。その父はアクアトンネル崩壊で乗っていた車輌もろとも水没する。

 この『庵野G/プロット改訂版』では、出現した生物が第2形態となって最初に上陸するのが羽田空港となっている。これは、庵野が「怪獣映画で言えば、最初のゴジラの次にすごい」(『マジック・ランチャー』(庵野秀明・岩井俊二 著/デジタルハリウッド出版局)と絶賛する『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』(66年)の羽田空港にガイラが海から上陸するシーンを意識したものだろう。上陸してきた生物の尻尾が、着陸態勢にあった航空機の主翼と接触して浮島の化学工場へ墜落したり、駐機中の燃料満タンの航空機を破壊して大炎上を起こすなどスペクタクル描写が書きこまれており、これは観たかったと思う。

 注目すべきは、ゴジラが何を目的に移動しているかが記されている点だろう。庵野は「ゴジラが何を考えているのか、むしろ人間には分からない方がいい」と主張したが、製作側からは根拠が必要と迫られ、神山が電波に反応してやって来るという設定を考え出す。羽田空港で管制レーダー塔を倒壊させてしまうと生物は進路を変え、東京湾を移動して隅田川へ入り、かちどき橋を破壊して更に上流へと進む。目指す先は東京スカイツリーである。麓で咆哮し、熱戦を吐いてスカイツリーを融解させるという実現していれば凝った映像になったに違いないと思わせる展開が書かれている。

中期プロットは実写版エヴァだった?

 しかし、何より驚いたのは隅田川付近にいたゴジラが霞が関へと移動する手段だ。プロットから引用すると「ゆっくりと身体が変形していく。脱皮して始祖鳥の様な姿となり、飛翔する巨大生物」と書かれている。それを目にした者は「まるで脊椎動物の進化を見ているみたいだ」と口にする。これは庵野の「隅田川沿岸からジャンプして一足飛びに霞が関に着地すれば途中の街を壊さなくていいし、ビジュアルインパクトもあるし、いいんじゃないか」ということで出されたアイデアだが、企画開発チームの大半から反対され諦めたという。しかし、これは『ゴジラ対ヘドラ』(71年)で物議を醸したゴジラの飛行シーンを再構築して成立させようとする果敢な試みにも思える。

 映画で石原さとみが演じた米国大統領特使にあたるヒロインは、この段階では女性官僚である。主人公の説明では「外務省でボスとぶつかって地方に出向中の東大後輩で優秀な女性官僚だ。男だったら最年少で次長になっているやつだよ」と語られる存在である。首都機能を失い、政府首脳の安否が不明の中で主人公は総理代理に就任するが、小松左京の『首都消失』を思わせる味付けが台詞からもうかがえる。「大阪に遷都構想か。知事と関西連合がからむと面倒だな」「皇室が戻られた京都、名古屋あたりも遷都狙いの動きをしている」など、『首都消失』で暫定首都を名古屋に置くまでの各県知事の動きを彷彿とさせる。この時期は皇室の動きも盛り込む予定だったようだが、製作サイドから「近隣諸国の国際情勢については劇中での明言を避けてほしいという要望と、皇室に関しては一切触れてはならない」という厳命があったと庵野は語り、こうした設定は以降の稿には登場しない。

 ヒロインの女性官僚は『新世紀エヴァンゲリオン』の葛城ミサトを思わせるキャラクターだが、和解することがないまま父の死を知った主人公が喪失感に襲われ、義母からの罵倒に精神が崩壊して碇シンジみたいになってしまった時に、「親に嫌われたからって、一国の総理がメソメソしてんじゃないわよ」と彼女が引きずっていくくだりなど、このまま映画になっていれば実写エヴァと言われただろう。

 クライマックスの構成は完成版に近いが、ゴジラへの核攻撃のため、多弾頭長距離核ミサイルが米国、中国、ロシアから発射され、迎撃不能のまま首都に迫る中、ゴジラの頭部が2つ、4つ、最終的に8つへと分裂し、全方位に熱線を吐いて全ミサイルを撃墜するという設定には驚かされる。八岐之大蛇を思わせるゴジラだが、飛翔といい頭部分裂といい既存のゴジラのイメージを覆そうという意欲があふれている。背中が割れて熱線が放出されるという設定も既にここで登場する。

shingojira-3th.jpg映画『シン・ゴジラ』より

 このプロットは翌2014年にかけてもアップデートが重ねられ、庵野の単独執筆による『G作品プロット案修及び同2』(2014年7月7日・9日版)になると、完成版に登場する設定が多く見られるようになる一方で、クライマックスの最終決戦地が新宿高層ビル街になっているのが興味深い。84年版『ゴジラ』と同じ場所を選んだのは、同作でゴジラが新宿副都心の高層ビルに囲まれて為す術もなく立ちすくんでいたことへの庵野の修正リメイク的願望の実現とも言えるのではないだろうか。ここでは高層ビルを次々爆破して倒壊させてゴジラの動きを封じ込めるという、完成版では東京駅に舞台を移して描かれた設定が新宿副都心で展開する。

 ところで、このプロットではラストシーンでゴジラ担当及び復興相を拝命した主人公が就任祝いのカップ麺を基地の屋上で女性官僚と食べるというシーンが書かれているが、これは『太陽を盗んだ男』(79年)で菅原文太と池上季実子が屋上に座り込んで食事するシーンの引用だろう。完成版のラストシーンが同作に登場した科学技術館だったことを思えば、初期プロットから『太陽を盗んだ男』が意識されていたことがうかがえる。
 

フェイク・ドキュメント版『シン・ゴジラ』

 さて、ここまでのプロットは2014年後半に入ると大きく方向を変えて、完成した映画に近いものへと変貌していく。その過程は『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』を精読してもらいたいが、神山版プロットから発展していった初期プロットは、主人公の父との葛藤や、元カノ、博士と娘、公安とテロリストなどエンターテインメント大作に相応しい物語が本篇のドラマ側にも用意されていたが、確かにこれはこれで実現していれば面白いものになっただろうと思わせるものの、アニメーションなら良いとしても、実写でやるとなると、チープにならずにどこまで可能だろうか。上手くいっても『ゴジラVSビオランテ』(89年)のテイストに迫ることができれば御の字だろう。しかも、実写監督としての庵野秀明は、娯楽大作を自在にこなせるタイプではないにもかかわらず、このプロットはかなりの職人的技倆が必要とされる内容なのである。

 庵野が優れているのは、予算規模と自身の能力とを的確に計算し、〈出来ること/出来ないこと〉の線引きが明確なことだろう。2014年3月27日付の『G作品新メモ』で、これまでのプロットを全てひっくり返す紙爆弾を投げたのは、現実的に可能なゴジラ映画へと着地させるための提言だろう。それが『シン・ゴジラ』フェイク・ドキュメンタリー構想である。「邪道にして、王道を目指す」と記されたこのメモは、現状の製作費では、このプロットを映画にしても勝算が見えないとして、全ての画面を二次的な映像(民間人が撮影した携帯などの動画、写真、ニュース画面、報道映像、ネット投稿動画、再現ドラマ映像など)のみで構成するというもので、「所謂人間ドラマではなく、事象のみを点描的に描写していく。官邸内の様子等、一部を再現ドラマとして表現」といった書き込みもある。『クローバーフィールド/HAKAISHA』(08年)よりも更に複眼の視点で多面的に描こうというものだ。この手法ならゴジラを描く10~15分にだけ予算を投入してCGのクオリティを保つ〈ローバジェットの一点豪華主義映画〉が可能という見積もりである。おそらく、庵野監督が撮りたい怪獣映画とは、こうしたものではなかったかと思わせる。

 というのも、これまでも初の商業実写映画となった『ラブ&ポップ』(97年)を、当初はフェイク・ドキュメンタリーとして構想していたからだ。庵野自身も実名で登場し、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(97年)の完成が間に合わなかった裏には、女子高生との援助交際にはまっていたからというスキャンダラスな設定が用意されていたが、出資者が相次ぎ、商業映画として製作することになってからは自らこのアイデアを廃棄し、通常の劇映画として完成させた。それでも家庭用デジタルビデオカメラを駆使してドキュメンタリー的に女子高生たちを撮るなど、当初の意図が映画に色濃く残されている。

shingojira-2th.jpg映画『シン・ゴジラ』より

 結果として、『シン・ゴジラ』フェイク・ドキュメンタリー構想は〈猛反対〉にあって撤回されるが、完成した映画の冒頭で小型船舶に乗り込む海上保安庁隊員によるカメラ映像、海ほたるのシーンで避難する人々が撮影したスマホの映像、その後のシーンでも映画的なアングルよりも再現ドラマに近い画角で撮られたカットが多かったことを思えば、この時の構想が形を変えながらも継承されていたことが分かる。

 2015年1月7日付の『G作品新プロットメモ2』になると、米国大統領特使が登場し、主人公と父とのドラマや恋愛要素も除去されて映画とほぼ同じ形を見せ始める。ここから準備稿、決定稿へと積み重ねられて、巨大生物出現という事態への対処を積み重ねていく状況劇としてのリアリズムを厚くしていく作業が中心となる。決定稿には、米国大統領特使と旧知の駐日米大使館2等書記官との対話があるが、映画からはカットされていることからも分かるように、状況への対処のみを徹底して描いたことが『シン・ゴジラ』を成功させた理由だろう。

 かつて『宇宙戦艦ヤマト』の台詞を丸暗記したことから「専門用語を羅列するのに、僕はなんの苦労もないですから。そういう単語がバーッと出て来る。波動砲の発車過程だけで二分。大砲を撃つだけで二分も描写があるんですよ(略)あれがいまでも役に立ってます」(『庵野秀明スキゾ・エヴァンゲリオン』太田出版)と語ったように、専門用語をリズミカルに配列し、アニメーション監督ならではの秒単位での計算で書かれた台詞や構成を検証する意味でも、脚本で読む『シン・ゴジラ』は映画とは別の輝きを見せてくれる。また大きく形を変えていった最初期のプロットに思いを馳せて、もう1本の『シン・ゴジラ』を活字の上で映写することもできるだけに、『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』は『シン・ゴジラ』の世界を更に奥深く堪能することができる空前の一冊と言えるだろう。

【引用資料】
『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』(株式会社カラー)

■モルモット吉田
1978年生まれ。映画評論家。「シナリオ」「キネマ旬報」「映画秘宝」などに寄稿。

■作品情報
『シン・ゴジラ』
出演:長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ
脚本・総監督:庵野秀明
監督・特技監督:樋口真嗣
准監督・特技統括:尾上克郎
音楽:鷺巣詩郎
(c)2016 TOHO CO.,LTD.
公式サイト:http://www.shin-godzilla.jp/