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「AKB48は、もはやアイドルじゃない!」古き良き”歌謡曲アイドル”はこうして絶滅した

音楽

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リアルサウンド

 1988年から十数年に渡って『NIPPONアイドル探偵団』を編集するなど、アイドル評論の草分け的存在である北川昌弘氏が、40年のアイドル史を振り返りながら現在のアイドルを再定義し、これからのアイドルの在り方を考察する集中連載第一回。

 北川氏の最新刊『山口百恵→AKB48 ア・イ・ド・ル論』(宝島社)では、帯に書かれた「AKB48は、もはやアイドルじゃない!」という刺激的なコピーが目を引く。その真意とは?

 まずは北川氏による”アイドル”定義を明らかにした上で、AKB48に代表されるグループアイドル=GIはその定義とどう違うのかを語ってもらった。

――アイドルウォッチャーとして長年活動されてきた北川さんですが、今のタイミングで単著を執筆した理由は?

北川昌弘(以下、北川):アイドル専門ライターの岡島紳士さんが書いた『グループアイドル進化論 ~「アイドル戦国時代」がやってきた!~』を読んだり、彼らのような若い世代のアイドル研究家のトークイベントに参加させてもらったりしているうちに、今の僕の考え方をきちんと本にしておいた方が良いかな、と思ったのが発端です。というのも、若い人たちと僕の間では、アイドルに対する感覚や考え方が違います。1988~93年は「アイドル冬の時代」と一般的に言われているのですが、その辺の解釈も僕と彼らでは違う。これは一度、ちゃんと説明しようと思ったんです。

――北川さんにとってのアイドルとは?

北川:アイドルとはなにかを歴史的に考えると、まずは映画スターがあって、その後、映画が斜陽になってきたところにテレビが普及してきて、そこからテレビで活躍するひとが出てきました。そこにレコード会社というものが加わって、アイドル歌謡というジャンルが70~80年代に確立されていきます。つまり、アイドルとは、映画スターのようにお金を払って映画館に会いに行く”高嶺の花”ではなく、お茶の間のテレビの中で活躍していて、親しみやすくも手は届かない存在だと思うんです。テレビを通して人を惹きつける存在、というのが僕のアイドルの定義です。ところがAKB48の場合は、テレビにも出るけれど、直接会いにも行けてしまう。そういった部分で、AKB48はかつての歌謡曲アイドルとは本質的に違うと認識したほうがいいのではないかと。僕が「AKB48は、もはやアイドルじゃない」というのは、そういう意味です。

――AKB48も歌謡曲を歌いますが、歌謡曲アイドルではないと。

北川:僕の中で、歌謡曲アイドルの時代は80年代で終わっているという認識です。80年代のアイドル歌謡曲とその後のグループアイドルでは、基本的な構造が変わっています。80年代前半までは、歌謡曲アイドルがテレビに出演するのは、あくまでレコードを売るためのプロモーションでした。アイドルの利益の中心はあくまでもレコードで、テレビとレコード会社の間にはわかりやすい利害関係があったんです。ところがAKB48の場合はテレビにも出るけれど、ベースとなっているのは劇場で、会いに行けることが一番の商品になっています。

――AKB48にとってテレビは最重要項目ではなかったわけですね。

北川:僕が「NIPPONアイドル探偵団」を始めたのは、ちょうど冬の時代に入り始めたくらいなんですけど、僕はその中で歌謡曲アイドルだけではなく、ニュースキャスターやスポーツ選手まで、幅広い女性をアイドルとして扱っていました。僕の定義の中で一番重要なのは、テレビというマスメディアの枠組みの中で活躍しているのがアイドルだ、ということです。テレビを通すからこその距離感が大切です。だからAKB48は、従来の歌謡曲アイドルとはまったく別のものです。

――著書の中で、70年代のアイドルにはどこか暗い影があり、それがテレビを通して魅力に変わっていったと書かれています。

北川:映画と違い、テレビというものは家にあって、スイッチを入れれば基本的に無料で観れるもの。映画スターであれば、お金を払って観に行くのだから、吉永小百合さんのように高嶺の花タイプでなければいけませんが、アイドルの場合は、疑似恋愛の対象にできる親近感も大切です。そして親近感は、あまりにも魅力的で恵まれた環境にある女性よりも、多少大変な思いをしている女性のほうに沸きやすいものだと思います。こういっては語弊もあるのですが、アイドルは幸福過ぎないほうが良いかとも思います。反感を買ってしまう可能性もあるので。たとえば、山口百恵さんは複雑な家庭環境で育ったことをある程度公開したことが、成功の一要素になりました。そういう女性は、応援してあげたくなるんですよね。

――ところで、テレビ時代のアイドルは、グループじゃなくて個人が多かったと記されています。なぜでしょう。

北川:テレビは一人の人の魅力を拡大する装置なんだと思います。少なくとも90年代半ばまでのテレビには、一人の人を一瞬で全国に売り込む力がありました。CMに出して、ドラマに出て、歌謡曲をやってという感じで、視聴者にその人のいろんな側面を見せて、強烈に印象付けることができました。85年の中山美穂さん以降、個人を売るというか、その人の総合的な魅力を売る構造ができたのだと思います。おニャン子クラブなどは大所帯ですが、あれは例外で、帯で長時間の枠を取れていることが成功の要因だったのでしょう。でも、普通はそういう風に枠を取ることができない。だとすれば、その後の宮沢りえさんや広末涼子さんのように、個人をプッシュするのがテレビ的なんだと思います。基本的に、グループで人数が多すぎるのは、みんな同じに見えて覚えられませんから。

――北川さんが定義するような、テレビでの活躍を中心としたアイドルは今後、成立していきますか?

北川:現在は、アイドル業界の変化期なんだと思いますが、流れる方向は見えているんじゃないですかね。テレビは『あまちゃん』みたいに多少は巻き返すかもしれないけど、元には戻らないでしょう。もちろん、テレビを中心にやるアイドル的なひとというものは、音楽以外では基本的に継続すると思うので、アイドル自体が消滅してなくなるという話はないと思います。

 ただ、これは歌謡曲アイドルに限らないのですが、今やグラビアアイドルもイベントをフル稼働していて、女優も舞台を盛んにやっていて、”会いに行ける”という構造はどんどん増えています。だから、テレビの中でしか会えませんという従来的なアイドルは特殊になっていくのでしょう。イベントとかライブとか舞台とかを披露して、ソーシャルメディアを駆使して、その中で少し脚光を浴びた時はテレビにも出ますよ、というのが基本的なスタンスになるのではないでしょうか。

 ファンとの距離が近くなるのは良いことでもあるのですが、下手をすれば勘違いするひとも出てきて当然だし、さらにいえば本当に交際するひとも出てくるのでは、と思いますね。そうすると、さらにエスカレートして、ファンとの交際を容認するようなグループだって出てくるかもしれない。そうすると、キャバクラとなにが違うんだって話になってしまうけど(笑)。

 この状況を否定しても意味はないと思うのですが、もはやアイドルとは別の存在だと。あくまでもテレビでの活躍を中心にしているのが、僕の中での”アイドル”なんです。
(取材・文=編集部)
中編に続く