きゃりーぱみゅぱみゅの音楽はなぜ切ない? 新曲『もったいないとらんど』を徹底解説
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先日、それなりに名の知られている評論家による「きゃりーぱみゅぱみゅで一番クオリティが低い部分って音楽だよね」というツイートをたまたま目にして、心底面食らってしまった。要するに、きゃりーのあのキャラクターやコンセプトやビジュアルやパフォーマンスに対しては“時代のアイコン”として一定の評価をしつつも、それらのクオリティに音楽が追いついてないということが言いたかったのだろう。
確かに、同じ中田ヤスタカ仕事の中でも、新作『CAPS LOCK』でますます我が道を突っ走っているCAPSULEの作品や、アルバムごとに確実に音楽的な進化が刻まれてきたPerfumeの作品に比べると、きゃりーの作品はとりわけエレクトロニカ的な文脈においては、わかりやすい先鋭性に欠けているかもしれない(自分はそう思わないけど)。中田ヤスタカ・ファンの一部でも、きゃりーの作品が軽んじられている傾向を感じることもある。
一方で、最近は同業者のミュージシャンからきゃりーの音楽を賞賛する声を耳にすることも多くなってきた。メディアにも載った一例を挙げると、くるりの岸田繁は2012年のベストソングの一つに『ファッションモンスター』を挙げていて、最近もインタビューの中で「『ふりそでーしょん』を聴くと(中略)凄い元気になるし、毎回泣きそうになる」(MUSICA 2013年11月号)と語っていた。
「元気になる」と同時に「泣きそうになる」。まさに、自分がこれまできゃりーの音楽に心を動かされてきた理由もそこにある。そして、自分は何の迷いもなくこう言える。「きゃりーぱみゅぱみゅの表現活動はすべてにおいてクオリティが高いけど、その中でも一番クオリティが高い部分って、なんだかんだ言ってその音楽だよね」。
「元気になる」という点については、日本中の子供達のきゃりーの音楽への異常なまでの食いつきぶりからも自明だと思うが、「泣きそうになる」というのは、もしかしたらまだ多くの人にとっては無意識下でしか共有されていない感覚かもしれない。でも、自分はきゃりーの音楽を聴いていると、それがどんなに明るいノベルティソングでも、その裏にどうしようもない切なさを感じてしまうのだ。それは、たとえばジャクソン5時代のマイケル・ジャクソンが歌い踊る姿に感じるものに近いかもしれない。あるいは、まだ10代の少女特有の薄幸感と透明感の面影を残していた初期の浜崎あゆみの歌に感じていたものにも近いかもしれない。二十歳でありながら、奇跡のように完璧に子供であり、奇跡のように完璧に少女である、現在のきゃりー。でも、それが完璧であればあるほど、「その瞬間が永遠に続くことはない」ということを強く意識してしまうのだ。
シングル『ふりそでーしょん』やアルバム『なんだこれくしょん』収録の『おとななこども』にもその兆しはあったが、11月6日にリリースされる新曲『もったいないとらんど』は、そんなきゃりーという存在そのものの切なさに、いよいよ真っ正面からフォーカスを当てた曲になっている。「もったいないから もったいないから ボクは夢を描き泣く」。今この瞬間の愛おしさに胸が張り裂けそうになりながら、自分が立っている場所であらん限りの夢を描いて、泣く。まさに現在のきゃりーの心情吐露のような一節で始まるこの曲は、「華やかな街をゆく 明日には消えるキラキラなんて」「街中にキャンドルがきらめく夜 石畳の坂の上から眺める 景色が永遠ならいいのに」「ボクのわずかな期待が パレードの光みたいになったら 思い出と共に残る」と、この瞬間が永遠に続くことを祈りながら、それと同時に現在を未来から懐かしむようなフレーズに満ちている。
今から18年前。現在のきゃりーと同じように、この国の音楽シーンのメインストリームど真ん中で、「僕は思う! この瞬間は続くと! いつまでも」と歌った直後に「本当は分かってる 2度と戻らない美しい日にいると」というフレーズを忍び込ませたのは小沢健二だったが、『もったいないとらんど』から止めどもなく溢れ出てくる切なさは、あの名曲(『さよならなんて云えないよ』)に匹敵するほど。作曲面やプロデュース面と比べて過小評価されているように思える作詞家としての中田ヤスタカのバッキバキの才気については、また機会を改めて書きたいが、彼がこれまで手掛けてきた曲の中でも際立ってエモーショナルなこんな曲が生まれたのも、きゃりーというあまりにも特別な「瞬間の輝き」があってのことなのは、言うまでもないだろう。
■宇野維正
音楽・映画ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌などの編集を経て独立。現在、「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「BRUTUS」「ワールドサッカーダイジェスト」「ナタリー」など、各種メディアで執筆中。Twitter