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「母の遺言書があった」宇多田ヒカルが実父バッシング報道と対決へ

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リアルサウンド

20130905utadahikaru.jpg宇多田ヒカル『This Is The One』(Umgd/Mercury)

 藤圭子(本名・宇多田純子)が西新宿のマンションから飛び降り自殺をして2週間。事件後の親族間の争いや、娘の宇多田ヒカルの動向を伝える報道が過熱する中、宇多田ヒカルが9月5日、自身のホームページ上で報道内容に反論するコメントを発表した。ここでは、各誌の報道内容を振り返りつつ、宇多田が反論に至った経緯をまとめたい。

 藤圭子の実兄をはじめとする親族への取材を成功させ、元夫・宇多田照實氏へのバッシング色の強い記事を掲載しているのが『週刊文春』だ。同誌の8月29日売り号では、藤圭子の訃報の翌日、実兄である藤三郎氏が遺体の安置されている新宿署に駆けつけたが、警察により遺体との対面は拒否されたとの記事を掲載。身元引受人が藤の元夫・宇多田照實氏であることを明かした上で、藤三郎氏は「宇多田君はこれまでも圭子と家族を切り離し、会わせないようにしてきました。圭子が死んでもなお、同じことを続けるのかと絶望的な気持ちになりました」と不満を顕にした。

 また、同誌や『フライデー』8月30日売り号によれば、ロンドンで日本画家の男性と同居していた宇多田ヒカルは急遽帰国。葬儀場となった都内の会館で27日、父の照實氏と2人きりで藤圭子の死を悼んだ。このことに対し、藤圭子の叔母にあたる竹山幸子さんは「宇多田さんとヒカルだけで荼毘に付するなんて、不自然なことだし、納得がいかないわけです」と語っている(『週刊文春』9月5日売り号)。さらに同誌は、芸能関係者の証言として「ヒカルは母親を埋葬して、数日後、お骨を持たずにロンドンに戻ったようです。誰が遺骨を引き取るかはわからない」との証言を掲載。生前、藤圭子が知人に「ヒカルちゃんが私を遠ざけているの」と漏らしていたことにも触れており、藤圭子と宇多田ヒカルの関係も断絶していたのでは、と推測する記述も見られた。

 一方、『週刊新潮』9月5日売り号は、RCAレコードで藤を担当していた元ディレクターの榎本襄氏の「ヒカルのイメージを崩さないようにしたい。宇多田照實さんはそう考えて藤圭子を世間から遠ざけたのだと思っています」とのコメントを掲載。藤圭子が“世間から消えた”晩年を過ごした背景に、宇多田照實氏の意向が働いていたことを示唆した。

 一連の報道を受けてネット上では、照實氏が藤圭子を追いつめ、宇多田ヒカルの利権を独り占めしようしたのではないか、との見方が強まった。そんな中、宇多田ヒカルは9月5日、自身のホームページで「父と離婚後も、母は旧姓の阿部ではなく宇多田姓を名乗ることを希望し、籍も父の籍においたままでした。夫婦だとか夫婦ではないなんてこと以上に深い絆で結ばれた二人でした。亡くなる直前まで、母は娘である私だけでなく、父とも連絡を取り合っていました。父は、母が最後まで頼っていた数少ない人間の一人です」と、照實氏と藤圭子の関係が、報道のように険悪なものではなかったと反論。

 さらに、葬儀を親子2人だけで行ったことについては「母の遺体との面会を希望された方もいらっしゃいましたが、やむなくお断りさせていただきました。この場を借りてお詫び申し上げます。母の気持ちを考えた上での、喪主としての私の判断でした。(中略)遺言書の内容に基づき、出来る限り母の意向に沿うべく精一杯の弔いをしています」と、遺言書があったことを発表すると共に、藤圭子が「葬儀や告別式といったイベントを好むような人ではなかった」ために、故人の意志に沿って葬儀を行ったことを示唆した。

 著名人の死後にはしばしば、親族の証言をもとに“骨肉の争い”を伝える報道がなされる。藤圭子死去後の報道もまさにその一例だが、今回の宇多田ヒカルは当事者として、いち早く反論を行ったことになる。歌手復帰が待たれる宇多田だけに、音楽ファンとしては一連の騒動の早期決着を望みたい。

(文=編集部)