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広瀬すずと松岡茉優は、女優としても対極の存在に 『ちはやふる』出演から3年で驚くべき飛躍

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リアルサウンド

 末次由紀による原作漫画『ちはやふる』最新刊の43巻は、ついに主人公・綾瀬千早とクイーン・若宮詩暢の直接対決という大一番を迎えている。日本テレビ系列で放送されているアニメもやがてそれに追いつくだろう。しかし、実写映画のキャストをもう一度集めてそれを実写映画で描くのは、もしかしたらやはり難しいのかもしれない。実写映画『ちはやふる』の興行収入は三作で約40億円にのぼる大ヒットを記録した。だが、かつてそこに出演した、当時大半が無名だった若手俳優たちは、たった3年でとてつもなく成長してしまった。もう一度スケジュールを調整して集めるのが困難なほどに。

参考:『ちはやふる』場面写真はこちらから

 当時から知名度と人気があった野村周平は、『純平、考え直せ』『WALKING MAN』など、優れた映画への出演を重ね、着実に実力を伸ばしている。当時ほとんど知名度のなかった真剣佑は、綿谷新から名字をとった新田真剣佑と改名し、去年のオリコン写真集販売ランキングで、男性タレントで唯一ランキングするほどの人気となった。矢本悠馬のバイプレイヤーとしての躍進は朝ドラから映画と留まるところを知らない。上白石萌音は国民的ヒットとなった『君の名は。』への声優を皮切りに大活躍、森永悠希は『青の帰り道』『羊と鋼の森』などの映画でその演技力を存分に発揮している。優希美青や佐野勇斗は映画出演で主演やヒロインを堂々と張っているし、清原果耶はまだ高校在学中でやや芸能活動をセーブしている面がありながら、その演技力と存在感で早くも将来の朝ドラ女優を嘱望される存在になっている。

 しかしなんと言っても、この3年間に女優として爆発的な躍進を見せたのは、主人公・綾瀬千早とクイーン・若宮詩暢を演じた、広瀬すずと松岡茉優だろう。3年前、初の主演映画に抜擢された広瀬すずと、(その実力に対して驚くべきことに)まだ主演映画がなかった松岡茉優は、この3年間でもはや芸能界の中でまったく違う存在に「化けて」しまった。『ちはやふる -下の句-』が公開された当時、僕はやや興奮気味に彼女たちの将来性について「10年後の観客は広瀬すずと松岡茉優がかるたで勝負するこの映画を驚きをもって振り返ることになるのではないか」と書いた記憶がある。10年どころか、たった3年でそれは現実になってしまったわけだ。

 2018年5月、『ちはやふる -結び-』の公開がまだ続いている当時、松岡茉優はカンヌでレッドカーペットの上を歩いていた。是枝裕和監督に「各世代で一番上手い役者を選んだ」と抜擢された出演作『万引き家族』は日本映画として21年ぶりに最高賞パルムドールを受賞。その前年末に公開されていた初主演作『勝手にふるえてろ』は、松岡茉優の演技力を知らしめる作品として映画ファンにカルト的支持を集めていたが、樹木希林や安藤サクラとともにカンヌで『万引き家族』の受賞会見に臨む彼女の姿は日本中のニュースで報道され、その存在を広く強烈に知らしめることとなった。

 2018年3月17日にLINELIVEで放送された『ちはやふる -結び- 初日舞台挨拶スペシャル』の中継の中で、小泉徳宏監督は松岡茉優に卒業証書を渡しながら(イベントは出演者への卒業式を模した形式で行われた)、「あなたは自分で思っているよりもっとすごい人です。自分を過小評価しているんじゃないかと思う」という言葉で彼女を励ました。松岡茉優がカンヌでレッドカーペットを歩き、日本中のスポットライトを浴びるその二ヶ月前のことである。

 小泉徳宏監督はまたその場で、松岡茉優が子役からの芸能活動で『ちはやふる -下の句-』で第8回 TAMA映画賞・最優秀新進女優賞ならびに第40回山路ふみ子新人女優賞を受賞するまでほぼ受賞経験がなかったことにも触れ、「あなたに最初の映画賞をあげることができたのを誇りに思う」とも語った。正確に言えば松岡茉優は2015年に第25回 ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 ニューウェーブアワード 女優部門を受賞してはいるのだが、それはその年に新設された新人の将来を奨励する賞で、松岡茉優が小泉徳宏監督に答えたように、「演じた役に対して映画賞をいただくのは初めて」ということだったのだろう。言うまでもなく『ちはやふる -下の句-』以後の松岡茉優は、『勝手にふるえてろ』『万引き家族』で日本中の映画賞を席巻することになる。

 その小泉徳宏監督も最優秀新進監督賞を受賞した第8回TAMA映画賞の受賞式で松岡茉優は「私は、小松(菜奈)さんや広瀬(すず)さんみたいに華のあるタイプではないですが、この中途半端な顔もお化粧をしたり、髪型を変えたりするだけで、けっこう変わるので、最近ではこの顔を気に入っています」という受賞コメントを残した。そのコメントを「松岡茉優、地味顔を自虐」という見出しで報道した記事もあったが、よく読めばわかるようにそれは単なる自虐のコメントなどではない。彼女一流の巧みなソフィスティケーションによって自虐や自嘲、謙遜のオブラートにくるまれてはいるが、それはいわゆる作品ごとに変化する「カメレオン女優」である松岡茉優からの、その場にいた小松菜奈とその場にいない広瀬すずら「スター型女優」に対する「私にはあなたたちにできない変化の演技が可能だ」という自信と自負に満ちた宣言だったわけだ。

 『ちはやふる』において、原作漫画でも映画の中でも、綾瀬千早と若宮詩暢はすべてが対極の存在として描かれる。右利きの千早と左利きの詩暢(そして偶然にも物語の中の2人と同じように、広瀬すずは右利きであり松岡茉優は左利きである)。部活動のチーム戦の中で成長する千早と、孤高の詩暢。それは漫画の中でライバル関係を造形する時の黄金律と言ってもいい。そして松岡茉優と広瀬すずもまた、理論派と直感派という対極のタイプとして語られる女優である。

 今年の春、伊集院光のラジオに『バースデー・ワンダーランド』の宣伝で出演した松岡茉優は、持ち前のトークスキルと頭の切れですっかり伊集院光に気に入られ、「俺も長くないから、深夜ラジオの枠を譲る」と指名された。その時に松岡茉優が返した答えは、(理論派の)伊集院の枠を継ぐのが自分なら、(本能派の)おぎやはぎの枠は広瀬すずが継ぐんだろう、といったものだった。それは自他共に認める理論派と直感派の違いであるわけだ。

 『ちはやふる -結び-』のパンフレットの出演者寄せ書きで、松岡茉優は「詩暢ちゃんとこれからも、生きていきます」と書いている。つい先日、主演映画『蜂蜜と遠雷』で日刊スポーツ映画大賞の主演女優賞に輝いた松岡茉優は、広瀬すずが発掘した新人俳優、鈴鹿央士の才能に驚きながらも、「私の中には詩暢ちゃんや(『問題のあるレストラン』で演じた)千佳ちゃんが教えてくれた気持ちが蓄積してあった」と語った。今やカンヌでレッドカーペットに立ち、若き実力派として映画賞の常連となった彼女には、主演作でもなかった『ちはやふる』はキャリアの中での通過点であってもおかしくない。でもきっと彼女の演技には、今も若宮詩暢が生きているのだろう。

 広瀬すずのその後の躍進については書くまでもないだろう。李相日、三池崇史、坂本淳二という名監督、名脚本家たちと仕事を重ねながら、2019年には朝の連続テレビ小説『なつぞら』(NHK総合)の主演からそのまま野田秀樹主宰の舞台『Q:A Night At The Kabuki』65公演に突入するという離れ業を見せた。とりわけ初舞台が野田地図という、日本の演劇界の頂点の一つに数えられる舞台であることは驚きを持って迎えられた。よく言われることだが映像と舞台はまったく違う。ワンシーンごとに撮影し、失敗してもリテイクが効く映画やテレビの撮影に対して、舞台は一度幕が上がれば何があろうとそのまま終幕までストップはかけられない。役者はすべてのセリフと動きを丸ごと頭に叩き込んで初日を迎えなくてはならないし、生の舞台の上で立ち往生すればそれはそのまま観客の目に晒されてしまう。テレビや映画でトップの人気を持ち、演技力が高く評価される名優であっても、その出演作品に舞台演劇がほとんどないケースは多い。

 ましてや野田地図は、1000人級の劇場で公演を行うにも関わらず、マイクを使わない肉声のみで演じる劇団である。役者の声量が足りなければ、2階席の観客は物理的に台詞が聞き取れないという事態になる。しかも広瀬すずは、朝ドラの撮影のクランクアップからそのまま、準備期間を取る余裕なく舞台稽古に突入することになる。誰にもわかりやすい演技を求められる朝ドラと、時に難解で哲学的な言葉遊びを猛烈な早口で、しかもマイクなしで1000人に届ける野田秀樹の舞台は最も対極にあるスタイルだった。

 成功を危ぶむ声も多かったというか、無残に失敗するための条件がすべて揃っているような状況だったと思う。複数の大手週刊誌は実際に、「広瀬すず朝ドラ後の正念場」「初舞台は成功するか 問われる演技力」という見出しを打って記事を書いた。

 しかしそうした下馬評を覆し、広瀬すずはこの舞台を見事に成功させる。東京芸術劇場の初日から、広瀬すずの声はまるで矢を射るように2階席の僕の耳にまで飛んで来た。是枝映画の広瀬すず、ささやくように繊細な演技のイメージを持っていた観客たちからは、驚きと賞賛の声が終演後に上がった。

 しかしこの成功には伏線があったと思う。『ちはやふる -上の句-』のパンフレットの小泉徳宏監督のインタビューによれば、『海街Diary』のさらに前、2015年『学校のカイダン』の主演が決まる前に既に広瀬すずに会っていた小泉徳宏監督は、「自分で思うような声が出せていない」という広瀬すずに簡単なボイストレーニングを課し、その効果はてきめんに現れたと語っている。「セリフは音であり歌なので、本人がイメージする声で言えなければ意味がない」という小泉徳宏監督の言葉と、『Q』の舞台パンフレットで広瀬すずが舞台稽古で言われたと語る「感情じゃなく音でやって」という野田秀樹の言葉は、新進気鋭の若き映画監督と日本を代表する舞台演出家というかけ離れた立場の2人ながら、どこか似ている。広瀬すずのインタビューを継続的に読んでいる人は、しばしば彼女が「1人カラオケをよくする」「休憩なしで何十曲も立て続けに歌う」「合唱曲を選び、一度目はソプラノで二度目はアルトで歌ったりする」と語るのを読んだことがあるのではないかと思う。それはたぶん、休日の息抜きであると同時に、ボイストレーニングでもあったのではないか。小泉徳宏監督が『ちはやふる』で広瀬すずに与えたまっすぐに遠くまで飛ぶ発声法を、彼女はその後も自主トレーニングでひそかに育て続けていたのではないか。そう考えなければ、本格的な練習期間もなく迎えた初舞台で東京芸術劇場の2階席まで鳴り響くあの鮮明な声の説明がつかないように僕には思えた。

 前述の『ちはやふる -結び-』の初日舞台挨拶で、小泉徳宏監督は実は広瀬すずに対してはある種の「苦言」ともとれる言葉を贈っている。「ちょっと心配なのは、誰もが驚きひっくり返るような才能や直感力を持っていて、それだけでいいところまで突っ走れてしまうところで、もしかしたらいつか壁にぶつかる時も来るかもしれない、そういうときはこの映画を見て欲しい、俺の言いたいことは全部映画の中につまってるから」。要約すればこのような内容だった。普通、商業映画の監督というものは、初日の舞台挨拶でファンの前で主演女優にこんなことを言ったりはしない。だが小泉徳宏監督は、広瀬すずという女優が手放しの絶賛よりもそうした的確な批評を求めることを三部作の撮影の中で知っていたのだと思う。野田地図の舞台『Q』の激励に楽屋を訪れた『ちはやふる』原作者・末次由紀氏に対し(2人の交友は映画化が三部作で完結したあとも続いている)、広瀬すずは「演出家にダメ出しをされている時が一番心地よい、自分のことを見てくれているから」と答えたという。

 小泉徳宏監督が「映画の中につめこんでおいた」という広瀬すずへの助言とはどのようなものか。完結編『ちはやふる -結び-』の中で、広瀬すず演じる綾瀬千早は、幼少期からかるた強豪の福井県でエリート教育を受けてきた我妻伊織にクイーン若宮詩暢への挑戦権を奪われる。そのクライマックスの戦いで、綾瀬千早は若宮詩暢の得意とする「音のないかるた」を我が物にする。映画のオリジナルキャラクターである我妻伊織の人物造形は、幼少期からクラシックバレエや舞台の教育を受けてきた清原果耶を思わせる。正統な演劇教育を受けないまま、反射神経とセンスだけで頭角を現した広瀬すずに対して「自分の才能や資質、直感に限界を感じた時は他人に学べ、松岡茉優の理論に学べ」と小泉徳宏監督は映像の中に書き残しているように見える。

 『Q』のパンフレットの中で広瀬すずは、野田演劇の手法であるスローモーションの演技について、「身体の動きを論理的に分析し頭を使わなくてはならない」とその奥深さについて語っている。

 映画『ちはやふる』三部作の撮影に1秒間1000コマ撮影できる高性能カメラ「Phantom Flex4K」が導入されたことはよく知られている。超スロー映像と映画級のクオリティを両立させるために強烈な照明が当たる中、人間の意識ではコントロールできない1000分の1秒の映像の中で広瀬すずの表情が劇的に変化していく映像は映画に鮮烈な力を与えた。野田秀樹の舞台の上で生身の演技としてスローモーションを演じる広瀬すずは、まるで『ちはやふる』でファントムが撮影した無意識の自分を、カメラの最新技術を使わずに、自分の理性と身体を共鳴させて再構築しているようだった。「身体が壁に突き当たったら頭で学べ」という意味の小泉徳宏監督の助言は、今も広瀬すずの中に生きているように見えた。

 小泉徳宏監督は三部作の完結となる『ちはやふる -結び-』のラスト近くのシーンで、主人公綾瀬千早の台詞として「強くなりたい、世界一になりたい」という原作にはない言葉を書いている。ちはやふるの1巻で「かるたは他の国ではまだあんまやられてえんくて まあ難しいでの でもそれはつまり 日本で1番になったら 世界で1番ってことやろう?」と新が語るシーンが描かれたのは、もう今から十年も前のことだ。『ちはやふる』のヒットは海外にもおよび、百人一首の大会には世界からの参加者が増えた。そして映画界、演劇界にも世界の波は押し寄せている。韓国映画の世界的成功、中国という巨大なマーケットの勃興、そして世界中を一瞬でかけぬける配信サービスの登場によって、「日本で1番」が頂点の時代が終わり、すべての映画人や演劇人が「エンターテインメントの世界大会」に参加する時代がもうそこまで来ているのだ。松岡茉優、広瀬すず、清原果耶という、映画の中でクイーン戦に鎬を削る若い世代の俳優たちは、恐らくはその最初の世代、A代表の第一陣となる世代になるだろう。

 「千早振る 神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」。千年前に在原業平が詠んだ激しい恋の歌、と映画の中で何度も紹介されるこの三十一文字には、伝統と革新、過去と未来、相反する概念の止揚がある。からくれなゐとは唐紅とも韓紅とも書き、つまりそれは海外からやってきた最新の流行色、新しい時代の流れについての歌なのだ。上白石萌音演じる大江奏が映画の中で説明するように、天皇家という最も古い伝統を持つ家に生まれた恋人に対して、在原業平は「神代も知らぬ」新しい時代の到来を竜田川を流れる色に喩え、「ドアをノックするのは誰だ?」と歌ったわけだ。

 ちはやふるとは高速で回転するコマのように、運動と静止が両立した状態、荒ぶる身体を理性が制御した状態なのだ、と原作の人気キャラクター・奏ちゃんは説明する。彼女はいつも正しいことを言う。千年前に在原業平がかなわぬ恋人に歌った通り、神代も知らぬ新しい時代がそこまで来ている。その扉をノックするのは、きっと彼女たちの世代になるのだと思う。 (文=CDB)