異色のアニメーション映画『音楽』が表現する、“楽しむこと”の価値
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映画「音楽」より。(c)大橋裕之/ロックンロール・マウンテン/Tip Top
大橋裕之の漫画作品『音楽と漫画』を原作に、監督の岩井澤健治が自主制作で7年超、作画枚数40,000枚超を全て手描きし、そして実際にステージを組みミュージシャンや観客を動員してライブを敢行してアニメ化したというクライマックスの野外フェスシーンがあるなど、異例づくめの劇場アニメ作品が、本作『音楽』だ。
物語は、楽器を触ったこともない不良高校生・研二が、友人の太田や朝倉たちと、思いつきでロックバンド「古武術」を組むところから動き出す。素人が奏でる演奏など、全く通用しないと思いきや、彼らの“音楽”は、意外な展開を巻き起こしていく。
研二の声を演じるのは、ミュージシャンの坂本慎太郎。研二の同級生、亜矢役に駒井蓮。「古武術」のメンバー、太田と朝倉役に前野朋哉と芹澤興人。そのほか、竹中直人、平岩紙など、個性的なキャストが並ぶ。さらに岩井澤監督は、制作手法として、実写映像を部分的にトレースする“ロトスコープ”を選択することで、斬新な画面を作り上げ、“異色度”をアップさせる。
さまざまな部分で異例かつ異色な試みを見せながら描き出されるのは、研二たちの演奏が、異様な盛り上がりを見せる瞬間だ。彼らには技術はないが、“音を楽しむ”ことはできる。それさえあれば、“音楽”は成り立つし、人の心を動かすことはできるのではないのか。それは、従来の日本のアニメーション技術に頼ろうとしない監督の映画への想いとつながっているのかもしれない。
音楽文化は、生演奏、レコード、CD、そして音楽データ配信など、わずかな年数で、そのかたちや楽しみ方が広がり、または衰退するなどの変遷を見せてきた。時代に影響され、音楽がかつてないほど具体的なイメージを無くしていくなか、登場人物の学生の想いや、作り手の衝動は、音楽の根っこにある価値を、じつはまっすぐに表現しようとしているように思える。
『音楽』
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