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『スカーレット』における黒島結菜の役割とは? 悪意のない無邪気な“恋敵”という新しい存在

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 黒島結菜演じる三津は、よくしゃべる。よくしゃべり、よく笑い、そして、じっと八郎(松下洸平)を見つめている。どうにも罪な存在である。これほどまでに悪意のない、無邪気な恋敵が存在していいのだろうか。百合子(福田麻由子)のいい相談相手にもなっている優しさと家事手伝いの手際の良さは、大阪時代の喜美子(戸田恵梨香)さえ思わせる。「人にはいい面と悪い面の両方がある」という借金取りのおじさんの言葉通り、このドラマのヒロイン・喜美子を苦しめる存在は、決して悪い人ではない。悪意もない。ただちょっと弱いだけ、繊細なだけ。ただ共感して、寄り添わずにいられないだけ。だからどうにも苦しい。

参考:『スカーレット』林遣都の愛溢れる演技に感動 信作、ついに百合子にプロポーズ! 

 副題通り「優しさが交差」した『スカーレット』(NHK総合)第15週は沈黙する女としゃべる女の週だった。合唱団の練習で喉を痛めたという理由で、こちらが不吉に感じるほど長い間沈黙を貫いていた喜美子の母親マツ(富田靖子)は、直子(桜庭ななみ)の妊娠偽装騒動で、その沈黙によって穏やかな母親の内に秘めた強さを見せつけた。一方の三津は、ひたすら無邪気にしゃべり続けることで、喜美子と八郎との間の心の距離を可視化し、喜美子のいる「そっち側」と、八郎と三津のいる「こっち側」という見えない壁を築き上げてしまったように思う。ある意味三津は、喜美子と八郎の、時にふざけあったりすることもできる一見穏やかな関係に芽生えた「決定的なすれ違い」を可視化するために存在しているとも言える。

 三津は、自己紹介の段階で、自分自身の恋人とのエピソードを語る形で「才能のある人間は無意識に人を傷つける」という言葉を放つ。それは見事に八郎の、それまで感じていた喜美子に対するモヤモヤした感情を的確に言語化した。

 三津は「黙っててくれる?」と言われてもチャーミングに両手で口を覆うことでしか黙ることができない。三津と八郎の仲の良さに対する喜美子の内心の苛立ちが表面化し、三津の八郎を慕う気持ちが語らずして伝わってくる秀逸な回があった。87話だ。

 喜美子は、自分が賛成しなかった個展の企画を、三津と楽しそうに進めている八郎との距離を感じ、その後、外にいた三津と鉢合わせる。降らなかった雨の話題を振る喜美子の言葉に釣られて空を見上げる三津のポカンと空けた口を見た喜美子は、「人ってなんで空見上げる時、口開けるんやろな」と投げかけ、去っていく。三津は慌てて開いた口を両手で覆う。

 その後、八郎のいる作業場に入った三津は、じっと八郎を見つめている。カメラは、八郎が作業を止め、蛇口を捻り水で手を洗い、タオルで拭く姿を念入りに映す。その過程を三津は逸らすことなく見つめている。

 蛇口から流れる水は、前述した「降らなかった雨」の話と重なり、妙に印象深いシークェンスとなっている。三津はしゃべりつづけるキャラクターだからこそ、しゃべらない場面にその内面が現われる。そこにあるのは三津の心に宿った、八郎を恋慕う気持ちなのである。

 「隣にいられるのがしんどい」と八郎に思わせるほど才能のある「あっという間に八郎を超えてしまった」喜美子は、八郎や三津が言うところのただの「閃き型の天才」ではない。彼女は、変わらないことを美徳とし、過去に戻っていこうとする八郎と違い、彼女の経験を蓄積することで前に進んでいく。八郎の言う「才能」を経験と学習によって開花させていく。

 八郎を驚かせた初めての作品における「僕とは違う作り方」は、たくさんの球体(まる)を作り寄せ集めることでひとつの器を作る方法だった。でもこれは、「喜美子が天才だから閃いた」というより、喜美子の発想の発端が恐らく息子・武志の初めて作った作品「夢みるまるまる」にあることから、彼女の作品作りの裏には育児という経験が裏打ちされていることがわかる。また、八郎が一瞬怯えるような表情を見せた、喜美子の得た知識は、八郎を手伝いながら吸収した知識であり、全ては八郎と会い、結婚し、共に生きたから培った「才能」だ。それを、一番近くで見てきたはずの八郎が気づくことができない。もしくは、それさえも「才能」のうちの一つだとわかった上で、前に進める「正しい喜美子」が苦しいと言うのなら、それは本当に救いようがない。

 だが逆に、喜美子もまた、八郎のことを気づくことができない。作品作りに悩む八郎が深野(イッセー尾形)の年賀状の絵に一瞬目を遣る姿を、喜美子、三津がそれぞれ見ているのに関わらず、喜美子は八郎の思いを見抜けず、まだ出会って間もない三津がその思いを言い当ててしまう。

 それでも夫婦は、開きつつある心の距離を必死で見ないようにしながら、「夫婦ノート」に将来設計を祈りのように刻み、変わらずふざけ、笑い、相談し合うことで、夫婦を続けている。それは、瑞々しく燃え上がった恋愛の先を行く2人が、この先も長く夫婦で居続けるために必要な努力なのかもしれない。

 信作(林遣都)の「そのうち絶対爆発するで」という警告をどこかで予兆のように感じつつ、開花しようとする喜美子の陶芸家としての能力と、それを恐れているかのような夫・八郎との関係性の持続という2つの事柄の両立を、ただただ祈らずにはいられない。(藤原奈緒)