伊藤英明、命に関わる作品に「自分自身が救われている」 幼少期の苦しい体験を経た僧医役への思い
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先週よりスタートした金曜ドラマ『病室で念仏を唱えないでください』(TBS系)。こやす珠世の同名漫画を原作にした本作には、主演の伊藤英明を筆頭に、中谷美紀、ムロツヨシ、松本穂香ら実力俳優が集結した。伊藤が演じる主人公・松本照円が僧侶であり救命救急医の「僧医」という立場で、患者の命と向き合うということで、今までに見たことのない、骨太な医療ドラマになりそうだ。
【撮り下ろしカット】ダークな表情をした伊藤英明
伊藤は、これまで代表作『海猿』シリーズはもちろんのこと、残忍な殺人鬼を演じた『悪の教典』まで、命に関わる作品に多く携わってきた。そんな彼が「生と死」に真正面から向き合う本作を、どう捉えているのか。44歳、俳優として円熟期を迎えた今ならではの想いを、率直に語ってもらった。
■セリフの言霊が届くドラマに
――TBSドラマの主演は、12年ぶりとお聞きしました。
伊藤英明(以下、伊藤):いやー、よくもこの年齢で主役に抜擢してくれたなって(笑)。しかも冬ドラマ。実は、寒いの苦手なんです。でも、そういうのに打ち勝っていかなきゃいけないでしょ。闘う姿を、やっぱり子どもたちに見せていかないとだから。
――寒さに加えて、僧侶と救命救急医の二足のわらじで、セリフや作法も覚えるのが大変そうですね。
伊藤:そうですね。できるだけ、端折っていきたいですね。手先が不器用だから、手術シーンは顔のアップだけ、とかにして。“やってます”風な顔は作るんで(キリッとした表情で)。
――またまた(笑)。
伊藤:アハハ。照れが出ちゃうんですよね。こういうインタビューになると、つい。でも、本当にやりたいなと思って。 一般的な医療ドラマよりも、この作品はたくさんの方が亡くなるので、医者として僧侶として、どう命を全うさせて、残された人に対して何を残すかというのをすごく考えるので。自分にとって本当に意味があるなと思っています。うまく言えないですけど。
――僧医という存在は、ご存知でしたか?
伊藤:実は、僕の親戚筋にも高僧で、昔医者だった方がいて。やっぱり達観されているんですよね。人はみんな死ぬ、けれど輪廻転生でまた会える、みたいな。最初は「ちょっと……」なんて思っていましたけど、それも雑念で。よくよく考えてみると、一番の恐怖って大切な人との死に別れや生き別れだったりするんです。そう思うと、そうやって「また会える」と言葉にしてもらえると、救われる部分があるというか。だから、このドラマを見てくれた人が、そういう言葉で楽になってもらえたらいいなと思っています。本当にセリフにも言霊みたいな力があるはずなので……って、なんか急にいい人みたいな感じになっちゃったかな。あ、全部に「(笑)」ってつけておいてください。
――また、照れが出ましたね(笑)。
伊藤:やっぱり、雑念が多いな(笑)。
――役作りのために2年ほど伸ばしていた髪をバッサリと切られましたが、坊主姿はいかがですか?
伊藤:坊主は、中学2年のときにやった以来かな。子どもが生まれて間もないころにも、一度していましたね。水浴びたあとにパッと乾くから、楽で。個人的には短髪のほうが好きです。でも、周りからは「やりましたね」とか「勇気ありますね」みたいな反応で驚きました。
――TBS公式の公式チャンネルで断髪式の動画が上がっていたので、すごい覚悟があったのかと思いました。
伊藤:いやいや。もう、自分でバリカン買って、4日に1回は刈ってますよ。 最初は長めに設定していたのに、グって力入りすぎたのか1ミリくらいでいっちゃって、トラ刈りみたいになったんですけど。今は9ミリに落ち着きました。
――髪型以外にも、袈裟や白衣も役作りには重要なアイテムになると思いますが、着心地はいかがでしたか?
伊藤:最初に袖を通すときは、どんな衣装でもワクワクしますね。キャラクターを1番説明してくれるものだし。ただ、袈裟は走りにくくて。着物とはちょっと違うので全力で走ったら裾がめくれて、パンツが見えちゃうかもしれなくて。あと、所作としては座禅が組めるように、ストレッチして股関節を柔らかくしておこうと意識しています。それからカメラが回っていないときにも、数珠をよく持つようにしてます。数珠が手に馴染むように。
――お経は、いかがですか?
伊藤:時間を見つけては般若心経を聞いています。今、ボカロとかテクノバージョンのお経もあって面白いんですよ。音楽代わりに楽しみながら、体の中に浸透していけばいいなと。結構、意味を考えると、すごくいいんですよね。この世は全て“空”でできていて、目や耳や舌で感じられるものは、あなた自身ではなくて、あなたの目や耳や舌というフィルターを通しているだけで、あなたがそれを信じなければ何もない……何もしなくてもいいということではなく、生きることってやっぱり大変なことがいっぱいあるじゃないですか。見えない恐怖や雑念によってエネルギーを奪われていることがあると思うんですけど、そういうものから解放されていいんだって。
――おまじないのように。
伊藤:そうですね。自分が迷ったときに、そういう言葉を唱えることで落ち着く感じがあって、改めて言葉の持つ力を考えさせられます。何千年と唱え続けられたものですから、それだけでもすごいことですよ。
――この役柄に出会う前は、仏教に関心はあったんですか?
伊藤:僕自身『神社百景DVDコレクション』でナビゲーターの仕事をしたこともあって、割と神仏には興味を持っていました。だから、今回の役は何かこういう神仏に対して縁があるのかな、なんて思ったり。
■役を通じて救われている
――大ヒット作の『海猿』シリーズでも、人を救う役を演じられていました。何かご自身でこういうことに救われるなとか、自分自身がこういう言葉に救われたという経験は?
伊藤:でも僕は、こういう役をもらいながら、自分自身が救われているなと思いますね。今回もそうですけど。常にありがたいなと思います。まずこうやって僕を主役にしてくれたこととか。僕も人の評価とか、人のために生きていることがありましたが、作品を通じて今はなるべく「自分は自分、人は人」と、心をすり減らさずに生きていこうと思うようにしています。
――個人的に、伊藤さんの印象はすごくエネルギッシュで、辛いことをバーンとはねのけるタイプかと思っていたのですが。
伊藤:そりゃ、現場は少しでも楽しくしたほうがいいじゃない。それがいい作品に繋がるとも思うし。でも、みんなそうじゃないですか? いっぱい傷つくことがあって、それでも笑顔でいよう、楽しい時間を少しでも増やそうと必死になっている。僕は5歳から小学校6年生ぐらいまで、入退院を繰り返していたんですが、そのときは親が毎日泣いていて、自分も怖かったですけど、少しでも心配かけないようにと思っていました。辛い状況にいるときって、しょうがないってなかなか思えないんですよね。でも、やっぱりしょうがないことで。
――うう、苦しいですね。
伊藤:そう。だから、嫌なこと・苦しいことだけど、今起こっていることに、きっと全部意味があるんだって少しずつ考えを変えられることが救いになるはずなので。だから、大変なこともあるけど、なるべくいい言葉を使って、感謝を先に考える脳の使い方を心がけています。使った言葉も、態度も、因果応報で返ってくると思うしね。人間って煩悩の塊だから難しいですよね。無理にフタをしようとすると、どこかで出ちゃうと思うし。みんな我慢が多いし、日々のストレスを他人にぶつけてしまうときもあると思うけど、少しでも考え方とかを見直せる時間になったらうれしいですよね。
――伊藤さんと、演じられる松本照円と、共通点はありますか?
伊藤:彼も煩悩とずっと闘っているんです。救命救急って感謝されなくて、運び込まれたときは誰が治療してくれたかわからないし、そのまま亡くなってしまうことも多い。言葉は悪いですけど、いちいち患者さんの事情に寄り添ってたら医者のほうが心が引き裂かれてしまう。でも、彼は面倒くさいくらいに寄り添う。命をつなぎとめて全うさせるし、亡くなってからもその人の人生を全うさせてあげようと粘る。かといって、決して完璧ではなく人間らしくて、弱いところもある。だからこそ、前を向いて生きていこうとするところには共感しますね。
――楽しみにされているシーンはありますか?
伊藤:医局のメンバーと絡んでいるところですね。そこでは、亡くなっていく人を見ながらも、自分たちが生きていくためにご飯を食べるんです。医師たちの人生も続いているんで。そんな非日常と日常を、ムロ(ツヨシ)さん、中谷(美紀)さん、萩原(聖人)さんという腕のある役者さんたちと描いていくのはワクワクします。
ーー共演者のみなさんとの顔合わせはいかがでしたか?
伊藤:すごい楽しかったですね。僕はちょっと緊張してたんだけどすごい面白かったですよ、みんな。挨拶も、ムロさん、ホリケン(堀内健)さん、泉谷(しげる)さんと続いたら笑うしかないですよ。
――個性的なキャラクターが集結した本作が、どんな作品に仕上がるのか楽しみです。
伊藤:正しく生きようとかそういうことではなく、あくまでも自分と向き合って、自分の人生を全うできるようにもがく感じが楽しみです。 彼も僕も手探りなので、きれいな言葉と心で、この作品と向き合って最終回にはいい僧医になってたらいいなって思います。でも、雑念を払うのは難しいから、いつまで持つかなって感じですけど(笑)。
(取材・文=佐藤優衣)