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青野賢一のシネマミュージックガイド Vol.5 ジョーカー

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「ジョーカー」場面写真 TM & (c)DC. Joker (c)2019 Warner Bros. Entertainment Inc., Village Roadshow Films (BVI) Limited and BRON Creative USA, Corp. All rights reserved.

DJ、選曲家としても活躍するライターの青野賢一が毎回1つの映画をセレクトし、映画音楽の観点から作品の魅力を紹介するこの連載。5回目は、2月に授賞式が行われる第92回アカデミー賞において最多ノミネート作品となった「ジョーカー」を取り上げる。DCコミックス「バットマン」に登場する悪役・ジョーカーの誕生秘話を描いたこの作品の、音楽的な魅力とは。

音楽に導かれて踊る

第92回アカデミー賞において、作品賞、監督賞、主演男優賞、作曲賞など11部門にわたる最多ノミネート作品となった「ジョーカー」。2019年10月に公開されるや大きな話題となり、以後、インターネット上での議論も活発に行われている映画である。DCコミックスの「バットマン」の最強の悪役であるジョーカーがいかにして生まれたかを、コミックの設定によらないオリジナルのストーリーで描いた本作は、いわゆるダークヒーローものにとどまらない、人生の悲哀や理不尽さ、そしてそれを生み出した社会や政治に対する批判精神をも織り込んだ、芸術性の高いものだ。

ゴッサム・シティの荒廃ぶりを伝えるニュース音声が流れる中、鏡に向かって念入りに顔に白塗りのメイクを施すアーサー(ホアキン・フェニックス)を映し出すシーンでこの映画は始まる。続くタイトルバック、アーサーはピエロのいでたちで、楽器店の前でその店の閉店セールを宣伝している。伴奏はピアノの生演奏だ。軽快なピアノに乗って、セール告知の看板を使ったパフォーマンスをしていると、ストリートキッズたちが絡んできて看板を取り上げられてしまった。逃げる悪童、追うピエロ姿のアーサー。路地に入り込んだところで追いついたが、アーサーは悪ガキたちにボコボコにされてしまう。壊れた看板と路上に横たわるピエロたるアーサーを捉えたショットに、チェロによる重苦しい曲がのしかかる。

先に述べた冒頭のシーンだけでなく、作中、アーサーの心に何かしらの思いが浮かんだり、また変化があったりする際は、チェロを基調とした重く悲愴でどこか切迫したような旋律がそれに寄り添うように奏でられる。音楽を担当したヒルドゥル・グーナドッティルは、ソフト化された本作の特典映像内のインタビューでこう答えている。「彼の感情を表現したのよ」。情景描写ではなく心情描写である。中でも印象的なのは、地下鉄で3人を射殺したアーサーが、現場から立ち去って公衆トイレに逃げ込むシーンだろう。厳かとも思えるほど美しいチェロの曲に合わせて、アーサーは静かにゆったりと踊る。ホアキン・フェニックスはこのシーンを「とても重要な誕生の瞬間だ。ジョーカーのね」と振り返っているが、これは、このシーンの打ち合わせをしていて、なかなか進展がない最中にホアキンと監督のトッド・フィリップスが現場(公衆トイレ)に赴き、トッドがヒルドゥルから届いたばかりの曲をその場でホアキンに聴かせたところ、おもむろに踊り出して生まれたのだという。いわば音楽に導かれてできあがったシーンなのだ。

決意と死の匂い漂うフランク・シナトラ「That's Life」

アーサー=ジョーカーの感情を表したヒルドゥルのスコアと対照的に、作中では享楽的なダンスミュージックとしてのジャズが随所に登場する。アーサーとその母ペニー(フランセス・コンロイ)が家のテレビで観る、マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)が司会を務める「マレー・フランクリン・ショー」や、アーサーがやはり自宅でテレビを観ながらその音楽に合わせて拳銃を持って踊るシーンなど、テレビ映像を通じて楽しげな音楽が流れてくることで、こちら側とあちら側の違いを暗に浮かび上がらせることに成功しているといえるだろう。

ヒルドゥルのスコアがアーサーの心情を表していることは先に述べた通りだが、例外もある。それは「マレー・フランクリン・ショー」に出演することになったアーサーが、バスルームで髪をグリーンに染め、顔を白く塗る場面だ。ここで聴かれるフランク・シナトラの「That's Life」は、曲調こそ明るく穏やかだが、挫折や差別、諦めようにも諦められない思いを潜ませながら、それでも前に進んでいこうとする人間の決意を、死の匂いも漂わせて歌ったもの。この曲がテレビ出演の際に“あること”をやろうと決意したアーサーの気持ちを見事に代弁している(ちなみに「マレー・フランクリン・ショー」のエンディングテーマはこの曲のインストバージョンである)。そしてついに完全なジョーカーとなったアーサーはアパートを出て、ゲイリー・グリッターの「Rock And Roll Part II」を(おそらくは)脳内で再生しながら踊るのであった。

こうして完全なジョーカーとなったアーサーだが、このことは“笑われる人”から“笑わせる人”になったという事実も含んでいる(一応、コメディアンとして番組出演を果たしている)。しかし、そこでのジョーカーの立ち振る舞いは、笑わせるどころか出演者や観客を凍りつかせるものであった。脳および神経の損傷で「突然笑い出す」という持病を抱え、人から不気味がられ笑われていたアーサーが、人を“笑わせる”コメディアンを目指し、コメディアンとして番組に呼ばれるも笑えない現実を突き付けるという、さまざまな面での価値転倒といえるこのシーンとその後のゴッサム・シティの暴動を観て、私は種村季弘の単行本「失楽園測量地図」に収められた「笑いの彼方」というエッセイの一節を思い出した。すなわち「それでは、このようにして笑いの死が告げられる夜、世界はどんな光景を呈するであろうか。おそらく、王の死、神の殺害が告げられた夜と同じように、犯罪ユートピアのごときものが現出するにちがいない」。

「ジョーカー」

日本公開:2019年10月4日
監督:トッド・フィリップス
脚本:トッド・フィリップス / スコット・シルヴァー
出演:ホアキン・フェニックス / ロバート・デ・ニーロ / ザジー・ビーツ / フランセス・コンロイほか
音楽:ヒルドゥル・グーナドッティル
配給:ワーナー・ブラザース映画
発売・販売:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
価格:DVD &Blu-rayセット 4980円 (税込)

文 / 青野賢一