海外と日本、ネットとリアルワールド 『キャッツ』を巡る分断された「二つの世界」
映画
ニュース
先週末の映画動員ランキングは、『キャッツ』が、土日2日間で動員19万人、興収2億6200万円をあげて初登場1位に。この数字は、同じトム・フーパー監督によるミュージカル作品である2012年12月に公開された『レ・ミゼラブル』と興収比で88.7%という成績。『レ・ミゼラブル』はそこから驚異的なロングランを続けて最終興収58.9億円まで到達。現状、『キャッツ』に同じような機運は見られないが、まずは有名ミュージカルの映画化作品という日本で根強い人気を誇るジャンルのファンを集客した、堅調なスタートと言っていいだろう。
参考:映画『キャッツ』の悪評は妥当なのか? 小野寺系が作品の真価を問う
海外と日本、あるいはネットとリアルワールド。そうした、現在の日本における映画を取り巻くいくつかの「分断」が明確に表れているという点において、今回の『キャッツ』は非常に興味深い興行となっている。「分断」というとネガティブな言葉にとらえられるかもしれないが、そこで何が良くて、何が悪いかをジャッジするのは困難だ(言うまでもなく、それは作品にもよる)。しかし、映画一つ取り上げても、多くの人が気づかないうちに自分と似たタイプの人間ばかりのフィルターバブルの中で生活していることを指摘するのには意味があるはずだ。
まずは海外と日本の分断。いたるところでネタとしてコスられ続けてきた「全米が泣いた」に代表される、日本の映画配給会社がつけた漠然とした宣伝コピーがまかり通っていたのは昔の話。ネットで世界中の情報にリアルタイムでアクセスできる現在、海外でヒットしたのかしなかったのか、高評価だったのか低評価だったのか、もう日本の観客を騙すことができなくなっているーーと思ったら大間違い。もちろん、もともと映画ファンの注目が高い監督や題材の作品や、スーパーヒーロー作品や『スター・ウォーズ』のように特定のファンダムを有している作品に関しては、映画祭やワールドプレミアで初公開されると同時に多くの批評や情報がシェアされて、日本公開の前にその認知が広がっていくことはある。しかし、『キャッツ』のような作品の主な客層はその範疇の外にある。世界各国、特に北米で『キャッツ』は歴史的な大コケをして、評価も散々だったわけだが、日本人の大半を占める「1年間に映画館で映画を1本か2本しか観ない人」は、未だに地上波テレビを筆頭に新聞やラジオを含むレガシーメディアだけが映画の情報源というのが現実だ。
次に、ネットとリアルワールドの分断。今回の『キャッツ』が世界各国で歴史的な大コケをして、評価も散々だったのは事実だが、それに乗じてソーシャルメディア上ではワールドプレミア直後から様々なミームとなって世界中で拡散されることとなった。日本公開が始まった先週末からは、日本でもそれが加速。問題は、実際に作品を観た感想を添えたそうしたミームの発信者の一部は別として、多くの人は発信者でさえも実際に作品を観てなくて(ごく一部の人しか観ていないワールドプレミア直後からそれが始まったことからもそれは明らかだろう)、さらにそのミームをリツイートなどで拡散している人の多くはただネタとして作品を消費しているだけということだ。そうしたソーシャルメディアの構造自体に今さら苦言を呈しても仕方がないが、それは時として我々が生活している実社会(リアルワールド)における作品の評価や感想と大きくズレることがある。少なくとも、ネット上の「世論」を実際の「世論」だと思い込むのは、みっともないことだという自覚を持つ必要があるだろう。
つい先日も『天気の子』が「全米で2位」(興収で全米2位になったのは限定拡大公開されたウィークデイの2日間のみ)だとか、「『スター・ウォーズ』を抜く快挙」(公開から約1ヶ月が過ぎた『スカイウォーカーの夜明け』とデイリーの成績を比べる無意味さ)だとか、ミスリードを誘う日本のネットニュースが広く拡散されていて頭を抱えてしまったが、ネットを主な情報源としている人(いや、「ネットを主な情報源としているからこそ」と言うべきか)にもその程度の情報リテラシーしかない人も山のようにいることがよくわかる。情報強者=ネットの情報に通じた人、情報弱者=未だに地上波テレビが情報源の人、という先入観こそまずは疑ってかからなくてはいけない。(宇野維正)