唐田えりかは、現在、最も純度の高い女優のひとりである。
濱口竜介監督の野心作『寝ても覚めても』における彼女は、ルックスは瓜二つながら性格はまるで異なるふたりの男それぞれに心惹かれ、それぞれを裏切るという、おおよそ共感されにくいヒロインを、見事な説得力で体現した。
何かに媚びることなく、初々しさ、みずみずしさを完全にキープしたそのありようは、新しさと同時に古典性も感じさせるもので、稀有な存在感で屹立していた。
唐田は間違いなく、映画に選ばれた才能だが、MVにおいても、奇蹟的な演技を披露している。
KIRINJI「killer tune kills me feat. YonYon」で彼女は、失恋した女の子の再起を、ひとり芝居と、暮らしに溶けこむダンスで表現。胸震わせるショートムービーに昇華した。ときにマリオネットのように、ときにポートレートのように、心模様を綴れ織る身体能力には、一見の価値がある。
最新主演作『の方へ、流れる』では、想定外と王道という二極化を見事にひとつに束ねて、観る者を魅了する。
その日、初めて出逢った女性と男性が、外を歩き、話をし、日が暮れて、別れるまでを描いている。
女も男も、(おそらく)嘘とほんとうを混ぜながら、話している。初対面なのだから、当然だ。しかも、ふたりには利害関係がない。ビジネスなどの社会性が関わらない場合、人と人は、責任から自由になり、人柄が露呈することにもつながる。
つまり、気軽に嘘をつけるし、気負わずに本音を語れもする。
嘘をつく、という行為も、実は、その人のイノセンスとつながっている。
詐欺師や虚言癖などを別にすれば、わたしたちの誰もが、嘘とほんとうの狭間で生きている。それは、ごく当たり前のこと。
唐田えりかは、この真実を掴まえ、しかも、 流線形の関係性の中で体現している。
嘘を話すことでその人のほんとうが感じられ、逆にほんとうを語ることでカムフラージュされた秘密が見え隠れする。
このスリリングな塩梅が、このヒロインを魅力的にしているし、わたしたちは目が離せなくなる。
本作を恋愛映画と解釈しても構わないが、映画の中の人物を見つめるという行為そのものがそもそも恋愛によく似ているのだ。
唐田えりかの女優純度は、このことにも気づかせてくれる。