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蛇の道

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黒沢清の「やりたいこと」と「できること」が初めて存分に噛み合ったのは『CURE』ではないかと思うのだが、この戦慄鮮やかなうちに連打されたのがビデオ作品というかたちで世に出た『修羅の極道~蛇の道』『修羅の狼~蜘蛛の瞳』だった。リリースされた当初は、これらは日活ロマンポルノにおける『女子大生恥ずかしゼミナール』のように、Vシネマの極道物の企画を撮っているうちにこういうとんでもない黒沢映画になってしまったのかと思い込んでいたが、それは逆で劇場用作品として完成した『蛇の道』『蜘蛛の瞳』に戦慄した製作元がかかる安手のVシネふうの改題を施してビデオ販売したのだった。そういう悲運な「公開」形式ではあったし、またそんなお粗末な改題もなされていたとはいえ、逆にまだ猥雑な活力のあったビデオショップに即製の名もなきジャンル映画のごときたたずまいでこの二作が並んでいた光景は、その作品の実体にふれた時のノンジャンルな起爆力をより派手な印象にしたであろう。そしてまた結果論ではあるが、このキワモノ的な「公開」自体は黒沢清の好まざるものでもないだろう。なぜなら狭隘な芸術的評価やくだらないスノビズムを寄せつけない黒沢映画は決して「高級」なものを目指しているわけではないからだ。ビデオ作品としてお目見えした『蛇の道』『蜘蛛の瞳』は、いかがわしいまでに直截に映画そのものであろうとする。その通り一遍のお膳立てなど棄て去った、性急で純粋な映画への欲情のようなものがこの二編、そしてそれ以降の軌道に乗った黒沢作品にはほとばしっている。そして約四半世紀を経て、まさかの『蛇の道』が、まさかのフランスで、まさかの柴咲コウ主演でセルフリメイクされた。この期間を経て、黒沢清は国際映画祭のハイブランドとなった。だが、このたび不意に帰ってきた『蛇の道』は、あの場末のビデオショップの棚ではなく、世界的巨匠の新作として晴れがましい公開が待たれているが、蓋をあけると黒沢清の映画への性急さ、純粋さはいよいよあられもないものとなっており、われわれはこの一見静謐で低温の復讐劇をしたたかな映画的精気の充つるなかで目撃することになる。その直截な面白さの連続は、なぜここがフランスで、なぜ柴咲コウが流暢なフランス語を話しているのかといった疑問の深入りする余地など与えずに、いやむしろその「なぜ」を潤滑油としながら自らには「なぜ」と問うことなく倨傲に進行してゆくのである。