このところ、シネマヴェーラ渋谷の充実したプログラムには毎度、驚かされるばかりだが、「プレコード・ハリウッド」とはまさに意表を突かれた。1934年から68年まで施行された、悪名高いヘイズ・コード以前のハリウッド映画の問題作をてんこ盛りで見せようという大胆きわまりない名(迷?)企画なのである。
いくつかピックアップしてみたいが、1930年代、セックス・シンボルとして盛名をはせたジーン・ハーロウ主演の『赤毛の女』(1932)は、スキあらば次々と相手を替えて玉の輿を狙っている稀代の悪女をジーン・ハーロウが喜々として演じている。ジーン・ハーロウの色香に幻惑される男たちが揃いも揃って優柔不断なロクデナシばかりなので、笑ってしまうが、ハーロウのその場しのぎの悪行の数々を、さすがにこれは人道上いかがなものか、などとこちらが妙にモラリスト然として眺めていると、まさかまさかの幕切れに、しばし呆然となってしまった。ジーン・ハーロウはアモラルのシンボルでもあったのだな、とつくづく実感させられた。
今回の特集ではドロシー・アーズナーの作品が何本か入っているのが気にかかる。彼女はレズビアンであることを隠さず、サイレント時代にデビューし、20本の作品を監督するも引退。晩年は、UCLAで教鞭をとり、フランシス・コッポラが教え子だったという。
優秀な秘書のクローデット・コルベールが社長に求婚されるも、若き株仲買人と結婚したことから思わぬ誤算を引き起こす『彼女の名誉』(1931)、富豪の娘シルヴィア・シドニーが劇作家志望の新聞記者と結婚するが、度し難いアル中であることが判明する『我等は楽しく地獄へ行く』(1932)、飛行士キャサリン・ヘプバーンが愛妻家の男と恋に落ち、妊娠するが、不倫の代償のごとき理不尽で悲劇的な結末を迎える『人生の高度計』(1933)。いずれも主人公たちは結婚幻想に囚われており、とりわけヒロインと関わる男たちは不甲斐ない、ダメ男ばかりで、そのカリカチュアすれすれの人物造型は辛辣きわまりないものだ。
そのほかに、第一次大戦で負傷し、モルヒネ中毒になった帰還兵リチャード・バーセルメスが遭遇する不条理な受難劇『飢ゆるアメリカ』(1933)は大恐慌、赤狩り、機械化と失業、貧困といった深刻なテーマをヒューマンなまなざしでみつめ、荘重なるアメリカ史として浮かび上がらせたウィリアム・ウェルマンの名篇である。
『動物園の殺人』(1933)は、嫉妬深い探検家ライオネル・アトウィルが妻に言い寄った男の口を針で縫ってしまい、唖然とさせる冒頭から不穏さが全開だ。妻を演じたキャサリーン・バークの異様なまでの妖艶さが印象的だが、まさか動物園でワニの餌食になってしまうとは。そのリアルな描写が不気味で、どこか全編にトッド・ブラウニングの『怪物團(フリークス)』(1932)を彷彿させるようなグロテスクでアブノーマルな妙味が漂っている。
プレコード期を象徴するような『ミス・ダイナマイト』(1932)は冒頭、開拓民とネイティブ・アメリカンの壮絶な戦闘シーンで始まるので、てっきり西部劇かと思いきや、あっという間に舞台は現代となる。その開拓民の子孫であるクララ・ボウの自由奔放、過剰なまでの暴力的なヒロインぶりに唖然となるも、その常軌を逸した数奇な人生が〈親の因果が子に報い〉という教訓譚に収斂されるのかと思わせて、さらにひとひねりさせた卓抜な作劇がお見事。フラッパーの代名詞だったクララ・ボウのキュートな魅力がたっぷりと味わえる。