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文学、ジャズ…知的映画セレクション

高崎 俊夫

フリー編集者、映画評論家

「酔わせる映画」刊行記念 楽しくて怖い酒映画傑作選

「週刊文春」を始めとする数多くの媒体で活躍する映画ライター、編集者・月永理絵の『酔わせる映画──ヴァカンスの朝はシードルで始まる』(春陽堂書店)の刊行を記念して組まれた特集である。御本人が無類の酒飲みを自称するだけあって、ひとひねりもふたひねりもある作品が並んでいる。 アルコール依存症の売れない作家の苦悩を描き、主演のレイ・ミランドがオスカーを受賞した『失われた週末』のような定番はもちろん入っている。だが、本特集の眼目は、〈酒〉というお題を枕にして、自由自在に映画史を縦断しながら、ヴァラエティに富んだ逸品ばかりを抽出した大胆なプログラミングにあるといえよう。 たとえば、ジョセフ・フォン・スタンバーグのサイレント末期の名作『紐育の波止場』は、水夫のジョージ・バンクロフトが人生に絶望して投身自殺をはかった酒場の女ベティ・コンプソンを救けるが──。映画はふたりの刹那的な愛の行方を哀切でメランコリックなトーンで綴っている。当時、もっともアメリカ映画に精通していた映画批評家・南部圭之助が「波止場の上をとぶかもめが出す雰囲気と合わせて、室内の男と女のムードは、ベティ・コンプソンのなんとも言えない女の情感で、文字どおり、溺々とした詩のような情緒にひたるわけだ」と絶賛している。南部圭之助によれば、新派の初代水谷八重子がこの映画のベティ・コンプソンの女心の描出に惚れ込み、トーキー初期の主演作『上陸第一歩』(島津保次郎監督)を舞台で再演したと言われる。 実生活でもめっぽう酒に強かったハンフリー・ボガートの出演作が並ぶのも壮観だ。 『彼奴(きゃつ)は顔役だ!』では、ボギーは密造酒の製造で裏社会の顔役になったジェームズ・キャグニーに殺人をそそのかすワルを演じている。 『脱出』は、ボギーとローレン・バコールというハリウッド史上最高の神話的カップルが誕生した記念碑的作品でもある。ボギーほか原作者のアーネスト・ヘミングウェイ、脚本を書いたウィリアム・フォークナーもみな大酒飲みであることでも記憶される。 『キー・ラーゴ』は、ボギーと大親友でやはり破天荒な大酒飲みだったジョン・ヒューストンが監督したハードボイルド・タッチのサスペンス映画。ローレン・バコールは自伝でヒューストンを「彼はとても面白いひとだったが、悪魔的なところがあって、社会的にはまったく頼りにならない人間だった」と辛辣にスケッチしているのが興味深い。 クラシック作品以外でも、近年、再評価が高まっている『WANDA/ワンダ』が入っているのが注目される。夫から離婚され、子供たちの親権を放棄して、社会の最底辺をさまようヒロイン、ワンダ(監督自らが演じている)を仮借ないまなざしで凝視したバーバラ・ローデン唯一の監督作品である。しどけなくビールばかり飲んでいるワンダは、やがて一杯のビールと引き換えに泥棒の片棒を担ぐ羽目になる。ラスト、開放感とはほど遠い逃避行のはてに、たどり着いたバーで、茫然と立ちすくむワンダの表情が忘れがたい。本書で月永理絵は次のように書いている。 「彼女は誰にも救われず、自分自身を救うこともできない。愚かな女が愚かなまま存在しつづけること。それをこんなにも公平に描いた映画が半世紀ほど前につくられていたことに感動する。これほど見事なビール映画は他にない」。 まさに至言である。 深く同意したい。

25/1/24(金)

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